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西国26番 法華山一乗寺 ローカル線再生の旗手に乗り 命の輪廻の山寺へ

地域と連携しアイデアこらし3セク鉄道活性化

 神戸の新開地から神戸電鉄に乗った。六甲山の北にでて、長い長い緑のトンネルを抜けると広大な盆地が広がった。終着の粟生(小野市)でおりて北条鉄道に乗り換える。
 1両の気動車に、路線バスのように後ろから回数券をとって乗車する。
 エンジンが起動するとブルルルと床が細かく振動する。
 この響き、熊本の豊肥本線でも、のと鉄道でも、四万十川沿いの予土線でも体感した。お遍路後に乗ったときは、振動が子守歌になってよだれをたらして眠ってしまった。ディーゼルカーの振動身近だった日々は、新聞記者として一番楽しかった時期とかさなる。

 3駅めの「法華口」でおりる。木造駅舎がかわいい。隣にミニチュアの三重塔がたっている。

 北条鉄道の8駅のうち、法華口と播磨下里、長の3駅舎は国の有形登録文化財に指定されている。
 駅舎の戸を開けるとと「いらっしゃい!」と大きな声でむかえられた。
「駅舎工房モン・ファボリ」というカフェになっている。
 北条鉄道は1915年に開業し、戦時中の43年に国鉄北条線になった。85年に廃止され、地元加西市や兵庫県などが出資する第3セクターになった。13.6キロの区間を22分かけて1日17往復している。
 老朽化して荒れていた駅の再生は2012年、洗浄便座つきトイレの整備からはじまった。
 法華口駅では社会福祉法人が「モン・ファボリ」を開店し、地域の人が法華山一乗寺の国宝三重塔のミニチュアを寄贈した。播磨横田駅には駅舎兼ギャラリーがつくられた。
「ボランティア駅長」は駅の清掃をにないつつ、駅舎で趣味や特技を生かした活動をする。「駅ナカ婚活相談所」「切り絵教室」「お絵描き教室」などが開かれてきた。
「かぶと虫列車」「サンタ列車」「おでん列車」といったイベント列車も走らせている。
 2020年には法華口駅に列車の行き違い施設を整備した。駅員不在の無人駅で、運転士がICカードを利用することで運転指令員とつながり、単線を走る車両の行き違いを可能にした。従来1時間に1便が限界だったが、ラッシュは30分に1便運行できるようになった。
 そうした努力の結果、多くの3セク鉄道が経営難におちいるなか、新型コロナ流行前までは輸送人員は微増に転じていた。
 駅舎には「鶉野飛行場跡」の案内がある。かつて海軍姫路航空隊があり、今も1200メートルのコンクリート舗装の滑走路や防空壕がのこり、資料館もあるという。

日本酒発祥の地の古式ゆかしい酒の味

 法華口駅から国道を西にむかう。
 甲高いヒバリのさえずりや、ウグイスのすんだ鳴き声がひびく。30分ほどで「富久錦」の酒蔵がみえてきた。
 播磨地方は酒米の山田錦のふるさとだ。また、奈良時代に編纂された「播磨国風土記」に、神様に供えたごはんにかびが生えたからそのかびをつかって酒をつくった、という記述があることから、宍粟市の庭田神社が日本ではじめて麹をつかって酒をつくった「日本酒の発祥地」としている。宍粟市は2014年に「日本酒発祥の地宍粟市日本酒文化の普及の促進に関する条例」を制定した。
 ただし、「発祥地」を名乗っているのはここだけではない。
 島根県出雲市の佐香(さか)神社の鳥居には「酒造大祖佐香神社」ときざまれている。素戔嗚尊(スサノオノミコト)が「ヤシオリノ酒」でヤマタノオロチを退治した、という「古事記」の記述や、「神々が酒をつくって酒宴を開いた……」という「出雲国風土記」を根拠としている。
 宮崎県西都市の都萬(つま)神社も、祭神の木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)が甘酒をつくってお乳がわりに飲ませたという伝説から「日本酒発祥の地」としている。
 奈良市の正暦寺にも「日本清酒発祥之地」の碑がある。この寺の高度な醸造技術によって従来のにごり酒と異なる澄んだ酒が室町時代につくられたという。
 伊丹市は、豪商鴻池家の先祖が、近世初頭に清酒を大量に醸造する技術を開発したことから「清酒発祥の地」を名乗っている。
 どれが正しいのかわからないが、播磨も発祥の地なのだから、吟醸や大吟醸ではない昔ながらの酒がほしい。

