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お金のブロックとは?

私の周りに、お金が大好きな人がいる。
自分が何にもしなくても、何の価値を提供しなくても、
お金を受け取って良いのだと、心の底から思っている人がいる。

その人達は「お金のブロック」の話をよくしていた。

当たり前の人には、当たり前の話。
でも、以前の私のように、
「お金のブロック」という言葉を聞いたことがない方も、たくさんいると思う。
そんな方に向けて、
今日は、いつもと違う「お金の話」をしてみようと思います。

ここで話す内容は、私が考え出したことは一つもなく、
「私が色々なことを学んで、自分の生活の中で実践してきた」お話です。

ーーー

今日のテーマ:お金のブロックとは?

私が教えてもらった「お金のブロック」という言葉。
言葉としては全く知らなかったけど、
自分で意識することなく、知らず知らずのうちに、
一緒に過ごす人が自然と変わっていく人生の中で、少しずつ外していたようです。

何を隠そう
私の幼少時代は、超貧乏だった!

私のリアルな実体験を赤裸々に書いているので、この記事は必見です!
かなりのボリュームで書いているので、
気になる方は、是非、ゆっくりと続きをお読み下さい。

ーーー

1、幼少期に過ごした極貧生活

まずは、私がどれだけ貧しかったのか。
それを、お伝えした方が変化が分かりやすいと思うのでご紹介しますね。

私が産まれ育った家は、家賃毎月7000円のボロボロな三軒連なる長屋でした。
窓が全然なくて、風通しは最悪。
床はミシミシ言ってるし、
ビー玉を床に置いたら、コロコロ転がっていく。

家は、ボットン便所。
クーラーは家に1台しかない。
テレビは14インチが一台。
もちろん、車なんてない。

お菓子なんて買ってもらえない。
母がパンの耳を揚げて、フレンチトーストを作ってくれた。
バナナをミキサーにかけて、バナナジュースを作ってくれた。
チョコレート・ポテトチップスに出会ったのは、友達の家だった。

洋服だって買ってもらえない。
親戚のお姉ちゃんやお兄ちゃんのお下がりが多かった。
後は、家にある母の洋服を子供用に作り直してくれたり、
ニットを一度毛糸に戻して、私や弟のセーターを編んでくれていた。

おもちゃだって買ってもらえない。
その代わり、親戚のお姉ちゃんやお兄ちゃんが、いっぱいくれた。

洋服もおもちゃもある程度の量はあったけど、
自分が欲しいものではなかった。
リカちゃん人形をもらった時、
リカちゃんのお洋服は、家にある小さな布を使って母が手作りしてくれた。

親戚は、我が家の経済状況をとても心配してくれていました。
叔母は、私を従姉妹達と一緒に遊びに連れて行ってくれたり、
買い物に連れて行ったりしてくれた。
遊びに行ったり、買い物をしたり、
そんなことができない母の変わりをしてくれていたんだと思う。


ある日、叔母が
「好きなアイス一個持っておいでぇ〜」と声をかけたことがありました。
私だけ、アイスが選べなかった。
だって、選んだことがない。
従姉妹達が、ハーゲンダッツとかを持っていく中。
私は、ホームランバーを持って行った。
そこに売っていた中で、一番安いアイス。

その後、母親が叔母に怒られているのを見てしまった。
「子供に、気を使わせるような育て方をするな!」と。
今度は、絶対にハーゲンダッツを持っていこうと誓った。笑

叔母が、母親にこっそりお金を渡している姿を
何度か見かけたことがある。
自分の家は、本当に貧しいのだと認識した。

だけど、私は貧乏でも幸せに生きていました。
好きなものが買ってもらえないことと、愛情がないことは違う。
子供にだって、それぐらいは分かる。
手先の器用だった母は、買えない変わりに作ってくれた。

母の手作りのお菓子も、洋服も、リカちゃんの服も、
私には、ちょっとした自慢だった。

父親は、あまり家にいなかったので、いつも母と弟の3人でいることが多かった。
夏は、家の中にあるたった一つのクーラーを求めて、
母と私と弟の3人が、川の字になって眠る。

小さな小さな14インチのテレビを囲んで、
母と私と弟の3人は、同じ番組を一緒に見るしかない。
夜になると、家の電気を消して、それぞれが枕やタオルケットを持ってきて、
テレビの前に集まる。
毎日のように、3人で映画鑑賞会をしていた。
母は決まって、映画を最後まで見ることなく眠っていたが…。

