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日記 ~三毒と作業興奮~ 2019/07/20

作業をしようと思って行き着けの喫茶店について、スマホを忘れたことに気づいた。

メインはノーパソ使うので、まぁ無きゃ無いで別にいいんだけど。

そう思って取りかかろうとするものの、いろいろ意識が散ってて手につかない。

意識がふとそれたタイミングで、スマホを手に取ろうとして「あ、無いんだった」と気づく、というのを、かなりの頻度で繰り返している。

「ちょっとスマホを…」というとても太い意識の流れができていることに気づいた。

どんだけスマホ見たがってるんだよ、自分。

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じゃあスマホあったら何してたのか考えてみた。

・SNSのチェック
・メールのチェック
・ネットサーフィン

全くもって緊急度も重要度も高くない。

ちなみに、家にいたとしても、家のPCでこれをやっている。

これらは何の抵抗も障壁もなく、お手軽にやれちゃうことだから、ちょっとだけ見ようって思ってついつい始めてしまう。

で、気づくと時間が溶けていてる。

これじゃいかんとわかっちゃいるけど、やめられない。

イメージとして、PCの画面からバキュームで、顔面から集中力をずおおぉぉーと吸い取られているような感じがしてる。

なんかこう、「貪る」ってこういうことだなと思ってしまう。

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貪るで思い出したのだが、仏教用語で、人間もつ根源的な3つの煩悩に、『貪・瞋・痴(とん・じん・ち)』というものがある。

仏教用語。人間のもつ根元的な3つの悪徳のこと。自分の好むものをむさぼり求める貪欲,自分の嫌いなものを憎み嫌悪する瞋恚,ものごとに的確な判断が下せずに,迷い惑う愚痴の3つで,人を毒するから三毒,三不善根などとも呼ばれる。
コトバンクより

この三毒を象徴する動物があって、
貪→鶏
瞋→蛇
痴→豚
となっている。

先日NHKのSONGSという歌番組で、椎名林檎が自身の最新アルバム『鶏と蛇と豚』について三毒の話をしてたので知った。

で、この三毒は完全になくすことは人間にとって不可能であり、仏教的には、なくすのではなく制するのだそうな。

なくすのが目標ではなく、欲求を持つことも人であることを認識し、中道といい「ちょうどいい」状態を保つのが大事です。

つまり、これらの欲求に飲み込まれないようにするのと同時に、欲求をなくそうとしすぎないというのが良いということです。
神仏ネット 三毒・貪瞋痴(とんじんち)とは|煩悩を意味する三毒の意味(貪/瞋/痴)を解説より

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で、冒頭の喫茶店の自分に戻るのだけど。

結局スマホは見たくても無いので、諦めて作業に取りかかったら、だんだんとノってきた。

そこで思い出したのは、脳科学者の池谷裕二さんの言葉。

「やりはじめないとやる気は出ない」

結局、誘惑につながるものは遠ざけて、とりあえずやり始めることが大事なのだという、当たり前のことを実感したのだった。

ただ残念ながら、調子乗ってきたところで、閉店のお時間となってしまったのだった。

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