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昨日までの風景(7)

 三日前の日曜日、久しぶりに京都のデパートへ買い物に出かけた。
そのついでに長らくご無沙汰していた実家に行くことにした。
私の方もいろんなことがあり、コロナがいろんなことを余計スムーズに はかどらせることを阻んでいた。
 実家にはどれくらい顔を出さなかったのか5,6年ではきかないだろう。
両親が亡くなり兄一家のましてや商家の家の忙しさを知っているだけに、足が遠のいていた。

 実家の在る場所柄、親からの相続税を心配した兄は7階建てのビルを建てた。その矢先リーマンショックのあおりを受けたが、人脈のおかげでどうにかビルのテナントは埋まった。
そして、あっという間に10年が過ぎた。

 兄は私より一回り上で90歳になる。薬局を経営してもう50年以上になる。兄より3つ年上の義姉は娘に医院を継がせて娘時代から好きだった俳句と書道を続けながらもう93歳を迎えていた。今まで義姉は医院を続けながら兄と共に母と父を介護して見送ってくれた。 その時、義姉は腰を痛め、姪っ子に医院を譲った。
 兄も89歳の時調剤薬局として薬を調合することに不安と責任を感じて 薬局を閉めた。 当然のように義姉は足腰が弱り、兄が面倒を看ることに なった。姪っ子は「小児科内科」をやりながら弟と力を合わせて老々介護の両親をサポートすることになる。

 ビルのテナント収入はあるもののローンの返済は重かった。ビルの管理もある稼ぎの大黒柱は姪っ子になった。今まで父の家業や自分たちの家業を母と兄が引き受けてやっていたものが、母が亡くなると一挙に兄一人の仕事になり、やがて姪っ子たちの仕事になった。姪っ子もその弟も独身だ。それ故老々介護のサポートには融通が効く。 しかし、大きく広げた家業にしては人手が足りなかった。どうしようもなくギリギリの人手を二人の子供で担っているから、当然ストレスがかかる。

 そんな状況を何年ぶりかで訪れて、私は知った。

 しかし、そんな中でも兄夫婦や姪っ子たちは快く迎えてくれた。    懐かしかった。私が結婚するまで私たちは一つの家族だったのだから…。 帰宅してからすぐに姪っ子の携帯にお礼のメールをしたかったが、きっと、今頃は夕食や介護の雑事にい忙しいだろうし、私も疲れていたので後回しにした。

 すると、帰宅した私の携帯に姪っ子のメールが入った。
「今日はありがとうございました。お見舞いたくさん結構なお菓子を頂き恐縮しております。久しぶりにお話が出来て、楽しかったです。また、お昼ご一緒したいです。今年は寒さ厳しいみたいです。くれぐれも、お身体大切にご自愛ください」

私はすぐに返信した。
「こちらこそありがとうございました。懐かしい皆さんとお会い出来うれしかったです。帰り、さすがに特急電車で寝過ごして次の駅まで行ってしまい『思えば遠くへきたもんだ!』と苦笑してしまいました。晩御飯はおみやげに頂いた兄の好物という佃煮でおいしくいただきました。お菓子は仏壇に「%ちゃん(姪っ子)からよ」と言ってお供えしました。 
%ちゃん、%(弟)君、ありがとう! 兄夫婦をみてくれてありがとうね。疲れがでないように!今度はお昼一緒にしようね!楽しみにしています」


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