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~~なぜこれほど「思いやり」のない日本人になってしまったのか~~井深大『あと半分の教育』をご紹介します。

こんにちは。
【むげんまる】藤原 章人です。
ご覧いただきありがとうございます。


一冊の本を手に取りまして
今回はこれを紹介したいと思います。

ご存じ、ソニーの創業者・井深大氏です。
1985(昭和60)年の刊行。

現代社会・教育・精神性の病理そのものを指摘し
知識のみの教育だけでなく、
置き忘れてきた「あと半分の」心の教育・人間性の教育に目を向ける必要があると主張されています。

言われれば、当然のことと思う方も多いでしょう。
でも現代日本は、そのような社会ではありません。

社会を先導していくはずの人々が、これを語れない状態です。
庶民の間でも普通に認識され、語り合うことができたはずの話ができていません。

それを言うと「テレビで言ってないことだからそれは違う」となる始末です。
事なかれ主義・拝金主義・自分さえよければ主義は、目を覆いたくなるほどです
この時代から40年経ち、まさに存亡の問題に直面しています。

何を変えていく必要があるでしょうか。
それは、決して難しいことではありません。

◎まず、タテマエで語ることをやめて、本音に気付くこと
 頭で考えてわかることなんて、ほんの少し。本当は体感で、魂で知っている。
◎今流されている情報の裏側を知ろうという気持ちをもち、調べること
(昔はこうして当たり前に話されていたのです)
◎思いを同じくする仲間とつながっていくこと など

何事も人任せでは、道は開けません。
自分の、家族の、社会の未来は、自分で開くものです。


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この本から、いくつか引用させていただきます。

【日本人に欠けてきている〝思いやり〟の気持ち】

・・・世界各国の人々に比べ、最近の日本人には、この〝思いやり〟の気持ちが欠けているという意見があります。その点、東京大学教授の木村尚三郎氏の主張には、まことに興味深いものがあります。私のような企業人にとっては耳が痛い指摘もありますが、参考のために木村氏の主張をここに紹介しておきましょう。
・・・
「しかしながら私たちは、一日八時間ないし八時間以上働くべきだという思い込みの中に生きていて、一日三時間しか働かない人、あるいは全く働かないで貧乏な人に対しては、何の同情心もない。むしろそういう人たちを〝怠けもの〟と言って攻撃する。
 それに対して、ヨーロッパのほうは、一日八時間以上働く自由も認めれば、一日三時間しか働かない自由、あるいは全然働かないで生きる自由をも認める。・・・そういう、一人一人が生き方を選ぶ自由は、わが国には全くない。全体が一つの価値観の中で生きていて、そこからはずれたものを非難する。〝思いやり〟という言い方は私の好きな言い方ではあるが、違った生き方、物の考え方に対する思いやりがこれほど乏しい国民は珍しいのではないか」。
 このような木村氏の意見には、もちろん異論のある人もいるでしょう。私自身も、すぐに二、三の反論―とくに〝自由〟という言葉の使い方に対して―が思い浮かびます。しかし、木村氏の主張をヨーロッパ(やアメリカ)が日本をどうとらえているかという視点でとらえ返せば、たいへん有益な問題提起になっていると思うのです。
 私たち日本人は、自らの国民性に根ざした〝思いやり〟をどう育て、どう実現していかなければならないか。この問いは誰もが一度は真剣に熟考してみなければならないものだと私は思います。

【これまでの日本の教育で忘れられていた「あと半分の教育」】

・・・
 かつての日本人は、大家族制度の中で厳しくしつけられることによって人間形成の基礎をたたき込まれ、寺子屋の徳育制度によって、人が禽獣にならないための人間性を教育されていました。そうした教育システムの成果が、親孝行や恩返しといった人間の普遍的価値を日本人の国民性として植えつけることになったのです。〝思いやり〟という言葉も、まさにこうした日本の国民性を代表する言葉だったと思います。
 ところが、こうした教育理念は、明治以降の〝追いつき追い越せ〟を目標に定めた教育の中で、次第に忘れられていきました。とくに戦後は、まだ家族制とともに残っていた〝しつけ〟までが学校教育に吸収され、形骸化されてきました。その結果が今日見られるさまざまな教育問題であり、世界一〝思いやり〟のない国民だという非難(あるいは自己批判)となって現われてきていることは、論をまたない事実だと思います。
 結局、これまでの日本の教育は、知的教育という〝半分の教育〟しか追求してこず、心の教育あるいは人間性教育としての〝人間づくり〟という〝あと半分の教育〟を置き忘れてきたのです。「教育は何なのか」という教育本来の目的を真剣に問い、さらにそこから導き出されるビジョンに向かって前進していくためには、何よりもこの〝あと半分の教育〟に目を向けていく必要があると、私は声を大にして訴えたいのです。

【今日の日本を予言していたゲッペルスの十九の警告】

 私はこれまで、今日の教育の問題の背景にある社会風潮の問題については、あえて言及を避けてきました。しかし、さらに問題の本質に迫っていくためには、このことを抜きにすることはできません。もちろん、こと改めて現代日本の社会批評をやろうというわけではありませんが、ひじょうに示唆的だったある本の一節を引用することでで、この問題を考えていく際の一つのヒントを提供しておきたいと思います。
「わが国として気をつけねばならないことは、わが国に向けられている数々の企てである。それは、愛国心の消滅、悪平等主義、拝金主義、過度の自由要求、道徳軽視、3S(スポーツ・スクリーン・セックス)の奨励、ことなかれ主義の政策、無気力・無信念、義理人情の抹殺、俗吏・属僚の横行、否定・消極主義、自然主義、刹那主義、尖端主義、国粋主義の否定、享楽主義、恋愛至上主義、家族制度の崩壊、民族的歴史観の否定。以上十九の企てをもって、わが国の持っているひじょうに理想的なものをつぶそうとかかってくる強い勢力がある」(『日本人に謝りたい』モルデカイ・モーゼル・久保田政男訳より)
 私はこの文章を読んだとき、これこそまさに戦後から現在に至る日本の姿ではないかと思い、愕然としてしまいました。次々に挙げられる十九の〝悪しき企て〟の一つひとつが、現代日本の社会にもののみごとにあてはまるではありませんか。
 ・・・
 誰の言葉と思いますか。じつはこれは一九三四年、ドイツの宣伝相ゲッペルスが、ドイツ国民に与えた十九の警告なのです。ゲッペルスは、〝ひじょうに強大な超国家的勢力〟(すなわちユダヤ人)が、文明の破壊にもつながる心理戦、神経戦を挑んできていることを察知し、これに対してドイツ国民は十分に警戒せねばならないと考えました。
 ・・・ゲッペルスの属したナチスドイツは歴史の大きな流れの中で悲劇的な結末を迎えました。しかし、ゲッペルスがその時点で、祖国を憂えた内容は、まさにいまの日本に当てはめてもおかしくない警告なのです。ゲッペルスがこれら十九の〝悪しき企て〟を総称して〝人間獣化計画〟と呼んでいる点も、日本人の別名〝エコノミック・アニマル〟と対応しているようで、たいへん興味深く思われます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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