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邪魔なモノ

同居している、夫の両親の要らないモノを片付けようと思ったきっかけは、義姉が持ってきた、「羽子板」でした。

貰ったけれど、家に置く場所がない、と言って、義姉は「羽子板」を実家の物置にしまっていました。
義姉という人は、どうも、実家を物置と思っているようで、これまでも、「スキー道具」や「独身時代に買った家電」など、自分の家に入らないものを、次から次へと、実家に持ってきました。

「独身時代に買った家電」は、結婚したら使うつもりで買ったらしいのですが、やはり、「家に置く場所がない」という理由で、ずっと置きっぱなし。

結婚して、もう10年以上経つのに、取りに来ない。本人も忘れているか、もう使うつもりがないのだと思い、一度、義姉の家電を、フリマをやっている友人が売りたいというので、あげてもいいか、姑に、聞いたことがあります。

姑が、義姉に電話をし、聞いたところ、へ〜、そんなものあったかな〜、という返事。

本人も忘れていたのです。

自分にとって厄介なモノを、一度、家の外に出してしまうと、人は忘れてしまうのですね。

やっぱり、忘れているのね、と思ったので、「スキー道具」は、地域の粗大ごみが有料化するときに、「独身時代に買った家電」も捨てました。

義姉のモノを片付けたら、4段ある棚のうち、2段が空っぽになりました。
それぐらい、義姉の不用品は、場所を取っていて、邪魔でした。

で、冒頭の義姉が持ってきた「羽子板」ですが…。

「羽子板」というのは、調べてみると、女の子のお守り。産まれて間もない赤ちゃんの初正月に贈ることで、健やかな成長を願うモノだそうです。

つまり、これは、義姉の家に飾っていないと、意味がないモノ。

だから、3年前、夫の父が亡くなったときに、義姉に「持って帰ってほしい」と頼みました。

すぐに持って帰れるよう、玄関に置いておいたのですが、彼女は、その存在を2〜3週間、無視し続けました。

義姉に持って帰る意志がないことがわかった夫は、「ここに置いておけばええやろ」と言って、昔、祖父母が寝起きしていた部屋の押し入れの奥にしまいこんでしまいました。

強引に言って、持って帰ってもらえばよかったのに、波風を立てたくないのか、面倒なのか。わたしは、夫のしたことに不満でした。でも、たぶん、その気持ちを夫に言えば、「そこまでこだわらんでもええやろ」って言うに決まっている。「邪魔やな〜」と、羽子板を見るたびに、思っていました。

しかも、その押入れは、以前、アライグマが住みついたこともある場所で、ホコリだらけ。とても衛生的とは言えませんでした。

そんな場所に、羽子板は、長い間、放置されていました。

ガラス製の人形ケースに入っていましたが、そのガラスケースもホコリだらけ。なんだか、ガラスも変色しているように見えます。

羽子板と検索すれば、「縁起物」とも書いてあります。ひな人形や五月人形と同じようなモノという意味なのでしょう。

それなのに、こんなに粗末に扱っていいのだろうか?

なんだか、羽子板が可哀想じゃない?

ホコリだらけの羽子板をみるたびに、そう思っていました。

それから、数年が経ち、姪が、結婚することになりました。

羽子板を贈られた、持ち主です。

結婚すれば、羽子板も、要らなくなります。

これが、義姉に持って帰ってもらう、最後のチャンスだ、と思い、再び、玄関の目につくところに羽子板を置いておきました。

でも、やっぱり、何日経っても、持って帰る気配がありません。

義姉は、ほぼ毎日、姑の様子を見に来ているので、いつでも持って帰れるはずなのですが、今回も無視。

「駄目か~。」義姉に持って帰る意思はないようです。

ならば、このまま、燃えるゴミに出してしまおうかな。

いいんじゃない?邪魔だし。邪魔だし。邪魔だし。

義姉は、持って帰る気がないんだし、どう処分しようと、文句は言われないでしょう。

そう考え、次の燃えるゴミに出そうと、思いました。

でもホコリだらけの「羽子板」を見ているうちに、気が変わりました。

置き去りにされているとはいえ、縁あって、我が家にやってきた「羽子板」。このまま、燃えるゴミに出すのも、なんだか可愛そう、何より、後味が悪い、と思ったのです。

迷信かも知れないけれど、縁起物を、燃えるゴミに出して、何かあっては、と思い、人形供養に出すことにしました。

ネットで調べ、今月中なら、半額で、供養してくれるサイトが見つかったので、すぐに、申し込みました。

箱の大きさにより、送料が変わるので、できるだけコンパクトに収めたかったのですが、なんせ、縦に長い、羽子板。思った以上にかさばり、送料が1570円かかってしまいました。

