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essay#0 一節
いずれ死ぬのであれば、死後、美しい生き様だったと言われるような人でありたいと思ってきた。
立派でも、かっこいいでも、可愛いでも、綺麗でもなく、美しい、美しかった、と言われる人生がいい。
実際のところ、27年間の私の人生は美しく進んできたのかと聞かれたらうまく答えられない。
多分、もっと幼く、拙く、がむしゃらなようで実はゆるっとしていて、だらしないものな気がする。
そもそも美しいという価値観が、なにかしら美しくない他のモノとの差分によってしか認識できないのであれば、私は今死んだところで、そんなに美しくないほうに入るんじゃないだろうか。
この世の中には美しいものがたくさん溢れている。
私はその中で、どんな生き方、どんな死に方をするのだろうか。
そんなことを言ったところで、何が美しいのか自分の中でもはっきりしないので、美しいな、と思った一節を忘れないように記していきたいと思った。
最初の一節は、もう決まっている。
忘れないことしか出来ない
夜を越えて続く僕の旅
私のnoteはこの歌詞みたいな旅だ。
頭の中に残しておく以外なかった記憶や言葉を、なんとか世の中に産み落としていく作業で出来ている。
無かったことにしたくないけれど、今さら誰に伝えることもできない、弱く情けない手紙を少しずつ記しては、届かない誰かを思い浮かべている。
いつか「私にとっての美しい一節」を集めたこの記事は、私に何を教えてくれるんだろうか。
この忘れないことしかできない言葉を紡ぐ夜の旅のなかで、私は何を見つけられるんだろうか。
***
歳月は右から左へ過ぎ去るものではない。
時間は燃え尽きることのない蚊取り線香のように、うずまき状に進んでいる。
樹木が年輪を重ねるように、三十九才のぼくのなかには、九才のぼくがひそんでいて、いつでも出会いなおすことができる。
町の姿はあたらしくつくり変えられていたとしても、どこかしらにながい年月居座り続けている石がいるものだ。
「この世は神さまが作ったお芝居だ」という考え方がインドにはある。(中略)
人間はそれぞれの役割を演じているだけ。うまくいかないこともたくさんある。目の前のことに悩み、ちょっとしたことばに落ち込んでしまう。だが、ときにはその芝居を美しいと感じ、楽しめるのもまた人間なのだ。
窓に暗幕を張り、映写機にリールをセットする。スイッチを入れると、ほこりの雨を通り抜けて、一直線の光がスクリーンを照らし出す。
詩は学校の作文とはまったくちがう。(中略)いま目の前に見えるもの、自分のこころにうかんでいることを、そのまま書けばいい。
ことばは必要なときに、いちばんよいタイミングでやってきて、ぼくらのもとで花を咲かせる。花のなかには種が眠っている。その種をまた次のだれかに手渡してもらえることをこころから祈っている。
その昔、涙は彼女の体じゅうを川のようにめぐっていて、悲しみをやさしく解き放ってくれていた。でも、それももう過去の話。今はすべてが暗い海に吸いこまれて、黒い波がひたひたと嵩を増していくだけだった。
未来の科学者でさえ、わたしたちのいだいた大いなる夢や野望を解き明かすことはできないし、そもそも未来の科学者などいない。完全に失われて二度と元に戻らないものが、この世にはある。
羨望や嫉妬はいつだって、そうなれたかもしれない自分を打ち消すための毒ガスだ。
今にもしゃがみ込みそうになっている自分の体を、何とか立たせ続ける。 あのころは、自分たちの漫画もそうでありたいと、瀬古と何度も語り合った。そんな日々が懐かしくて、何より、恥ずかしい。
リアル。熱。切実さ。本音。噓のなさ。
それらを真っ直ぐに守り続けることができると信じていた自分は、確かに、存在していたのだ。
唯一、誰にも曲げられず、何にも奪われないもの。それは、その人自身が築き上げた歴史と、そこから手に入れた技術だ。(中略)
その事実に励まされるうちは、ライブという場所が大好きだった。
その事実に傷つくようになってからは、ライブという場所に行けなくなった。
変わりゆく世界の軌跡が曲線ならば、自分の中にある物差しを変えない人々の歴史は直線だ。
確固たる世界があり、そこに時代のアイコンが代わる代わる出入りしているのではない。
直線の歴史に、曲線の世界のほうが絡まるのだ。
and more…
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