神父様への手紙

 同級生が近くに住んでいる。

高校時代の音楽クラブで一緒だったTちゃん、大学時代 学外から入ったM子さん、ともに公立高校を卒業していたので、自由な物の考え方で自分なりの人生を歩んできた。

Tちゃんは創価学会
M子さんはカトリック教徒

共に長いお付き合いで 今に至っている。

私が嫁姑問題で悩んでいた時、M子さんにU神父様を紹介してもらった。

 私が油絵を習っていたころの時、[ウズベキスタンの女性が暗いパン焼き窯の竈門の口を開けて、今焼きあがったばかりのパンを手に愛おしそうに見つめている写真]を 油絵に描き上げた。そして、それを神父様にもらっていただいたことがあった。
もう何十年も前のことで、当時 聖母女学院のすぐ側にある香里教会から、神父様が高槻の教会に移られた時 高槻教会の応接間に飾っていただいて、お食事をご馳走になったことを思い出す。

神父様は私が洗礼を受けていない者であることを配慮して、食事の前の祈りをされなかったこともあたたかいご配慮として記憶に残っている。

あの絵は もう、きっと 絵具が色褪せてしまっているだろうなあ


U神父様

 長らくご無沙汰いたしております。
この度、神父様には「最後のごミサ」を行われましたとか、M子さんから伺い、矢も楯もたまらず、長らくのご無沙汰の失礼をお手紙に書かせていただくことになりました。

 神父様には其の後 体調の方はいかがでございますか?
気になりながらも、時々M子さんからお伺いするばかりで 時が過ぎてしまいました。

 私の方も長い間にいろいろ家族に変化がありました。
夫は検査見逃し1年後の症状で大腸がんステージ4(余命2年)と告げられましたが、当時 娘が京都の大学に勤務していた時のアパートの近くで通っておりました医院の先生のご紹介で、京都大学病院で手術をしていただけることになり、5年の命をいただきました。
 当時、息子夫婦は結婚6年目でしたが 子供に恵まれず、父親の病気がわかった時点で 不妊治療に通ってくれ、夫は辛うじて孫の顔を見ることができました。
しかし、不妊治療は女性の身体に負担がかかり 子供は出来たものの、子育ての重労働に体力を消耗したのでしょうか、孫2歳半の時乳がんを発症、7年間がんばってくれましたが 2019年孫5年生になったばかりの5月7日に逝去いたしました。
それと重なるかのように翌月の6月に 娘が「多発性骨髄腫」と分かり、 1年半を待たずに 2020年11月7日に娘を見送ることになってしまいました。


  M子さんから神父様をご紹介いただき、長い間いろいろご相談させていただき、又 ご教義にも参加させていただきましたこと、遠い記憶を手繰り寄せ 神父様には一方ならぬご厚情にあづかりましたこと、こころから御礼と感謝もうしあげます。

 この秋、早や娘の三回忌を迎えます。

M子さんも いろいろ体調が優れず、涼しくなったら一度神父さまに お目にかかりたいね! と、話しております。

 お陰様で 私は元気でおります。
娘が生前教えてくれた「note」というところへ(ペンネームですので)自分の気持ちを偽りなく書くことで救われております。

同送させていただきました記事は 娘の三回忌(来る10月10日)を迎えるにあたり、娘のお友達にお渡ししようと思い印刷したものです。

 神父様には ご迷惑かもしれませんが、長年の空白を埋める出来事として 勝手ではございますが、同送させていただきました。

 どうか、神父様を必要とされている沢山の方々に そして神父様に救いを感じておられている方々の為にも、お身体を充分にご自愛くださいますよう
(後になりましたが、私もその中の一人です)
末筆ながら、後になりましたが、心からご尊敬と感謝もうしあげます。

                              かしこ

 2022年9月16日


<同送した記事>

  


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