供養料は、キャンペーン中だったので、2350円。義姉のために、自腹で、合計3920 円払いました。

ずっと目障りで邪魔だった、義姉の羽子板を人形供養に出したら、嫌いな義姉の存在も片づけたような気になり、気持ちがスッキリしたわたし。

そう、邪魔だったのは、羽子板ではなく、義姉でした。

結婚しても、毎日のように子どもを連れて実家に来ていた義姉。
そんな義姉の行為を、とがめることなく、むしろ、私が義姉の子どもの面倒をみるのは当然、という態度だった義母。

時には、義姉の子どものために、晩ごはんの用意をしたり、夏休み、冬休みになれば、遊びに連れていったり、わたしが、そうするのは、当たり前のように、子どもを預けていく義姉。

結婚しても、実家で勝手気ままに振る舞う、義姉の存在がうとましく、邪魔でした。

だから、羽子板を処分したとき、な〜んだ、最初からこうすればよかったんだ、と思ったのです。

イヤだ、と一言、言えば、甥や姪の面倒をみることもなかったのに。

義姉の羽子板を処分して、勢いがついたわたし。今度は、義父の不用品を処分することにしました。

ガレージや物置は、義父のモノでいっぱい。義父の不用品は、彼が亡くなったときに、一度片付けています。

どんなモノを片づけたかというと...。

義父が公民館から持って帰ってきた、壊れた扇風機(しかも2台)、使っていたゴルフ用品(一部はゴルフ好きの従弟にあげました)など。粗大ごみに出せるモノは、この時も、わたしが自腹を切って、処分しました。

棚を占領していた大量の焼酎類。これはあとから分かったのですが、義父が「飲まへんかったら、わしが飲むで〜」といって、他所から貰ってきたものばかり。主人はお酒好きですが、焼酎はそこまで好んで飲みません。彼は、「もったいないから飲む」と言ったのですが、「ここにあるお酒を全部飲んだら、肝臓を壊すで!!」と言って止めました。それに主人は、好みでないお酒は飲まない人。きっとここにあるお酒も大半は飲まないでしょう。なので、一部を従弟に持って帰ってもらい、その他は売却しました。売却金額は、たしか3000円ぐらいでした。

また、畑を処分した、と聞いては、そこで使っていた鉄製の棒(←野菜の支柱に使っているもの)をもらってきたり、建築現場からいらなくなったモノを、何かに使えるかもと思って持って帰ってきた、大量の鉄製の長い棒。これらは、あっても使わないし、邪魔になるだけだったので、わたしと長男で、軽トラに乗せ、売りに行きました。

軽トラックで、2回処分しに行き、合計9000円ぐらいになりました。

と、まあこんな風に、大物は片づけたのですが…。

義父は、他にも、農作業道具を置いている場所の上、ちょうどロフトのような作りになっている場所に、いろいろガラクタを置いていました。義姉のスキー道具もここにありました。ということは、まだまだここに、義姉のモノもあるかもしれない。だから、一度、自分の目で見て、何があるのか、確かめたかったのです。

そんな義父のものを片づけようと思った矢先、我が家で使っていた冷蔵庫が壊れてしまいました。

もう10年以上使っていたので、仕方ないか、と思いつつ、新しい冷蔵庫を購入するため、家電ショップへ行きました。

そこで、いろいろ見ているうちに、ふと、義母が使っている冷蔵庫のことが気になったのです。

義母は、過去に、3台冷蔵庫を持っていました。

1台は飲み物と漬物入れ用、もう1台は、来客に出すお茶・お菓子入れ用、そして、キッチンに置いてある、大きな3ドア冷蔵庫を、メインで使っていました。

このうちの1台、飲み物と漬物入れ用に使っていた冷蔵庫は、電気代がもったいないと言って、数年前に処分しました。

実際、処分した次の月は、電気代が7000円も下がりました。

キッチンで使っている冷蔵庫は使っているからいいとして、もう1台。来客用のお茶入れに使っている冷蔵庫は、メインの冷蔵庫に入らないものを突っ込んでいる、と言った感じで、これこそ、電気代の無駄でした。

