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星ヶ丘洋裁学園でのライブ

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 片町線の電車に揺られてほどなく、私たちは「星ヶ丘」駅で下車した。 2月25日、真冬の黄昏にしては あまり寒さを感じない。それでも駅を降り立ったところで コートの襟をかき集めるようにしていた。      「星ヶ丘」という地名だけあって駅から すぐにゆるい坂道が続いている。こじんまりした田園都市らしく住宅の丁度いい間隔に 小さなケーキ屋さんや喫茶店がある。坂を見上げると散髪屋のトレードマークの赤と青と白の螺旋状の看板がクルクル回りながら 真冬の黄昏に輝いて見えた。     私はタイムスリップしたような懐かしさを感じた。           なんだか前にも来たような町、そんな感覚で坂をゆっくり歩を進めて行く。ゆるい坂をのぼりつめたところに、星ヶ丘洋裁学園はあった。      築70年という歴史をもつ木造の学園は 今では 全く知られていないが、戦後まもなく造られた女子の為の洋裁専門学校だったのだろう。今は主婦や洋裁を習おうと思っている人たちに 公開されているらしい。 

 石で造られた門柱なのだろうか。そこには「村岡洋裁学園」と彫られていた。 「村岡」と言う個人名と「学園」というのが、なんともノスタルジックな感じだ。大きな校舎の横に広がる野原は 運動場なのだろう。校舎の側には カイズカイブキの老木が数本立っている。そこから、雑草が広がり、その雑草が踏みつけられた獣道のような細い土道が、かろうじて この校舎を使っている人がいることを示している。その道をすすんで行くと、校舎のガラス戸が開けられていて「どうぞ お入りください」と手書きの用紙が貼られていた。         受付の時間より30分も早く着いたので「どうしようか?」と迷っていると数人の男女がまだ準備におわれている。その中の一人が気づいてくれ「まだ準備中ですが、どうぞ、中に入ってください」と声をかけてくれた。そしてとりあえず私たちは校舎の中に入れてもらうことになった。

 このライブに来られたのは、娘が友人と一緒に行くことになっていたのだが、当日「友人が体調を崩した」とのこと。そこで、急遽 私が代わりに行くことになったのだ。

 中に入って、すぐ横の教室らしき部屋の前の廊下が 喫茶店風に飾られている。そこで、手作りのケーキとコーヒーを注文し それをいただきながら、ゆっくり辺りを見回した。 私の座っている椅子の背後に続く長い廊下の窓に張り付けてある幾つもの作品は、彼らが芸術を学ぶ学生であることをうかがわせた。  演奏される部屋は やはり教室なのだ。

喫茶を終え、教室の中に入ると 正面に黒板があった。その下には、先生が左に右に行きつ戻りつしながら生徒に説明しただろう木製の段がある。その段の前、左横には 箱型のピアノが置かれていた。色あせた赤いビロードのピアノカバーが 子供のころの記憶を呼び覚ます。そして おそらく、生徒たちの足裏で磨かれただろう木の床は いまだに光を失っていなかった。 その上に置かれた幾つかの楽器、これは きっとこれから奏でられる演奏者の物なのだろう。 裏庭の見える窓側には 小ぶりのオルガンとトイピアノがあり、そのすぐ近くに鉄琴と風琴が。そして、おそらく手作りであろうと思われる長さの違う金属の棒が 何本か立てられていた。私は不思議な楽器だと思った。これがどのように使われるか 興味をそそる。そしてその楽器を囲むようにして簡単な長椅子が幾つか二列に並んでおかれていた。   私たちは 窓際のいちばん前の端に席をとって、コートを脱ぐにも寒かったので脱がずに座る。 寒いはずだ! 石油ストーブはつけて間もない。その上、木枠の窓は70年の年月で歪み、隙間だらけだった。 しかし、その光景は母校を訪れたような安堵感で 私たちの気持ちをリラックスさせてくれる。お客さんはわずかな人数で、このライブがマイナーなライブであることを証明していた。

娘の好むものは どんなものだってマイナーなのだ。しかし、これが妙に私の心を捉え、後日 必ず有名になっていく。「私の好きなものがみんな有名になって、私から遠のいていく」と 娘はさみしがった。        娘はそういう感性の持ち主なのだ。これは、親として ちょっと自信をもっていいと 思うようになっている。

 大きな円形の灯油ストーブの上に置かれたヤカンが シュンシュン音をたてはじめて、ライブが始まった。入室した時 手渡された小さな栞のようなカードに、今日 演奏される曲が書いてある。題名は「不在の教会として」何とも 不思議なテーマーだが、それだけに演奏曲に興味を持った。   しかし、「演奏者は 語らない。どうぞ、ごゆっくりおくつろぎください」と書かれてあった。

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演奏者は「木太 聡」と書いて「きた あきら」と読む。        黒いマントに黒い幅広ズボン、パラリと落とした前髪に 私は「宮沢賢治」を想い重ねた。「演奏者は語らない」そう 書ききった「木太聡氏は 静かで素朴な音を紡ぎ出す音の哲学者だ」と 私は思った。         ある時はオルガンを 又ある時はトイピアノを そして風琴を。長さの違う金属の縦棒には 重さの違うコインを落として音色を出して演奏した。  そして、弾き終えた楽譜を一曲、一曲 ハラリと床に撒くがごとく投げる。曲が進むにつれ、出来るもう一つの美しい世界は 曲と共に広がるアートなのだ。彼の奏でる音からそして曲から 私の感性はふるえ そして言葉を生み出した。 身じろぎもせず聴き入り 浸りきっている私たちをのこして、奏者は深々と一礼して去っていく。

今日演奏した曲はまだCDになっていない。と言う。 それならば、他の曲でいいので!と、2枚のCDを買い求めた。

ライブの帰り、私は 星ヶ丘の駅で「とにかく忘れないように!」と生れたばかりの言葉を携帯に打ち込んだ。

娘は 木太聡さんにメールを打つ。                  「木太さんの作り出す世界が あまりにもステキで、奏でられた音符たちが家路につくまで、こぼれ落ちないように 大切にそっと持ち帰り、その夜はとても幸せでした」 

そして、すぐに返事がきた。                     「私のつたない音楽に 詩のような感想をいただきありがとうございました。又 いつの日にか どこかで」

今、思い出しても夢のようなライブでした。購入したCDの感想は 次のコーナーで!




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