そして、映画を観終わった頃に母を起こし、
そこからは、なかなか帰ってこない父の帰りを、母は寝ずに待っていた。

弟がゲームをしていても、たった一台しかないテレビでするのだから、
しょっちゅう近くを通る。
歩くだけでミシミシいう床だから、時々、ドンッ!となってゲームが止まる。
何度、弟に怒られたことか。。。

夜中にゴソゴソと音がしたことがあった。
電気をつけると、動物の足跡が残っていて、
机の上の食べ物がなくなっていた。
イタチが入ってきたのだ!
3人で怯えながら、一緒に寝た。

そんな家で、よく生活していたと思うけど、
それはそれで、楽しい幼少期時代を過ごしていたと思っている。


なかなか会うことのできない父が、私に良く買ってくれたもの。
それは、なぜか本だった。
「偉人伝」や「世界の名作」から始まり、色々な本を買ってくれた。
かなり小さな頃から「これはいいぞ」と、
年齢に合っていないだろう文字の小さな分厚い本を与えられていた。

でも、なぜか、すぐに読めるようになった。
本の厚さが増すほどに、内容に深みや幅が広がり、面白くなる。

人は限れらた時間、自分の人生しか歩めない。
出会える人の数にも限りがある。
それでも本を手に取り、開けさえすれば、
時を超えた賢人たちが多くの知恵を授けてくれる。
多くの経験を共に味わわせてくれる。
私は、本が好きだった。

あまり会うこともできず、父親との関わりが少なかった私。
だけど、私が小学生の頃。
突然、父親が世界地図を買ってきた。
この家のどこに、こんな大きな地図を貼る場所があるのだろう?
唯一、何も家具を置いていなかった壁の一面に、世界地図が貼られた。
「日本はここや!今、ここにいる」
父親は、満足そうに世界地図を見ていた。

狭い我が家。
嫌でも、毎日毎日目に入ってくる世界地図。
おかげで、世界の地理を覚えるのが異様に早かった。
そして、いつからか私の意識が世界に向き始めた。

「ここは、どんな所なんだろう?
こんな小さな場所しか知らずに、一生を過ごすのは嫌だな。
いつか、世界を旅してみたい!」
そう、夢見るようになったのは父の世界地図のおかげだ。


家で、図工の工作をしていたら、父親が珍しく話しかけてきた。
「例えば、この板を前にして、金槌と釘を渡されたとする。
今まで、金槌と釘を見たことも、使ったこともなく、その使い方も知らなかったら、この釘を板に打ち込むまでに、どれだけの時間がかかる?」
私は、ポカンと父親を見ていた。

「お父さんは、その方法を知っている。
だから、ほら。一瞬で、釘を板に打ち込められた。
知識というのは、なくても生きていけるのかもしれない。
だけど、もし持っていたら、自分1人で考え、やり遂げられるまでに、
10年・20年どころか死んで終わるかもしれないところを、
たった、1年でできるかもしれない。
知識は、あった方が得じゃないか?」
そんな話をしてくれた。

このエピソードは、
「勉強をしなさい!」と言われなくても、勉強をしようと思ったきっかけの言葉。
何かを始める前に、まずは調べてみる・学んでみるという癖ができた言葉。

因みに、この頃の私が好きだったことは、
週末の新聞に挟まってくる、家の広告を見ることだった。
そして、裏が真っ白の広告に、自分の住みたい家の間取りを書いて遊んでいた。
いつか、大きな家でみんなで暮らしたい。
そう夢見ていた。

<幼少期のふじこポイント>
・世界を旅するイメージを持っていた
・読書を通して、想像する力が身についた
・自分の理想の住まいを、楽しくイメージしながら書いていた
・酷い家に住んでいたのだが、私はその生活を楽しんでいた
・不足を感じることなく暮らしていた
・調べること、学ぶことにプラスのイメージを持っていた

2、バイト生活

高校生になった私は、すぐにバイトをすることを決めた。
お小遣いをもらえなくても、自分で欲しいものを手に入れるため。
母親に負担をかけないため。
この頃から、早く自立したいと思うようになっていた。

初めてのバイトは、スーパーのレジ打ちで時給650円。
毎月6〜8万円程稼いでいたと思う。
バイトは楽しかった!
年齢も学校も違う様々な人達が集まり、仲良くなっていく。
バイトをすることに、何の苦もなかった。
初めて、自分の稼いだお金で、
洋服・メイク道具・お菓子を買い、
友達と好きなだけプリクラを撮り、遊びに行くことができた時。
すごく嬉しかったことを覚えている。
この頃から、すでに毎月の貯金を始めていた。

