『新鮮で学びが多かったヘルパー学校』

さて、また続き書いてみます。飽きたら辞めます(笑)😜
前回の投稿
37歳で福祉の世界へ転職した理由。

今でもよく覚えています。我が47年の人生で、一番変化があり大変な一年でした😲

2011年の1月末に、長らく18年間やっていた溶接工を辞めて、起業を目標にしていた貯金💰も使い果たし、一気に大金消費してしまい、貯金残高たったの19万円で、何も悪いことしてませんが、37歳で人生リスタート😢⤵️⤵️

2011年の2月半ばより、梅田にあった『ヘルパー2級(初任者研修)』学校に入学。
開講式で、何を話したか覚えてないけど、私の前に座っていたのが、今もfbで繋がっているIさんです。

何せ無職の残金19万円男(笑)
無能もええとこ⤵️社会の底辺丸出し。結婚を考えてた彼女にも振られ、短期で募集していたアルバイトの面接にも落ちて、終わってましたな。

学校卒業したら、5月から福祉の仕事とりあえず1年目標でやってみよう。合わなければ、どっかで雇われで、また溶接工やろう(一応、手に職はあったので、専門職の強み)と思ってました。

毎日、新鮮でしたねー。お金ないから雨の日以外は、梅田までチャリ1時間半漕いで通いました。その後、とうとう生活費がヤバくなったので、車とバイク売る羽目になりましたが💦

ヘルパー学校の生徒さんは、年齢もバラバラで、女性👩‍🦰の方が圧倒的に多く、皆さん何かしら事情があって、学校に来てる仲間の人達でした。
何もなくなったので、開き直ることが出来たので、図太い性格やったみたいです。

ただ、ヤンチャ上がりやし、勉強ロクにしたことないから、やり方分からず、どうしていいか周りの人達に聞いたりして、気が向けば復習はやってましたね。

37歳で学生やると、色んなものがみえてきます。人前で話すことも経験ないし、溶接の世界はすごく狭く、職人の世界は離れて、改めて独特な世界やったなと気付かされました。

傾聴を心掛け、クラスの皆にはヤンキーヘルパーと弄られ(笑) なかなか笑いに繋げることが出来ました。
せっかく金払って学生やってるんやし、楽しい方がええと思ってましたし👏
健康で、体力だけはあったので、アホンダラも悪くはない。
『元気があれば何でも出来る』
アントニオ猪木です(笑)

この辺りから、自分の性格にも変化が生まれました。
短期な性格が、緩和され目付きも優しくなった気がします。
周りの人に良く言われるようになったので、そうなのかなと。

そうこうしている内、忘れもしない3月11日の14時46分、授業中に、大きな地震が起こります。そう、東日本大震災が起こります。

学校卒業した2日後に、単独で福島県相馬市にバス🚎で行くことになります。



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