【37歳で福祉の世界へ転職した理由】

さてさて、早速ノートに書いてみます。
『37歳で福祉の世界へ転職した理由』
今まで、この内容は色んな人に良く聞かれたので、書いてみようと思います。

私は子供の頃から、勉強が嫌いで中卒の両親は、お互い手に職をつけ、自営で理容💈業。
散髪屋の次男坊でした。

両親共に、勉強しろとは言わなかった家庭に育ったのもあり、ロクに勉強もせず、小さい頃から『ものづくり』が好きな子供でした。

10歳の時に、ビルの上で火花散らして、防具着てガンガン仕事(溶接)している大人に憧れて、社会人になったら、あの仕事しようと、子供心に覚えてます。

高校卒業して、東大阪の某中規模の鉄工所へ就職。
この会社に決めたのは、家からまあまあ近く、面接だけやとゆう簡単な理由で。
当時はバブル全盛期で、19歳のクソガキがボーナス90万貰えるような会社でした。

やがて、バブルがはじけて不景気になり、当時はとにかく金が欲しい一心で仕事しながら、ガソリンスタンドでバイトしたり、若くて元気有り余ってたので、あまり休みを取らず、毎日動きまわってましたね!

18歳から37歳になるまで、転勤で埼玉県に4年間住むことになったり、人生一度、違う仕事しようと、2年程トラックの運転手したりと、ただただお金第一で働いてました。

特に埼玉県にいた4年間は、今までの人生で、人として成長出来た日々だったと思います。
今も多くの関東の仲間との付き合いもあります。

29歳で地元の八尾に戻り、40歳になるまでに一人で会社起こそう!
と、目標持っていたので、30歳過ぎてから、今まで勤めてた会社で取らせてもらった資格以外にも、自分で取れる資格はとりました。

・クレーン資格3種類
・溶接の資格3種類
・フォークリフトなど。

特に31歳から7年間勤めてた、東大阪のブラック企業(笑)では、毎日残業残業の会社で、上司から色んな仕事やらされ、心身共に疲弊しましたが、財布からお金が全く減らず、仕事のスキルもグングン上がって、独立の目標も叶えれるぞと、ストレスマックスでしたが、もうあそこまで今は頑張れないと思います。給料が40万近くあって、毎日帰りが遅く、休みも数える程だと、勝手にお金貯まります。

起業を考えてたので、毎年150万円つづ貯金してました。

そうこうしている内に、会社で事件が起こります。
盗難事件が2か月連続で起きたり、社長の社員分のみの、社会保険未納騒ぎがおき、先輩と社長があわや乱闘騒ぎ!
私の厚生年金も未納が分かり、20万円戻ってきたり・・・
専務と工場長以外は、人として見てなかった社長に腹をたて、上司2人が相次ぎ退職、二人とも私の少し歳が上の人でしたが、その後二人とも末期ガンを罹患が分かり、わずか数ヶ月で二人亡くなりました。

予期せぬことが続きました。
社長は、自分が正義の塊だった人でした。
死んだ元従業員のことも、社会保険未納の件も、まるでなかったことのようでした。

そして間もなく、新しい職人が数人入り、職場の雰囲気も以前と少し変わり、そうこうしている内に、2回目の社会保険未納事件が発覚!

当時、専務、工場長の下が私でしたので、辛抱出来ずに辞める前にハローワーク、労働基準監督署に相談をし、退職を決意。

ここでは書けない内容が起きまして、まるで社長は私が全て悪いかのような態度に豹変。今思えば、若い頃は、今の言葉でゆう『アウトロー』だった私が、事件起こしてもおかしくなかった環境でした。
自分で自分のこと褒めることはまあないけど、あの日だけはよく我慢出来たと、今だに思います。

その頃から、起業に向けてやれ銀行に融資の相談に行ったり、協力会社の人達に、独立する相談をしてたりして、動いていました。

起業したとしても、元いた会社からは、低単価でキツイ納期で使われるのが目に見えてたので、悔しいけど起業の道は一旦諦めることに。
信用出来る人に相談したら、今は起業する時期ではないと言われよう。判断は正しかったです

約18年間、ものづくりの仕事していたので、もう人に雇われて働くの嫌やなー!と思い、3日悩んで前から少し興味あったヘルパー学校に行くことに。

2009年の12月のことでした。
ボーナスもらって、社長に散々嫌味言われたけど、このオッサンと揉めても、何ら良いことないと分かってたので、退職届そっと出して、会社を去りました。職場の同僚にも何も言わず。で、当時付き合っていた彼女とも別れることになったので、ほんと一人になり、何もかも失って、あんなに生きてて気が抜けたことは、人生初です。

貯めてたお金は、高級外車1台新車で買える額です。しばらく遊んでも大丈夫でしたが、2週間程ボケーっと過ごしてましたが、このままでは人間腐ってしまうと思い、ヘルパー学校の申し込みを1か月早め、2011年2月から通うことになります。

大金持つと、ろくなことないので、貯金通帳から50万円だけ抜いて、母親に預けることに。
後に母親が実家の土地を購入するかどうか悩んでたので、半年後に、次男坊の私がキャッシュで購入。
貯金残高が19万円まで減りました(笑)

これで独立の夢を自分で経ち、福祉の道に舵を切りました。
37歳で、また1からやり直しです。1年やって、自分に合わなければ、また雇われで溶接工やろうと思ってましたが、2021年の5月現在、まだ福祉の世界にいるので、この決断は間違ってなかったのでしょう。



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