自分の労働に対して、お金が支払われる。
そのお金は、自分の好きなことやモノに変換される。
そして、そのお金が、また誰かのもとに届いて循環していく。

私がスーパーで働いてもらったお金で、お菓子を買えば、
このレジにお金が入ってくる。
このレジの中のお金から、私はバイト代をもらっている。
高校一年生。
自分の経験と目で、お金の流れがイメージできた瞬間だった。

貯めたバイト代を使って、バイクの免許を取りに行き、
原チャリを購入した。
私の人生で初めての大きなお買い物。

<高校時代のふじこポイント>
・仕事を楽しいと思えたこと
・自分でお金を稼ぐ経験をしたこと
・自分の稼いだお金で、10万を超える支払いができたこと

3、就職する

就職し、初任給をもらった時。
私は、迷わず母親にプレゼントを買った。
そして、毎月実家に5万円を入れることにした。
母親は、始めは受け取ろうとしなかったけど、これは自分で決めたことだった。

今まで、育ててもらった分を払いきることはできないだろうけど。
母親が楽になってくれれば嬉しい。
そう思って、毎月入れていた。
高校生になってバイトを始めてから、お小遣いはもらっていない。
それでも、今までの学費だって我が家にとっては大きな出費だった。
もう、私には1円も使わなくていいからね。
心から、そう思っていた。

毎月決まった額を貯金して、欲しいものを買ってもお金は余った。
母親と一緒に買い物に行ったり、ランチをしたり。
今までの生活では、できなかったことをするようになった。
多分だけど、
この頃には少しずつ我が家の生活は楽になっていたと思う。

私は、車の免許を取りに行って、軽自動車を購入した。
これが、人生で2回目の大きな買い物だった。
しかも一括払いにした。笑

<20代前半のふじこポイント>
・自分で決めた貯金額は守っていた
・家族のために、お金を使うことへの抵抗がなかった
・自分の稼いだお金で、100万を超える支払いができた

4、就職後の人間関係の変化

看護師となった私は、社会に出て様々なことを知る。

医者は、やっぱりお金持ちだった。
患者さまは、貧しい人から富裕層まで幅広く、
社会的地位のある方や、著名人なんかももちろんいた。

雑誌でしか見たことのないハイブランドの品が目の前に現れ始めた。
アルマーニのオーダースーツが、
病院で記録をする時に使っている椅子にかけてある。

就職した当時の私にとっては、衝撃的な光景だった。

私の父は、
「金持ちはズルいことばっかりしてる!」とか、
「景気が悪い」とか「政治が悪い」とか、
テレビを観ては、そんなことを言っていたが、
私の目の前に現れ始めたお金持ちの方々は、なんだか違う気がした。

看護師の先輩が連れて行ってくれる食事は、今までのお店と全然違う。
医師が連れて行ってくれる食事は、今までのお店と全然違う。
私は食事に行くために、洋服を買わなければいけなくなった。笑

私を取り巻く環境が少しずつ少しずつ変わっていった。

<社会に出た頃のふじこポイント>
・目の前にお金持ちが現れた
・父親から聞いていたお金持ちのイメージが崩れた
・自分の過ごす場所が変わり始めた
・初めての経験をいっぱい味わった

5、学びの時代

30歳を過ぎた頃。
私は、様々なことに興味を持ち始め、学びを始める。

自己啓発、ビジネス、スピリチュアル、潜在意識、個性心理学、
パーソナルカラー、着付け、SNSマーケティングなど。

正直、数え切れないが、
その学びへの自己投資金額800万越えているのは間違いない。
学びを始めてから、
ただの看護師だった私の周りに、経営者の友人や知人が増え始めた。

もはや、医者のレベルではない金額を稼いでいる人が
私の目の前に現れた。

この頃には、
私は実家を出て1人暮らしをしていて、
実家も立ち退きになって、引越しをしている。

私は今、自分の好きな場所に住んでいる。
欲しいモノがあれば、我慢することなく買う。
行きたい場所があれば、ぷらっと行く。
あの世界地図のおかげで、海外旅行は私の一番の趣味になった。

食べたいものを、食べる。
習いたいこと、学びたいことがあれば、習い事でもセミナーでも行く。
誰かへのプレゼントとか、お土産を選ぶのとかも好き。

友達も職場の人も、
今の私が「お金に困っている」というイメージを持っている人は、
あまりいないのではないだろうか。
決して、お金持ちではないが、
自分が自由に使えるお金を、必要なだけは持っている。
そういう印象を持たれているように思う。

