見出し画像

嫌われても別にいいじゃないですか

どうもフジフジです!

今回は人間関係がちょっと疲れた人のための記事となります。


少しでも心が軽くなったらいいなと思っております。

突然ですが、皆さんは人から嫌われた経験はありますか?

小中高、会社、親戚、友達…

色々思い出してみてください。
もしかしたら現在進行形で嫌われてしまっていて、それで悩んでいるかもしれません。

でも、安心してください。それって別に悪いことではないのです。

むしろ、嫌われるということは、自由の証であり、自分が幸福になるために努力しているという証でもあると僕は考えます。


僕は小中まですごく他人の目を気にして生きていました。

自分は内申のために学級委員や執行委員をしていたため、友達だけでなく先生からも好かれる立場にならなければならないと思い、対立を全然せずに誰とでも仲良くしようと心掛けていました。(それでも喧嘩になることはもちろんありました。)

正直いうと、僕のことを本気で嫌っていた人は1、2人くらいしか思いつきません(1学年160人くらいだった気がします。)

人から嫌われない人生はトラブルも少なく、かなり安定した生活でした。

しかし、どこか満たされていないと感じていました。

今でこそわかるのですが、それは他人の目を気にしすぎて生きているため、自分がやりたかったことができていなかったからです。

例えば小学校で、休み時間になると校庭で遊びますよね。


何して遊ぼうかとなった時、基本的に僕はやりたいことがあってもあまり積極的にこれがいいということができませんでした。

中学校では選手リレーにでたいと思ったのですが、他に出たそうな子がいたのであえて手をあげず、スムーズに選手決めができるように考えていました。

嫌いだなぁ~と思う人に対しても、一応笑顔を取り繕って接してきました。

問題を起こすと仕切る立場である僕が責められると思ったからです。

ほとんど人間関係に対して悩み(恋愛以外)はなかったのですが、自分のやりたいことができなかった、自分の好きなように生きていなかったなと思っています。

その思いが高校の途中くらいで爆発しました。

なんとか高校受験が終わり、無事に志望校に合格して、その時の自分はすごく浮かれてましたね。

「高校でたくさん友達作ってやる」

「ネタキャラになるか!面白そう!」

みたいに思っていました。

つまり高校デビューしようと思ってたわけですね(笑)

周りの人気ものになって、ワイワイして最高の青春を送りたかったのです。

でも聞いてください。最初4月くらいは上手くいったんですよ

10人くらいのグループに入れたんですよね~
しかも結構うえーい系みたいな。

高校って楽しいなぁ~とか最初の1、2ヶ月くらいは思ってましたね。

しかし、それは長くは続きませんでした。

僕自身の中で、なんか違うなぁ~と思い始めてきたのです。

自分がそのグループに入る時、かなりテンションの高いキャラで入りました。


でも僕自身本当はそんないつもテンションアゲアゲのキャラではないので、正直疲れてしまったんですよね。

それを察しられたのか分かりませんが、そのグループの人達から

「あれなんかお前暗くね?」

みたいな感じで言われることもたびたびありました。

あと個人的にそのグループに対して嫌なところも思いつくようになってしまいました。

例えば僕が何かボケた時に「死ねよ」しか帰ってこなかったり、

話が大抵先生や他のクラスの人の愚痴であったり、

本人がクラスにいるにも関わらず、「あいつブスじゃね」と大声で話していたり、

なんか自分の価値観とは違っている人達だったんだなぁと思い始めてきました。

その時、本当の自分を隠し、やたらに友達を作ってしまったことを本気で後悔していました。

そしてある時、「別に無理して関わる必要なくない?」と思って、夏休み過ぎたくらいから地道に関わりを無くしていくようにしました。

そしたらなぜか敵対視されるようになりましたね。やはり一度グループにはいってから抜け出すと、本能的に「裏切り者」とでも変換されるのですかね。

グループから遠ざかったことにより、かなり愚痴を言われましたね。直接言ってくることはなかったのですが。

最初のうちは本当に辛かったですね。僕基本的に揉め事を起こさないようにしていたので愚痴を言われたり嫌われるということに慣れてなかったので余計しんどかったです。

でも次第に「やっぱり友達ではなかったんだな」と思いましたね。本当に友達と思ってたらなんか話を聞いてくれたりすると思いますし、敵対視するようなことはないと思います。

そして人間関係に悩み続けてたのですが、ある日この本がすごく人気となりました。

それが「嫌われる勇気」です。


人間関係に疲れていた僕にもっとも心に響いた言葉は以下のものです。

自由とは、他者から嫌われることである。」

他者の評価をきにかけず、他者から嫌われることを恐れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。つまり自由になれない

この言葉を読んだとき、自分の判断は間違いではなかったと思い、一気に悩みが吹き飛びました。

自分は自分が心地よく生きていくために、人間関係の取捨選択を行っただけである。だから嫌いな人達と無理して関わる必要はないか。

そこから僕はだんだんと良い意味で人目を気にしなくなり、自分がしたいことにフォーカスできる人生になっていきました。

浪人するときも、「俺浪人するわーw」みたいな感じで誰にでも言うことができました。知らず知らずのうちにマインドも強くなっていったのです。



生命には終わりがあります。

例えこの先自分の夢が叶おうが叶うまいが、いずれはこの世を去るときがきます。

であれば、重要なのは生きている長さではなく、生きているときに何ができるかだと思います。

自分の人生は有限です。
本当に嫌いな人達のためにその貴重な時間を割いててもいいんでしょうか。

僕はもっと自分に、そして自分の好きな人達のために人生を削りたいと思っています。


そのためには、「嫌われる勇気」が必要だと思います。

そもそも全員から好かれるって無理じゃないですか?

いくら優しくしようが、厳しくしようが人は嫌いになったりします。

自分が自由になるため、夢を叶えるためには、何かを捨てなければならないのです。

進撃の巨人でも以下のような言葉があります。

何かを変えることの出来る人間がいるとしら、
その人はきっと、

大事なものを捨てることができる人だ。

何も捨てることができない人には、
何も変えることができないだろう。

自分のなりたいものに対して、悔いのない判断をしていきたいですね。

今回はこれで終わりです。ありがとうございました!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?