ある事を見て切なくなった

本日はHSP気質から少し離れた事で、街中で見かけた悲しい出来事について徒然と…。

地方都市の少し大きな駅から離れた繁華街の入り口で、一人の女性が道行く人に声を張り上げて訴えていた。

『手術代をください。お願いします!』

私はそれを信号待ちの車の中で見ていた。はじめは、いつもある街頭演説や街頭署名のお願いかと思ったが、どうやら一人で声を張り上げている。不思議に思って視線を足元へと向けると、毛布に包まれたペットの籠らしいものが置いてあり、その前にはホワイトボードで、『手術費用がないと死んでしまう…』などと書かれた文字が見えた。

籠の中身は毛布で囲まれていて見えなかったが、籠の隙間から多分導尿バッグらしき物が出されており、それがかろうじて何かの動物が管に繋がれているらしい事がわかった。

要は、自分のペットが死にそうであり、その手術費用が自分では払えないためにお金が欲しいという事をその女性は声を張り上げて言っているのだ。

だが、その女性を遠巻きに見る人はいるが、声を掛ける人も足を止める人も誰もいない状態だった。道行く人はほとんどが触らぬ神にたたりなし状態で、その女性の必死の訴えをスルーして足早に横断歩道を渡ってゆく人がほとんであった。

私はその光景がとても切なかった。必死で助けを訴えている人がいて、それを無視、あるいは無い事として通り過ぎてゆく人々がほとんどだったことだ。

女性の訴えに応じられないからみんな足早に通り過ぎてゆく人なのだろう。私も通り過ぎてゆく人達と同じく、ただ車内から見ていることしか出来なかったが、必死にお願いする女性の姿はとても切なかった。

心情としては助けてあげたい気持ちはあるが、果たして彼女の行為は本当に正しいものなのだろうか?

ペットを飼う事は大変な事だというのは、なにかしらペットを飼ったことがある人はわかると思う。

エサ代やらその他でペットはお金が掛かる。もちろん、病気をしたら病院に行くからその分お金も掛かる。だから、ペットを飼うという事は、ペットの命をその人が握っている事になる。

飼い主の経済状態でペットの命が決まるという時に、お金が足りないから治療が出来ないという事は多々あると思う。もちろん、そこに飼い主の死生観とかが絡んでくる。お金持ちならふんだんな治療で延命できるかもしれない。完治出来る病気だったらそれこそお金を払えばペットの命は長らえさせることが出来る。

だが、治療するお金がない場合、ペットは病気が進行して亡くなる。たぶん、大多数のペットを飼っている人がこの道だろう。そこに、飼い主の死生観によって、安楽死や見取りなどがあると思う。

街頭に立っていた女性も、たぶん、ペットが生きがいの人で、そのペットに高額な治療費が掛かる事でやむなくあのような訴えをしていたのだろう。

ただ、大事なペットなら寒空の下具合の悪い状態で、人も多いざわざわとした場所に連れてくるのはペットの寿命を縮めてしまわないかと心配する。もちろん、病気のペットを見せないと現状を訴えられないというのも分かるが、果たして本当に助けたいとする具合の悪いペットを、寒空の下で連れてくるのはやめてあげて欲しかった。

もしかしたら、新手の詐欺なのかもしれない。そう考えたくはないけれど、ペットをだしにして、お金をだまし取ろうとしてたのかもしれない。ただ、本当に自分のペットの状態をなんとかしたくて、恥をしのいであの場に立っていたとしたら、あれほど切ない行為はないな……と、思った。

ペットの命は短い。どうしても飼い主の考えや金銭的余裕の差で、寿命は左右されてしまう。だけど、言い方が悪いかもしれないが、そういう飼い主に飼われてしまったペットの運命なのかもしれない。治療が出来なくて亡くなってしまうのも、ある意味そのペットの寿命なのだろう。

骨折とかみたいに、繋げば治るというケガとかではない以上、病気というのはその部分を治せばそれでよしともならないものが多い。結局は痛みや苦しみを先延ばしするだけで、最終的に治療の行為がペットを苦しめる事も多い。ただ、飼い主としては苦しむペットを見ると、どうしても少しでも救ってやりたいと思ってしまい、あれこれと治療をしてしまうので、結果的に苦しむことを強要させてしまう。

ただ、安楽死も本当に楽には死ねないので、こればかりは飼い主の死生観に左右されると思う。私は、なるべくなら苦しみを長くさせたくはないと思うが、安楽死もさせたくはない。ペットが食べられなくなったら、それが寿命だと思い治療はしない。

これは本当に人それぞれが感じ方が違うので、どれも正解ではないし、どれも間違いでもない。

街頭で訴えていた女性の死生観はペットに手術を受けさせる事だろうし、そのためにあのように切ない行為をしていたのだろう。ただ、その訴えを聞いてくれる人が誰もいない事が、私にとっては悲しく、切ない記憶になってしまった。

お金で解決できる事、出来ない事、わかっていてもそれでも行動したこと。

あの女性とペットが少しでも心安らかな時間がとれることを祈りたい。


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