しかーし!
忘れてはいないだろうか?
私の家が、大変貧しかったことを。

ーーー

もう一度、ポイントを振り返る。

<幼少期のふじこポイント>
・世界を旅するイメージを持っていた
・読書を通して、想像する力が身についた
・自分の理想の住まいを、楽しくイメージしながら書いていた
・酷い家に住んでいたのだが、私はその生活を楽しんでいた
・不足を感じることなく暮らしていた
・調べること、学ぶことにプラスのイメージを持っていた

<高校時代のふじこポイント>
・仕事を楽しいと思えたこと
・自分でお金を稼ぐ経験をしたこと
・自分の稼いだお金で、10万を超える支払いができたこと

<20代前半のふじこポイント>
・自分で決めた貯金額は守っていた
・家族のために、お金を使うことへの抵抗がなかった
・自分の稼いだお金で、100万を超える支払いができた

<社会に出た頃のふじこポイント>
・目の前にお金持ちが現れた
・父親から聞いていたお金持ちのイメージが崩れた
・自分の過ごす場所が変わり始めた
・初めての経験をいっぱい味わった

ここにヒントがあるのは分かるだろうか?

私は、ある時。
家族の中で、自分だけがお金に対するイメージが違うことに気付いた。

・お金に対するマイナスなイメージがない。
・お金を出すことに抵抗がない
・お金持ちに対するマイナスイメージがない
・お金を稼ぐことを楽しいことと思っている
・いつもお金に対する不足がない

父は典型的な「お金ブロック保有者」
だから、彼がお金持ちにはなれないのは分かる。
お金持ちの人に対する嫌悪感が強く、政治や景気のせいにする他責思考。
だからと言って、父は嫌いじゃない。

お金がなくたって、他責思考だっていいじゃないか!笑

母も完全な「お金ブロック保有者」
だから、彼女がお金に困るのは当たり前。
自分にはお金を稼ぐことはできない。自分はいつもお金がない。
母は、そういう思い込みから抜けられない。
だからと言って、母も嫌いじゃない。

どんな思い込みがあったって、お金がなくたっていいじゃないか!笑

というか、
分かりやすく「お金ブロック保有者」の2人がいてくれたおかげで、
私の理解は早かった。

ーーー

最後に、よく聞くワードを紹介したい。

『お金のある・ないに関わらず、不足を感じてはいけない』

貧乏な幼少期、私は幸せに生きていました。
貧乏だったから、いつも近くに家族がいて、楽しい時間をいっぱい過ごせた。
もはや、今はネタになっている。
貧乏だったから、味わえなかったこともあっただろう。
でも、貧乏だったから味わえたことがあったことも間違いなくある。
私の母のように、不足に目を向けてはいけないので要注意!笑

『お金に対するマイナスなイメージをもたないこと』

バイトをして、初めてもらったお給料。
就職して、初めてもらったお給料。
あの喜びは忘れられない。
お金を稼ぐことは楽しいことだと純粋に思った。
自分より、はるかにお金持ちな方ともどんどんと関わればいい。
素敵な方が、いっぱいいるよ!
私の父親の歪んだ考え方は、すぐに消えるから!笑


『先に出すから、自分に返ってくる』

お金は「大きなエネルギー」だと教えてもらった。
エネルギーを自分のところで止めてしまうと、流れが止まる。
お金を握りしめていると、入ってこなくなる。
循環をさせることで、どんどんとそのエネルギーが大きくなっていくらしい。
『先に与える』
これは、お金だけでなく、すべてに通じる本質的な話だろう。

ーーー

私が教えてもらった「お金のブロック」という言葉。
「お金のブロック」まみれの両親に育てられても、変わります。

幼少時代を過ごしたあの長屋はもうこの世になくて、
時々、あの頃の生活が幻想のように思うこともある。
本当に私の生活は変わった。

でも、昔のアルバムを開くと、
汚なくて、ボロボロだったあの家で、家族が楽しそうに笑っている写真がある。

『幸せはお金の多さと関係ない』これが真実。

『お金は多くのことを解決してくれる』これも真実。

私はどちらも経験していた上で、
「お金のブロック」があってもなくても、正直どっちでもいいと思う。
私自身が、必死にブロックを外そうと思ったことは一度もなく、
一緒に過ごす人が自然と変わっていく中で、少しずつ外れたのかもしれない。

『人生は、必要なタイミングで必要なことが起こる』

大丈夫。何とでもなるから。


ふじこ







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