バス船舶硬券切符研究会

切符鉄40年。通常鉄道切符から、やがてバス・船舶・鋼索等の異色系の硬券切符の追究に至っ…

バス船舶硬券切符研究会

切符鉄40年。通常鉄道切符から、やがてバス・船舶・鋼索等の異色系の硬券切符の追究に至って長くなります。 一風不思議な変わった切符が存在した時代。貴重な過去の資料の閲覧の、新しい発表の場として置きました。 また個人的な大病の経過も語ったりしていきます。

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  • 人生を脅かす脳梗塞 1~10話

    2007年3月に突発性若年性脳梗塞を発症! 発症からの症状、心境、気付きなどを10話ずつ 綴ったマガジンです。 山あり谷ありの続編も予定しています。

最近の記事

硬券0098 南部バス

南部バス 南部バスは、南部鉄道から昭和45年に商号変更したバス会社です。 南部鉄道時代に鉄道線の営業は終えており、三八五交通の路線バスも譲渡を受けて近年まで、一部の路線バスと長距離バスを運行してきましたが、 平成28年に事実上の倒産、岩手県北バスと路線の譲渡を協議しました。 平成30年に法人格が消滅したらしいです。 変わった独特の様式で、長距離を活躍したバス路線のもので、十和田湖などにも寄っていたと思います。 長距離バスは、のちに高速道路経由になっていたのではなかったで

    • 硬券0097 南部鉄道(バス)

      南部鉄道(バス) 南部鉄道とは、大正15年に設立された五戸電気鉄道が、昭和6年にバス事業に参入し、五戸自動車を買収、昭和11年に五戸鉄道に改称し、昭和18年に近くの自治体のバス事業を統合して昭和20年に南部鉄道となり、鉄道とともに動いてきました。 しかし、昭和43年の十勝沖地震の影響被害により鉄道が運休。 復旧に至れないまま昭和44年にはバス事業専業になりました。 昭和45年に南部バスに改称されることになります。 これは、社バスの近距離の硬券で、表記は(バス乗車券)だけ

      • 硬券0096 塩釜市営汽船

        塩釜市営汽船 昭和16年に塩竃市制が施行。 昭和19年、当時浦戸諸島へ就航しました13もの事業体の民間航路を買収して塩竈市交通部を発足させました。 昭和21年より就航を開始しています。 昭和48年には宮戸里浜桟橋の老朽化のため、大高森桟橋を同島の仮基点とします。 平成4年に朴島~大高森(宮戸島)を廃止し、塩竃市内浦戸列島内の定期運航となりました。 これは市営汽船で、遊覧船ではなく、あくまで生活路線として活躍している航路ですね。 これは「島民」が印刷され、割引

        • 硬券0095 松島湾観光汽船

          松島湾観光汽船 松島湾遊覧事業の歴史は古いようですが、この会社は、確証はないのですが、松島湾汽船が前身だったのでしょうか(昭和30年代の時刻表にはこの名が見られます。 昭和40年代後期には、松島湾観光汽船は東武グループ入りをしていたようです。 平成16年には、松島ベイクルーズ㈱に商号変更し、他社と競合ながら、塩釜~松島の運航をしているようです。 後に東武グループからは外れているようです。 その後は東日本大震災で運航を休止していたと記憶しますが、他社は再開したようですが、

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        • 人生を脅かす脳梗塞 1~10話
          10本

        記事

          硬券0094 富山地方鉄道(バス)

          富山地方鉄道(バス) 昭和18年に、県内の鉄道・軌道・バス計6社を合併させて設立させた 会社です。 バス事業の集約には昭和21年までに渡って統合させています。 昭和25年に一部の路線は、出資設立させて加越能鉄道へ譲渡しています。 バスについては、後年に一部分社もされているようでありますが、 富山駅前-八尾鏡町は、現在も同社に残った系統のバスであるようです。 西町大和前は、富山駅に近い繁華街のようですね。 さて、別路線では、表面が社名表記のA型硬券も確認され

          硬券0094 富山地方鉄道(バス)

          硬券0093 加越能バス

          加越能バス 昭和25年に富山地方鉄道の出資により、加越能鉄道㈱が設立され、地鉄から加越能鉄道線、富山西部のバス事業を譲渡されました。 加越能三国を結ぶため敷設計画で作られた会社でありましたが、鉄道網はあまり広がらず、平成14年に万葉線を三セク万葉線㈱に譲渡し、鉄道事業はなくなりました。 平成24年に社名も実態に合わせた加越能バス㈱になりました。 この時代は、加越能鉄道直営のバスの時代でしたが、通称の表記では今の会社の「加越能バス」になっています。 この表記

          硬券0093 加越能バス

          硬券0092 淡路交通(バス)

          淡路交通 大正11年、淡路鉄道として開業された淡路島にあった鉄道線でした。 昭和9年に、淡路自動車㈱を買収し、昭和18年には全淡自動車㈱を 合併しました。 そしてすぐに商号を淡路交通に変更しています。 昭和41年に鉄道線が廃止となり、バス事業と不動産事業が残りました。 バスになった後も国鉄連絡運輸などは残りましたが、 これなどは、バスしかなかった路線の郡家バス駅から淡路交通で岩屋へ 出て、播淡汽船で明石で国鉄に連絡する硬券でした。 他駅や補充片道券なども確認さ

          硬券0092 淡路交通(バス)