何を入れているかというと、いつか使うため、と言いながら5年以上は経っている乾物、賞味期限が10年前ぐらいのお茶、いつ作ったのかよく分からない梅ジュースなどなど。

中に入っているものは、ほとんどが賞味期限を過ぎたモノばかり。廃棄しても困らないモノばかりなので、我が家の冷蔵庫を買い替えるついでに、その冷蔵庫も処分しようと思ったのです。

処分してもいいか、と義母に聞いても、反対しなかったので、新しい冷蔵庫を買ったお店で、一緒に処分してもらうことにしました。

処分には、リサイクル料金3740円とリサイクル運搬料2200円がかかり、合計5940円払いました。リサイクル料金だけだと思っていたのですが、運搬料も払わなくてはならず、さすがに2ドアの冷蔵庫は、お店に直接持っていくのは無理なので、払うことにしました。


羽子板同様、自腹を切ったわけですが、電気代が下がるのなら、自腹も切ります!!だって、いつかは処分しなければいけないモノだったし、電気代が下がったら、自腹を切った分のお金も戻ってくるんですから。

とにかく、無駄なモノ、不要なモノは、この際処分して、スッキリしたい!!

我が家は、義父母の不用品が多く、これまで、何度も片づけては、処分してきました。でも、片づけても片づけてもスッキリしない。なぜなら、義父母とも、捨てない人だったからです。

昨今は、なんでも捨てるな、捨てなくていい、という風に言う人がいますが、義父母の場合、もう使わないモノ、壊れているモノを捨てることが出来ないのです。そうすると、どうなるか、捨てられないのに、新しいモノを買ってくるので、家の中は、大量のモノであふれていきます。キッチンは、広いのに、なぜか、食べる場所がない、という風になっていくのです。

義母という人は、片づけるとか、捨てることを全くしない人で、収納場所があればあるだけ、突っ込んでしまいます。処分した冷蔵庫の中身が賞味期限切れのモノばかりだったように、賞味期限切れの調味料、乾物、使っていない日用品、雑貨などが見つかることは、しょっちゅうでした。

ひどい時には、押し入れの奥から、しつけのついたままの着物が20着ぐらい見つかったこともあります。

義父はというと、使えるモノなら、なんでも取っておき、「あげる」と言われれば、家で使う用途がなくても、もらってくる人。モノが多いことは自覚していたようで、片づけるために、棚や収納場所をDIYで作り、一応、整理整頓していましたが、なんせ、彼も捨てない人。収納場所を増やしたことで、あれもこれもと、かえって、使わないモノまで取って置こうとし、さらにモノが増えていっていました。

義母の不用品は、まだまだたくさんありますが、年末の大掃除の時に、片づけては、捨ててきました。でも、義父の不用品は、農作業道具やDIY工具が多く、生前、勝手に触れませんでした。「いらんもんが多いな〜、邪魔やな〜」と思っても、捨てることが出来ませんでした。でも、もう義父はいない。

邪魔、邪魔、邪魔。全部、捨てたい!!

もう彼もいないんだから、捨ててもいいよね。

わたしに、あれこれ指図する人はもういない。

義父は、義母の言いなりでした。義母の意見が正しい、と言って、義母のすることに、反対しませんでした。義母が、義姉の子育ての手伝いをしてくると言って、毎晩、家を空けても何も言いませんでした。義母が義姉の子どもの面倒ばかり見て、私の子どもの面倒は見ず、金銭的に差別(←義姉の子どもには、高価なモノを買っていました。)していても、何も言いませんでした。

たまに、反論しても義母に言い負かされていました。そして、言い負かされたストレスは、わたしにぶつけてきました。

どんな風にぶつけてくるかというと、例えば、家の中のモノが壊れたら、「おまえがやったんか?」と決めつけ、物事が上手くいかないと、全部わたしのせいにしていました。

わたしの目の上のたんこぶだった、義父。彼ももういない。だから、処分して、スッキリさせてもらうぜ!!

