左ききがかっこいいって話
こんにちは。ふじきむです。
さてさて復活本編第ニ弾。何のお話をしましょうかと思いつつ、スタンスが固まってないから早速ネタ切れ(早すぎる)
とりあえずと言っては何ですが自分の好きなものの話をします。
自分は左利きが好きです。
と言っても単に憧れてるだけです。
深い理由があるわけでなく単に右利きばっかでおもろしくないという理由で憧れてる厨二病真っ盛りさんです。
でもそんな浅い浅い理由だけで自分も左利きになろうと色々試してみて今では私生活だと割と右左両混合の利き手になりました。
例えば鉛筆は右、皿洗いは左、お箸は両方、投げるのは右だけどおもちこねるのは左(おもちをこねる機会がない)
とまぁ愛が変な方向に向いて突っ走っている最中ではありますが、このようなことを言うと割と左利きの方からは非難にあいます。
それもそのはず不便な点が多い。
日本人の9割が右利きのために右利きのために最適化された物が多いためです。
給食のおたま、自動改札機、漢字、はさみ、座席......
と枚挙に暇がないほど、、便利が不便を生んじゃってるんですよね。
まぁ「ものづくり大国日本」の中でよかれと思ってやっていることがマイノリティにしわよせがいっているのはうーむ...というお気持ちです。
それでも自分は左利きかっこいいなぁと思っておるわけですが、その理由って先も書いたように普通じゃない感じがするからなのかなと思っております。
実際左利きの方って1割程度いて、実はそんなに特別ではない存在なんだけども、ある種個性のひとつになりえるからなのかなといったところです。
元々個性への憧れ(とはいえ空気はすごく読む)と、
その反対として没個性/量産型への嫌悪が心の中にずっといて、人間は多様性が大事だとか一人一人を尊重すべきなんだとかいう薄っぺらい博愛主義を思ったりもしてるのですが...
まぁとはいえ人間そんなやすやす特別な存在にはなれんよなぁと華の94年組の一員だと余計に思うわけです(大谷翔平さん、羽生結弦さん、高木美保さんやらと同い年だと、ねぇ)。
何はともあれ、個性や多様性に関しては
「それぞれの価値観にあったそれ相応の尺度」で測ればよいのではと思い、これはいつかnoteに書きたいところ。
自分がいいと思っていればわざわざ他を貶さなくていい、周りがどうとかじゃなく自分の心が評価基準だと思うわけです。
というわけで、話が右往左往しましたが、その人たらしめる特徴の1つとして、分かりやすい指標として左利きっていう存在はいいんだよ、僕はやっぱり憧れる(?)んだよってお話でした。
もちろんユニバーサルデザイン的な話だと右も左も、手が使いにくい人だって過ごしやすいのが一番。そりゃそーだ。
今日はこの辺りで。ありがとうございました。
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