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初恋

「誰だ。」
 勘太郎は小さな声で探るように尋ねた。
「あたし。」
  幼馴染みのちいの声に安堵したように引き戸を開ける。
「誰にもあとをつけられなかったか?」
 ちいは小さく頷く。「これ。」と差し出した握り飯に勘太郎が今度は頷く。
 二人で握り飯を頬張る。小さな塩結びは不格好で、きっとちいがこっそり握ってきてくれたものだろう。
「あたし奉公になんか出たくない。」
 ちいは膝を抱えて呟いた。
「俺なんか畑本んちででっちだぞ。仮にも城で働けるんだから贅沢をいってはいけない。」
 畑本は学校でもひ弱で、いつも勘太郎たちのあとをひょこひょこ申し訳なさそうについて回るようなやつだった。
「分かってる。でも」
 ちいはそれきりなにも言わなくなってしまった。勘太郎も黙りこくる。最近やたら膝や関節が痛くて、親に訴えると背が伸びているのだと言う。ちいがどんどん小さくなるのをからかっては腕をつねられたのを、ちくんとおもいだした。
「ちい、誰にも心を許してはダメだぞ。本当の心は誰にも見せてはいけないんだ。」
「勘ちゃんにも?」
「そうだ。」
 ちいはそっけなく「なにそれ。屁理屈。」と二の腕をつついた。二人で笑う。
「父ちゃんがいってた。奉公から戻ったら立派なところに嫁にやるからなって。」
 ちいはささやくように喋る。
「あたし、勘ちゃんのお嫁さんがいい。」
「ばか。俺とお前じゃ夫婦になんかなれっこない。」
「なんで。」
「なんでって、親が許さねぇだろ。」
 それきり二人はまた黙りこくる。外は静かでろうそくの明かりが時々ジジッと芯を燃やす音がする。夏は蒸し暑かった。
「勘ちゃんはいつ家帰るの。」
 勘太郎はなにも言えなかった。父親と母親はもうすぐ離婚をするだろう。どちらの籍に引き取られるのか、親戚にたらい回しにされるのか分からず、離れに隠れて生活していた。両親は勘太郎を探そうとしなかった。
「ちいはもう家戻れば。危ないから見送ってやる。」
 立ち上がると、ちいは手を掴んでくる。
「もう少し、いいじゃない。」
「だめだ。帰れ。」
 ちいは項垂れて、それでもうなずいた。勘太郎は従順なちいに胸が疼く。俺だってお前を嫁にもらえるならどれだけ幸せか、そう言いたくなってその言葉を飲み込んだ。ちいは俺の知らない男と結婚して子供をこさえて幸せに暮らすのだ。そこに自分はいてはいけないのだ。
「ちい。」
 立ち上がって座っていた尻の埃を払っていたちいを、そっと手を出して立ち上がらせる。
「どこさ行っても同じだ。どこにいても何をしてても。」
 ちいは首をかしげてうろんに勘太郎を見やった。言葉の意味が分からないらしい。ちいにも分かるように云おうとして、勘太郎はやめた。
「握り飯、うまかった。」
 そういうと、ちいは嬉しそうに笑った。
「また明日も来ていい?」
「駄目だといつもいってるだろう。」
 ちいは小さく舌を出す。悪戯が見つかった子供のようだ。
「やだ」
 そうして、離れを出て先を歩く。時々振り替えっては、勘太郎がついてきてるか確かめてるようだった。
「勘ちゃん、今日はお月さま綺麗だよ。」
 そういって笑うちいの顔を勘太郎は黙ってみていた。
「そうだな。きれいだな。」
 泣きたいような笑ってしまいたいような気持ちで勘太郎は言った。

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