見出し画像

狭夜衣鴛鴦剣翅(さよごろもおしどりのつるぎば) [現行上演のない浄瑠璃を読む #10]

初演=元文4年[1739]8月 大坂豊竹座
作者=並木宗輔

太平記の世界が舞台。

新田義貞が討死し、足利(北朝)と新田(南朝)の対立が一旦終わる。
新田義貞の持っていた名刀・鬼切丸の錦の袋の内側には、足利追討の南朝の綸旨が入っていた。北国に居を構える義貞の弟・義助の挙兵の正当性を得るには、これが必要である。

義貞の家臣であった塩谷判官は、これを目的として足利に投降していた。暗愚な足利直義は義貞の妻・匂当の内侍を狙っており、塩谷判官は匂当の内侍と引き換えに、高師直が持ち帰ったという鬼切丸を要請。直義はそれくらいやるよと鬼切丸を塩谷判官に渡すが、刀は戻されど錦の袋がついてない。もとからなかったのか? 誰かが隠しているのか? 鬼切丸を持ち帰ったのは足利家の執権・高師直だが、師直は鎌倉出張中のため、彼の帰洛後という話になる。

帰洛した高師直は、雨の中、偶然傘へ入れてやった美女に恋煩いになる。美女は塩冶の屋敷へ入っていった。ということは、あの美女は塩谷判官の妻・かほよ。館の中を覗くと湯上りのかほよの姿が見え、師直は舞い上がる。師直は屋敷に出入りする牧の侍従を取り込み、かほよへ恋歌を渡して、返事をもらおうとしつこく迫る。牧の侍従は嫌がるかほよを夫のためと説得し、なんとか返歌をもらう。

そんなこんなしているうち、師直は恋煩いが重くなり、床に伏して出仕しなくなる。代理として、師直の母・高寿院が執権の仕事をつとめるようになる。
高寿院は塩冶の屋敷を訪ね、匂当の内侍を受け取ろうとするが、匂当の内侍は何者かに殺害され、鬼切丸が紛失する。盗人を追っていた塩谷判官は血刀を持っていたため、内侍殺害の疑惑をかけられ、二心ありとして捕らえられる。塩谷判官は打首となり、首は四条河原に晒されることにされるが、かほよ達がそれを取り戻す前に、首は何者かによって盗まれる。

一方、高師直の妻・当麻御前は夫の看病を許されないことに悩んでいる。そんなとき、姑である高寿院から呼び出され、突然離縁を言い渡される。理由は、かほよを師直の正妻として迎え、息子の死に瀕した恋煩いを助けるため。当麻御前は当惑するが、夫のためと我慢して、かほよの嫁入りを影から見ている。高寿院の導きにより、かほよは師直の寝所に入るが、そのとき……

(以上 三段目までのあらすじ)



1-3段目はかなり綿密に組まれた内容で、ギミックはかなり面白い。
入れ替え自体はよくあることだが、無駄がなくスッキリしており、腑に落ちる。ネタバレすると、「牧の侍従」ははじめから存在しておらず、その正体はかほよ。かほよと思われていた人物が匂当の内侍だったという設定になっている。すべては匂当の内侍の安全を確保し、鬼切丸の袋に封じられた綸旨を取り返すための塩谷判官の策略だった。

高師直が実は賢人で、キモムーブがすべて策略だったというのは、おなじく並木宗輔作の太平記物『尊氏将軍二代鑑』と同じ。
かほよの正体が匂当の内侍というアタリをつけた高師直は、かほよに惚れていると見せかけ、彼女の正体の確証を得ようと動く。しつこくキモLOVE LETTERを送っていたのも、自筆を手に入れて、匂当の内侍の手跡と判定しようとしていたためだった。
綺麗にまとまった「実は」。近松半二ほどのハッタリめいたドンデン返し、価値観のひっくり返りはないが、それゆえの落ち着きの良さがある。往年の角川映画の横溝正史ものみたいな感じ。物語の暗く湿度が高い雰囲気にも似合っている。


先ほど、ギミック「は」かなり面白い、と書いたが、シチュエーション設定はどうかと思う。
この頃の並木宗輔の作風(特にこの作品)を指して「封建社会で虐げられた女性の悲哀が描けている」とする評価をしばしば見るが、ほんとに?
なんだか、そういう評価をする感覚自体がいまやもう完全なる時代遅れに感じる。あたらしい批評の出現が必要だと思う。
というわけで、私が感じている違和感を少し書いておこうと思う。