さて、冷蔵庫を処分し、次は、いよいよ、例のロフト部分に手をつけることにしました。

はしごを上るのはちょっと怖かったのですが、思い切ってのぼって見えた景色に絶句しました。

段ボールだらけ。それもかなり古いモノばかり。

奥からひとつ、ひとつ、開けていくと、見たこともないものばかり。

巨大な業務用ラップみたいなもの、何個もあるカラーのビニールテープ。古い食器などなど。

さて、これは何に使っていたのかしら。

巨大なラップは、梱包用のもので、これも建築現場から持って帰ってきたモノなのか、使いかけが、5本ありました。

そういえば、昔、義父は、こまめに掃除をしなくてもいいように、義母のキッチンの壁をラップで覆っていたことがありました。それもそのとき、1回だけ。毎年、ラップを貼り替えないと汚れていくばかりだったのに、そのままにしていました。

このラップは、おそらくキッチンの汚れ防止に使えると思って、持って帰ってきたモノなのでしょう。こんなに要らないのに。

ラップは、45リットルのゴミ袋に入る大きさだったのですが、はたしてこんなモノ、ゴミとして回収してもらえるのかどうかわからず。ラップを手で巻き取り、芯とばらばらにして、出すことにしました。

カラーのビニールテープ、農作業用なのかもしれませんが、これも何に使っていたのかわかりません。カラーが4本、白いテープが4本、合計8本見つかったのですが、テープを巻いている芯の部分がプラスチックなので、これも、分解してゴミに出さないといけない。

巨大ラップ、ビニールテープ、これらをバラバラにしてゴミに出す作業に、1か月ぐらいかかりました。

古い食器は、汚れていて使えないし、それ以前に、義父が亡くなった時も、農作業用の道具を置いていた場所から、段ボール箱に入った食器を見つけました。その時も、大半、捨てたので、今回も処分しました。

そうでなくても、我が家には、昔、冠婚葬祭用に使っていたガラスのコップが5ダース、あと、徳利とおちょこ、皿、茶碗が、小さいケースに2個分あります。食器は、捨てるほどたくさんあるのです。

ずっと使わないで放置していた食器は、食器といえども、劣化します。それに、昔の食器は、いまみたいに、食器乾燥機や食洗機に入れる前提で作られていないので、使っても、すぐに割れてしまうのです。

段ボールには、そんな不用品ばかり入っていました。あとは、バーベキューで使う炭1箱、昔使っていたゴミ箱などなど。なんでも使えると思って、取っておいたモノばかり。

いやいや、もう捨てて。使っていないんだから。

大きなモノでは、主人の祖父母のときに使っていた介護用トイレ、お風呂用の椅子、樽(ウィスキーとかワインを醸造する、あの樽です。なぜあるのか不明)、火鉢が2個、あとは農作業用に使っていた大きなプラスチックケースなどなど。

これらの不用品は、大きすぎて自分では処分できないので、いったん、あることだけ確認して、処分方法はあとから考えることにしました。

最近、週刊誌を読むと、「生前整理なんて必要ない、片づけなくていい」という記事をよく読むのですが、わたしの経験からすると、片づけなくてもいいから、せめて、どこに何があるのか把握しておいて欲しい。どこに何があるのかわからないと、亡くなったあと、片づけるのに、一苦労するんですよ。

さてさて、ロフトの中にあったモノをあらかた処分したところで、なんと、私の手が動かなくなりました。

手管症候群になってしまったのです。おそらく、巨大なラップとカラーテープをバラバラにする作業で、手首を使いすぎてしまったんでしょう。
手を使うと痛く、力が入らないので、いまは、片づけ作業をストップしています。

でも、ここまで片づけて思ったのですが、わたしは今まで自分の家をいくら掃除しても、掃除しても、「汚い」と思っていました。

その理由は、たくさんあった不用品のせいでした。掃除をしても、不用品がたくさんあると思うと、キレイになった気がしなかったのです。大半を片づけ、気持ちがスッキリしたいまは、「部屋が汚い」と思うこともなくなりました。

また、モノを処分したおかげで、今まで家族の中に自分の居場所はないと感じていた気持ちにも変化がありました。

ずっと他人の家に暮らしているような感覚があったのですが、それは、義姉や義父のモノがたくさんあったからなのでしょう。彼女のモノを処分し、義父のモノも片づけて、自由に自分のモノが置けるようになった結果、やっと、ここはわたしの家なんだな、と思うことができるようになりました。

つまり、片づけたことで、わたしは自分の居場所を確保することが出来たのです。30年という長い同居生活で、いまが一番、自由を感じているわたしです。


#創作大賞2024 #エッセイ部門

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