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【自由】なぜ今旅に出るのか

こんにちは松ふじです。3/20に無事大学を卒業できました。
その日はエアビーで宿を借りてサークルの同期と夜を明かしたのですが、21日に目が覚めたとき僕の肩書きが無職になったことに後から気がつきました。
大学生面で目覚めてしまってすいません。



最近は色々な人の思想に触れる機会を積極的に設けているのですが、そんな中出会ったのがエーリッヒ・フロムです。

フロムはユダヤ系ドイツ人の社会心理学者、哲学者であり、新フロイト派やフロイト左派などと呼ばれるように、フロイトの精神分析を社会学で応用しようとしました。

そんな彼の著作に『愛するということ』『自由からの逃走』があります。

『愛するということ』も面白いのですが、
今回は『自由からの逃走』に関係する話です。(『愛するということ』は人を愛するためには訓練が必要なんだ!みたいな話です。)

ざっくりした内容を説明すると、
近代になり人々は個人として独立し、自由を得たが、自由には孤独や責任、無力感などが付き纏うため人々は権威への服従をするようになってしまう。そのメカニズムや要因について書かれてます。
フロムが生きた時代はヒトラーらファシズム政権が力を持っていた時代だということもこの本の内容に大きく関わっています。


って話を踏まえて、なぜこのタイミングで僕が旅に出るのか、について以前から考えていたことを書いていきたいと思います!

人間は社会的な動物であるため、共同体を作り、集団で暮らしてきました。
今でも我々は様々な共同体に属しており、それが社会の一員であることと考えられています。

だから私たちは生まれて間もなく複数の共同体に帰属することになります。
○○家の子供として生まれ、○○市に住民として登録される。そこから成長すると、○○小学校や中学校の生徒として扱われます。

さらに高校、大学になりバイトを始めたりすると、また新たなバイト先という共同体に帰属します。

我々がこうして共同体に属するのはなぜなのか。

それは責任や不安から逃れるためです。
もしくは安心感を得たいがためです。

共同体は複数人で形成され、
そしてそれを維持するためにルールが作られます。共同体は成員にこのルールを科すが、この縛りが適度な場合、それは成員に安心感や道標を与えてくれます。
また、共同体に属していると、自分に何かハプニングが降りかかったとき、共同体が守ってくれることがあります。

こうした精神的安定を保証してくれるから人々は共同体を形成するのです。

だからこそ、


だからこそ僕は生身に近づく必要がありました。

僕の言う「生身」とはできる限り共同体に属していない状態のことを表しています。
○○の松藤君。自分に付加されるこの○○をなるべく少なくすること。

多くの責任や動機、理由が全て自分に帰結する状態になることを求めていました。

この状況になることは意外と難しいんです。
物心がついたら義務教育が始まり、高校までは親の意向で行くことが多く、そこから働くことになっても、大学に進んでも、同じく新たな共同体に帰属することになるので、我々には常に共同体が付き纏っています。

そんな中で生身な状態で生きること。
これはとても貴重な経験なのではないかと思います。

旅を終えたら新たに共同体に加わり、社会に寄与するつもりですが、その前に社会から浮いた存在として時間を過ごすことが私の武器になると信じています。(フロムは愛情や仕事といった感情的感覚的および知的な能力の純粋な表現において世界と結びつこうとする姿勢を「積極的自由」と呼んでいました。)

だから休学ではダメなんです。
大学を卒業し、就職をする前の今でなければいけないんです。


なんか長くてカタイ話になってしまいました。

ところで、共同体やグループを表すときに三角や四角ではなく〇でイメージされるのはなんでですかね、

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