 酒蔵のお姉さんにすすめられたのは「生酛純米 播州古式」。精米歩合70%で、心地よい酸味がある期待どおりの味だった。

男根型の石棒がまつられた睡蓮のため池

さびついた火の見櫓を見て集落の川沿いの小道をのぼるとため池があり、そのわきに小さなお堂がある。地蔵のまわりに、円柱の先に玉ねぎをつけたような形の、男根を模したと思われる石棒がいくつも立っている。

 五来重によると、古い信仰では、石棒を立てて道祖神や塞の神として拝んでいたのを、仏像の影響で神像がつくられ、神像に石棒をそえて道祖神または塞の神にした。石棒などの陽石・陰石は祖先のシンボルだったが、近代になると性的な興味を喚起するするようになり、明治維新の「淫祠邪教の禁」によって多くの石棒が撤去され、文字碑や石像だけがのこった。
 人類学者の中沢新一の父、中沢厚も五来と似た意見だ。
 もとは石棒のような古代からの信仰対象を御神体としてきたが、近代あるいは近世になって、本来の御神体を廃して、かわりにちゃちな鏡や御幣をもってきた、と推測している(石にやどるもの 甲斐の石神と石仏)。
「維新」はお行儀がよくて清潔な外見がお好きなのだ。伝説や宗教は外見だけきれいにととのえるほどその力を失っていく。
 えっ? 大阪の政治の話ではありませんよ。
 男根を思わせるあやしい石棒は、古代以来の素朴な信仰のにおいがして楽しい。

 ため池の暗い水面に白い大きな花が無数に咲いている(トップの写真)。蓮かと思ったら睡蓮だという。蓮は、水面より高い位置で花が咲き、葉に切れ込みがなく花托ができる。睡蓮は、水面に花が咲き、葉に切れ込みがあり花托ができないらしい。ちなみに有名なモネの絵は蓮ではなくて睡蓮だ。
 多くの仏像は「蓮華」の台座にすわっている。蓮華とは蓮や睡蓮のことだ。泥のなかに根をのばしながら、けがれのない美しい花を咲かせる姿が仏教では大切にされてきた。「汚れた俗世や煩悩にそまらず清らかである」ことを意味するという。

南への旅にそなえるツバメの子

 ため池から徒歩10分ほどの森にかこまれた窪地から、法華山一乗寺のまっすぐな石段をのぼる。

 50段で明治期に建てられた常行堂。ここから国宝の三重塔を見上げられる。

さらに50段で三重塔。新緑ごしの塔はみずみずしい命にいろどられている。みたび50段のぼった本堂からは三重塔を見下ろすことができる。

 納経して、本堂の縁側に出ると、木々のあいだを数十羽のツバメの子が乱舞している。生まれて1カ月たち、だいぶ上手に飛べるようになっている。9月末には南に旅立つのだ。

 村上鬼城の句を思いだす。

 生きかはり死にかはりして打つ田かな

 生まれて育って死んで、また生まれて……人も動物もみな死ぬのだけど、山や森は生きつづける。個々の生死を超越した大きな命の流れがある。ツバメの子の必死の姿は、そんな命の不思議をかんじさせる。

 本堂からさらに森をのぼると開基の法道仙人をまつる開山堂と、無数の石積みがある「賽の河原」があった。
 法道仙人は、インドから紫の雲に乗って飛来し、この地に八葉蓮華(8枚の花弁をもつ蓮の花)の形をした霊山を見つけて降り立ったと伝えられている。
 清潔な休憩舎で冷たいお茶をごちそうになってから帰途についた。ため池の睡蓮は午前中に見たときよりだいぶしおれている。
 この睡蓮は、八葉蓮華の伝説をもとに地元の人たちが育てたのかもしれない。伝説や信仰は人の心をうごかし、美しい風景を生み出す力になりうるのだ。

 蓮がうかび、水面の半分近くを太陽光発電のパネルにおおわれているアシガ池や、倉谷石仏を見て法華口駅にもどってきた。

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