地名まちがい

 考古学で使う中国の地名のはなし。
 日本考古学でも同様なのだけど、中国でも考古資料や遺跡に関係する地名というのは、日本でいえば小字に相当するものが多く、あるいはそれよりももっとローカルな場合もある。
 そして地名を知るにあたってさらに厄介なのが、中国の漢字。現代中国で使う簡体字という漢字は、必ずしもすべての漢字が簡体化しているわけではなく、比較的単純な字形などの漢字で簡体化せずにそのまま使われているものもある。そのため簡体化した漢字が別の漢字と同じ字形になり、もともと全く別の漢字であるにもかかわらず、現代では同じ漢字で表記されるということがしばしばある。そして、われわれ日本人が使っている漢字も、古代に中国から伝わった元々の漢字そのままではない。簡略化された字や、「国字」という日本で独自に創作された漢字がかなりある。こういった事情が混じり合っているので、日本人にとって今の中国の簡体字はなかなか複雑だ。
 僕が研究している南朝陵墓の石獣のひとつは、その所在地の地名を「狮子冲」と書く。「狮子冲南朝陵墓石刻」と呼ぶ。「狮」=「獅」の簡体字、「冲」=「衝」の簡体字だから、中国語のわかる日本人は一般的に、日本語で書くときには「獅子衝」と書いてしまう。日本で刊行された中国史関係の本や論文にはそう書いてあるものが多いし、僕自身も心の片隅では“地名に衝撃の「衝」なんて変わってるなあ。ほんとかなあ。”という素朴な疑問をもちながらも、まあいいやと、「獅子衝」と表記していた時期がある。
 しかしこの日本漢字での表記はまちがいだった。以前、ずっと気になっていたので調べてみたのだ。現代中国語の漢字「冲」は二つの同音字をもっており、「衝」の簡体字、または「沖」だった。「沖」は地名に用いられる字で、谷あいの狭い平地のことをいうのだそうだ。たしかに南朝陵墓の石刻は三方を山や丘陵に囲まれた谷地形に設置されるのが原則で、「狮子冲」にある南朝陵墓石刻はその典型的な例のひとつだ。まさしく「狮子冲」の「冲」は、「沖」だったのだ。したがって日本漢字で表記する場合は、「獅子沖南朝陵墓石刻」とするのが正しい。これがわかったときは、もっと早く調べとくべきだったなあ、と反省した。
 でも、超ローカル地名なので、現地のごく附近に住んでいる人か考古関係者でないかぎり、南京人は「狮子冲」なんて地名、だれも知らないんだけど。

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