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創薬研究の経験をサプリメント開発に 発芽そば発酵エキスのエビデンスを蓄積していきます

学術顧問の望月です。生まれ育った地元・静岡に戻り、不二バイオファームで仕事をするようになってから1年が経ちました。長年の創薬研究の経験を活かし、現在は発芽そば発酵エキスの作用機序を検証しているところです。社会人になったときと変わらず、 “人の役に立つ仕事をしたい”という想いを大切にしながら、自信を持って発芽そば発酵エキスをお届けできるように研究を続けていきます。

東工大の修士課程修了後、創薬研究の道へ

私が不二バイオファームに来たのは、2019年10月のことです。2020年に入ってから始めたnoteは、常務の前島と学術顧問を務めている私が中心となって編集しています。私も、これまでにいくつかの記事を更新してきました。記事の内容は、国内外で報告された間質性膀胱炎関連の情報が中心です。一方で、ここまで私自身のことをお話ししたことはありませんでした。発芽そば発酵エキスの研究に携わるようになって1年。いいタイミングですから、今回は自己紹介をさせていただこうと思います。

私は1955年2月に生まれ、高校を卒業するまで静岡県の富士市で過ごしました。高校卒業後は東京に移り、1977年に東京工業大学高分子工学科を卒業、1979年に修士課程を修了しました。2000年にノーベル化学賞を受賞した白川英樹博士が導電性のポリアセチレンフィルム、いわゆる“電気を通すプラスチック”の合成に成功したのが、東工大の高分子工学科です。私も、大学と大学院では高分子の研究を続けてきました。

大学院修了

東京工業大学の修士課程を修了した後、持田製薬で創薬研究を続けてきました。写真左が望月です

その後、持田製薬株式会社に入社してから26年間携わってきたのが、創薬研究です。もともと化学や薬学が好きだったことに加え、人の役に立つ仕事に就きたいという思いがあり、健康を支える創薬研究の道を選びました。入社後は勉強、勉強の毎日でした。社員教育がとてもしっかりしている会社でしたので、“土曜日の授業”などで薬理に必要な基礎をイチから学んでいきました。

1989年には、抗生物質の薬理研究で東工大より理学博士号を取得。1990~1996年に抗真菌剤の国際開発のプロジェクトマネジャーを経験した後、40歳になった1996年に研究所長となり、合成・薬理・安全性・薬物動態、バイオサイエンス研究の企画立案、他社との共同研究の推進、プロジェクトや人事の管理監督を行ってきました。

2005年1月には、持田製薬のライセンス部に異動になりましたが、創薬研究を継続するために、同年4月に東レ株式会社医薬研究所に転職し、2013年2月まで勤務しました。東レ医薬研究所では、創薬薬理研究室長として薬理研究組織の活性化を図るとともに、非臨床チーフライターとして透析患者さんの難治性掻痒に使用される止痒薬の新薬申請業務を担当し、新薬上市を成功させました。この業績により、社長賞も受賞しております。とても貴重な経験となりました。

人の役に立つ仕事をしたいという想いは変わらない

2013年3月には、東レ株式会社の関係会社である鎌倉テクノサイエンス(非臨床試験CRO)に代表取締役社長として転籍し、医薬品・医療機器などの安全性・薬物動態・薬理・分子生物の受託業務を行う会社を経営してきました。

2013年と2014年の2回、東工大の非常勤講師となり、薬の開発に関する特別講義を行うとともに、横浜市立大学の「翻訳後修飾プロテオミクス医療研究拠点の形成」という産学連携プロジェクトの諮問委員を2013年から2018年3月まで務めた経験もあります。2016年6月には社長を退任し、相談役(非常勤)に就任。2017年6月に退職し、2019年10月以降は畑仕事に精を出しながら、地元・富士市に隣接する富士宮市にある不二バイオファームで仕事を続けています。

シンガポール(2005)

趣味は旅行です。写真は2005年、妻とシンガポールにて

創薬には長い時間、そして大きなコストと労力が必要です。一生のうち、新薬を世に出せる幸運に恵まれる人は限られています。それに対し、サプリメントは商品を必要な人にスピーディに届けていくことが可能です。もちろん、有効性を示すデータや安全性の確認を軽視してはなりません。

畑にて2018年)

畑仕事も静岡に戻ってきてからの楽しみの一つになっています

最近は、大手の食品メーカーで研究・開発されたサプリメントの品質も上がってきていると感じています。私たちも、自信を持って発芽そば発酵エキスをお届けできるように、研究を続けているところです。人の役に立つ仕事をしたいというのは、新入社員のときと変わっていません。

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