「無駄に過ごした時間」なんて1秒もない。
「あー、、、今日もまた無駄な時間を過ごしてしまった」
誰もが必ず抱く感情に、僕も昨日襲われた。
なんとなくスマホをいじる、寝る。
その時はいたって幸せなのだが、一日の終わりにふと気付く。
もっと大きなスパンで気付くときもある。
3年ぶりに会った友人には、読書習慣がある。
その本の内容をノートにまとめたり、SNSで発信してるんだとか。凄いな、、。
俺だって本は読んでる。でも読んだら読みっぱなしだった。
「手段の目的化」とはこの事か。
どおりで知識が定着しないわけだ。
「俺はこの3年間、なにやってたんだろう」
なんて思う。
こんな感情を持つたびに、自分の人生の一部を損した気持ちになる。
無駄な時間を過ごした自分を、「ダメな奴」って思う。
しかし最近、こう考えるようになった。
「この惨めさは、次に自分が動く原動力になるのかもしれない」
僕は今日、noteを始めた。
始める機会はいくらでもあったが、これまで何度も逃してきた。
じゃぁ、逃し続けた期間は無駄だったのか?
いや違う。
逃し続けたから、今日始められたのだ。
今日始めるために、逃し続けたのだ。
逃し続けた自分の惨めさは、今日始める原動力になった。いやむしろ、始めた後の加速にも貢献するかもしれない。
踏み出せなかった今までの自分を、否定しなくていいんだ。
もちろん、最初のタイミングで始められるのが1番いい。それは間違いない。
僕が伝えたいのは「無駄に過ごしてしまった」という惨めさを、自己否定に使う必要はないということ。
惨めさが原動力となって次の自分が動いたのなら、これまでの時間は無駄にはならない。
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