          硬券0091 明智平ロープウェイ

          明智平ロープウェイ 昭和8年に日光登山鉄道が開通させたものですが、戦中の昭和18年に不要不急線として撤去されました。 昭和25年になり、東武鉄道により営業が再開されました。 こういう復活は、他に例が少ないようでした。 昭和60年に日光交通へ営業を譲渡し、そのとき不動産自体は東武鉄道のままにされていたようです。 東武鉄道経営時代のものです。 近くの日光鋼索鉄道線(馬返~明智平)が昭和45年に廃止され、取り残されたようになったこのロープウェイです。 東武興業が

          硬券0091 明智平ロープウェイ

          硬券0090 防予汽船

          防予汽船 昭和34年に当時経営難の大陽汽船の航路を、新たに瀬戸内海汽船が設立させた会社、防予汽船により運航がなされてきました。 岩田-松山航路、岩田-伊保田航路、柳井-開作航路もありましたが架橋等の影響にて縮小され、柳井-松山航路のみになっていきました。 平成21年に民事再生法の適用の申請をし、自力の再生は断念して、瀬戸内海汽船は、新会社「防予フェリー」を設立して新会社への運航に代えられました。 松山側は三津浜港なのでしょうね。 国鉄松山駅へは伊予鉄道を介していたの

          硬券0089 三方五湖遊覧船

          三方五湖遊覧船 ここの沿革は以前は資料が見つからず悩みました。 しかし、福井鉄道の過去の事業報告(HPでも出ていました 参考文献) から少し判りました。 福井鉄道が昭和36年に三方交通という会社と合併し、同年に ㈱三方五湖遊覧船が設立されました。 この会社名義での遊覧船事業は平成14年で休止になったということです。 この後がわからないのですが、最近の事業まで引き継がれたとすれば、 ㈱三方五湖レークセンターに運航を譲られた可能性はあります。 ジェット船を使っていましたし。

          硬券0089 三方五湖遊覧船

          硬券0088 岡山電気軌道(バス)

          岡山電軌バス(岡電バス) 岡電バスで親しまれているこのバスは、岡山電気軌道という路面電車を運営している会社のバスで、路面電車は明治45年ですが、バスについては昭和4年に乗合自動車事業を始めているとのことです。 市内線を一旦岡山バスへ譲渡していますが、昭和22年には戻っています。 様式も好ましく、まま見かけるのは 13円とか、金額違いも時折見ます。 あまり見ないのは、むしろこちらでしょうか。 それでも、金額、色違いを拝見したことはありますが。 この硬券は、どのような場

          硬券0088 岡山電気軌道(バス)

          硬券0087 京都交通

          京都交通(亀岡) ここでいう「京都交通」は、「京都バス(京バス)」とは違います。 また京都交通だけでもここと別会社になったものがあり、それとも違い、 歴史は非常にややこしいです。 似たような会社が存在し、旧京都交通株式会社(亀岡)とでも区別しておきますか。 昭和19年に丹波交通㈱として川本直水氏が設立した会社が、 昭和32年に京都交通㈱となりました。 昭和43年には中丹交通、舞鶴交通も合併しました。 この途中で合併した前回ご紹介の中丹交通の創立期の詳細がちょっと不詳なのが

          硬券0086 中丹交通

          中丹交通 中丹自動車として設立された会社が、後にこの中丹交通となりました。 設立年、改称年が不詳ですが、多方面からの調べでは昭和20年代中期には 中丹バス・中丹交通と呼ばれていたことを見つけることはできました。 本社は綾部にあったものと思われます。 昭和43年に旧京都交通(亀岡)に合併されています。 綾部や福知山の街中だけでなく、都市間も結構広い範囲を走っていたようです。 本社のあった綾部からの硬券や半硬券をたまに見ます。 硬券だけに拘ってしまうので、収集はさらに狭き門に

          硬券0085 北鉄バス

          北鉄バス・北陸鉄道(バス) 石川県では昭和18年の戦時統合の指令により、尾小屋鉄道以外のバスの会社を既にあった北陸鉄道に合併させ、広い範囲の路線になり、戦後は、なかなか合理化が図り難かったようです。 バス事業の大半は、今では分社されているのですが、平成に入ってからで、まず能登方面の分社からです。 他の地区も近年になって、全てではないようですが分社化を進めました。 展示の切符で「北鉄バス」とあっても、分社の別会社ではなく、略称です。 今の分社化「ほくてつバス」は近年になりま

          硬券0084 攝陽商船

          攝陽商船 攝陽商船は、大正末期頃、大阪商船から大阪湾岸の一部を譲り受け、また自社として、さらにこまめに湾岸の町や村に寄港していく航路が四国香川東岸、紀伊水道にまで及んで運航していました。 これも昭和17年には航路も主要港に整理されていき、残ったものは関西汽船になりました。 左書きの時代に入っていたと思いますが、残券使用でしょうか。 しかし攝陽商船ほか、この手の報告片のあったタイプのD’型硬券は、放出品が結構見られます。 しかし、高松から引田なんて、湾岸を横に航行するなんて

          硬券0083 大阪商船

          大阪商船 明治17年5月に瀬戸内航路を主として運航する60余りの船問屋を統合して、大阪商船が設立されました。 昭和14年には南米航路に貨客船を就航。 昭和17年、宇和島運輸など五社共同で関西汽船を設立し、瀬戸内の内海部航路の殆どはは関西汽船に引き継いでいます。 戦後は、会社は継続して南米など海外航路などを主としますが、昭和39年に三井船舶と合併して「大阪商船三井船舶」となり、 平成11年には、商船三井という会社になっています。 硬券趣味としての切符は、やはり戦前の国内の航