親子の相性。
私が独身の頃よく会っていた友人には当時3歳の息子さんがいた。
彼女は息子さんが生まれてすぐ夫の転勤で隣の県に引っ越し、近所に友人も肉親もいない状況だった。
ダンナさんも残業ばかりだったのでものすごく孤独で大変な育児だったんだと思う。
私はお金がなかったけれどなるべく会いに行った。
今はその息子さんも高校生。
当時彼女がふと言ったことを思い出す。
「親と子どもにも相性があるんだって」
彼女と息子さんは私から見て
『相性がわるい』
ようには見えなかった。
でも彼女がそう言ったということは、
多少なりとも相性のズレを感じていたのだと思う。
とても大変そうだったから、そう感じたのかもしれない。
相性ばっちりの親子なんているのかはわからないけれど、
ちょっと気の毒だなと思う組み合わせは時々ある。
子どもさん本人はおっとりとして優しいのに、
親御さんはみんなのリーダーになることを求めていたり。
さて、我が家・・・
子どもと私のズレはとても大きいと思う。
自らの過去の記事を読んだ。
(過去、と言ってもまだ先月だった!最近・・)
私はこの中で
『自分の頭で考えること、
世界をいい方に変えられると信じられること、
変える方法と仲間を探し見つけ実行出来ること』
息子にそんな人間になって欲しいと願っていた。
通ってる学校が苦しいならばとオルタナティブスクールやフリースクール、伊那小学校、サマースクールに可能性を探っていた。
ことごとく不発。
今では息子が
『別にそんな人間になりたくはない』
と思っていることを実感している。
彼が苦しいのは学校のおともだちや先生に『強く言われる』ことなのであって、
決められたことをひたすらやったり競争を促されることには何も思わないようなのだ。
将来も息子はきっと、
『全て指示してくれて、
やり方を何回でも教えてくれて、
怒らないで褒めてくれる』
のがいいのだと思う。
その仕事が何のためにやるのかわからなくても、
その作業に意味があるのかわからなくても、
きっと彼は怒られないで時々褒めてもらえれば気にしない。
この、母と子の大きなズレ。
私はなかなか気付かなかった。
いや、たぶん気付きたくなかった。
『子どもは自由な生きもの』
だと勝手に思い込んでいた。
息子はそうではない。
指示されたい、
やることを決められたい、
決められたことをやることを褒められたい。
それこそが彼の主体性。
そんな息子にどう声をかければいいのか、
この頃本当にわからない。