僕の大切な人が拒食症になったら

※これは先月、クルーズ版で書いた「あなたの大切な人が拒食症になったら」の続きです。

「あなたの……」を書くきっかけとなった質問は「エフさんの大切な人が、ひどい拒食症で、それでも痩せようとしていたら、どう対応しますか」というもの。これに対し、僕は、自殺しようとする人への対応にたとえたりしながら、
「それなりのおせっかいはやきつつ、結局、見守ることしかできない気がする」
と、書いた。そして「魅力」と「無力感」を抱きながら、これ以上ひどくならないよう願うだろう、と。
もちろん、普通の人の対応は違うはずだ。命を救おうと、積極的に介入しようとする人のほうが多数派なのでは。しかし、積極的な介入が許されるのは、家族、もしくは家族になる覚悟のある者、あるいは、一生に一人レベルの親友ぐらいだろうし、しかも、それが成功しうるのは、自分が変わることで、病気の真の原因を弱められる存在か、その原因をまあいいやと思わせるほど、病者を変えられる存在だけだと思う。
つまり、たとえば家族問題が背景にある場合、家族のほうも必死に変わろうとするか、あるいは、別の家族を作る気持ちにさせられるか……。
ただ、ネットで出会う人たちのなかには「ひどい拒食症」の人もいて、それは大なり小なり「大切な人」だったりもする。そういう人たちとのやりとりを通して、自分が性格的にも、立場的にも「積極的な介入」ができないことを、もどかしく感じることもなくはない。できない以上は、「それなりのおせっかいはやきつつ、結局、見守ることしかできない気がする」という、さっき書いたスタンスしかないわけだけど、では「それなりのおせっかい」とは、どういうものなのか、と、考え込んでしまうのだ。
僕なりのおせっかいのやり方、ありそうな気がするものの、それがどれだけ有効か、あるいは逆効果になるおそれも否定できないし…。夏休みの、いや、人生の宿題になるかもしれない。

(初出「痩せ姫の光と影」2010年8月)


クルーズ版で何を書いたか、詳しいところまでは思い出せないが、質問してくれたのはYさん。彼女への「それなりのおせっかい」を通して、自分のやり方を見つけていくことができ、それが「痩せ姫本」の方向性にもつながった。僕にとって、彼女は「まどマギ」の鹿目まどかのような存在。痩せ姫が痩せ姫らしく生きるとはどういうことなのか、その示唆をもたらしてくれた人だ。


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