私が気になるのは、女性が全員同じような性格で、同じような行動をとること。
並木宗輔が女の嫉妬というテーマに異様に執着しているのはわかるのだが、嫉妬の質感がどの作品も全部同じなのが非常に気になる。
そりゃ当時は女の嫉妬はテンプレ的「悪徳」だったんだろうけど、当時の芝居の価値観の限界なのか、並木宗輔が本質的なところで女性描写がうまくなかったのか(私は近松半二のほうが女性描写うまいと思う)、それともそういうご性癖だったのか。
いや、もはや、明らかなミソジニーを感じる。

並木宗輔の描く女性の嫉妬は「嫉妬の気持ちが我慢できないけど、よくないことだとは思ってる」的な煩悶がメインだが、なぜ全員がそこまで同じように煩悶して、夫の本心がわかったら許す(嫉妬したことを後悔する)という展開になるんだ……?
嫉妬のもとは、実は「正当な」本心がある夫の裏切りの、本心を知らなかったゆえの思い込みだが、本心があろうがなかろうが、夫の背信行為は事実としてあったのだから、そこでもう関係は崩れている。嫉妬以上の問題が発生しませんかね、というのが最大の疑問なんですが……。
並木宗輔の前歴が僧侶であったことと何か関係あるのか?

どうせ女の嫉妬を描くなら、高師直の妻と母の役割を逆転させたほうがよいのではと思った。
高師直のママ・高寿院は、やたら重要な役である。こんなに老婆がものすごく出張ってくるもの、初めて読んだ。出張ってくるとはいっても、和藤内のママとか、物語の鍵になる役という意味での重要とは、また意味が違う。とにかく物理的にめちゃくちゃたくさん出てきて、いろいろ行動するのだ。
高寿院は、息子への愛ゆえに、異様な行動をとる。高寿院は息子に代わって上使をつとめたりと、執権職を行う。昼はそういうお仕事、家に帰ったらすぐ息子の看病(老婆なのに!)。あげくの果てには、息子のために何の落ち度もない嫁を離縁したり。なぜそこまでというほど、もうすでに立派に大人になっているはずの息子を猫可愛がわりしている。高師直はマザコンなのかと思う過保護ぶり。『仮名手本忠臣蔵』の影響で高師直はジジイのようなイメージなので、ギョッとする(本作だとたぶんもっと若い、菅丞相くらい?)。
このママの不気味さをいかし、ただでさえ嫁に「奪われ」ている息子の愛を、ほかの女がさらに「奪おう」とする。それに堪え兼ね……、としたほうが、重要な役の女性が3人も出てくることをいかせると思うが、そういう時代じゃなかったってことね。

最後の四段目は、かほよが主人公になる。
かほよの両親は、ひそかに新田家から足利義直に寝返っていた。そのため、塩谷判官夫妻は義助への顔立てとして、かほよの両親を殺さざるを得なくなる。
ここまでは塩谷判官の策謀にすべて従ってきたかほよが、その策謀にまた従うのかという葛藤を描いていて、一応、義理詰の悲哀だと言いたいのだとは思うが、さすがにこれは設定でしかないような。ちょっと無理を感じた。
そして、並木宗輔名物、子供が残酷に死ぬシーンが入っているが、もう、病気だろ。お前、ちいかわ大好きだろって感じの、ちっちゃくてかわいいものへの虐待嗜好を感じる。


noteで最後に記事を書いた並木宗輔作品『後三年奥州軍記』からこの『狭夜衣鴛鴦剣翅』までのあいだには、10年の歳月が経過している。
並木宗輔は、その間、21作を書いている。
『後三年奥州軍記』のころは暗く地味な雰囲気だったが、そのあとしばらくしてやや作風が明るく華やかになったものの、再び暗くなり、単に暗いだけでなくどんどん陰湿な方向になってきている。
『狭夜衣鴛鴦剣翅』は、そんな並木宗輔の執筆ペースが落ちてきた頃の作品。並木宗輔はこのあと『鶊山姫捨松』ほか数作を書いて豊竹座を辞し、歌舞伎へ転向する。
『鶊山姫捨松』は、以前、文楽劇場で上演されたときに全段を読んだが、全文にわたってまじでかなり病んでいるので、この頃は精神的におかしくなっていたのではと感じる。このころのソースケに一体なにが……


最近noteをまったく更新していなかったが、またポツポツ書いていこうかなと思う。
でも、noteじゃなくてメインブログに統一しようかなとも思う。noteは芸術文化関係、劇評、書評なんかの記事を書いている人も多いので、場所としては良いのだが、経営母体のスキャンダル、多すぎとちゃいますかね……。


読む方法
『新日本古典文学大系 93 竹田出雲・並木宗輔浄瑠璃集』岩波書店/1991

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?