バス船舶硬券切符研究会

切符鉄40年。通常鉄道切符から、やがてバス・船舶・鋼索等の異色系の硬券切符の追究に至っ…

バス船舶硬券切符研究会

切符鉄40年。通常鉄道切符から、やがてバス・船舶・鋼索等の異色系の硬券切符の追究に至って長くなります。 一風不思議な変わった切符が存在した時代。貴重な過去の資料の閲覧の、新しい発表の場として置きました。 また個人的な大病の経過も語ったりしていきます。

マガジン

  • 人生を脅かす脳梗塞 1~10話

    2007年3月に突発性若年性脳梗塞を発症! 発症からの症状、心境、気付きなどを10話ずつ 綴ったマガジンです。 山あり谷ありの続編も予定しています。

最近の記事

硬券0116 中国鉄道(バス)

中国鉄道(バス) 明治29年に中国鉄道という会社が設立され、昭和31年に鉄道線(今のJR津山線)を開業させました。 路線はその後、今のJR吉備線など少し広がりましたが、昭和19年に戦時国有化で対象外になったバス部門のみが中国鉄道のまま残りました。 昭和42年4月1日に中鉄バスに商号変更しました。 今回は中国鉄道名義時代のバス硬券です。 バスはかなり広い範囲に及んでおり、姫新線のさらに北の温泉町へと路線は伸びていました。 ごく僅かな表記変化は見られますが、ほぼ同じです。

    • 硬券0115 梅小路蒸気機関車館    番外編

      梅小路蒸気機関車館 これは番外硬券の部類です。 梅小路蒸気機関車館は、昭和47年に、梅小路機関区の施設の一部を利用して開館されたものです。 平成27年に閉館し、平成28年には京都鉄道博物館としてリニューアルオープンしました。 昔、訪れた時には子供たちが乗れるミニSLループ線なんかもあり、乗車時に記念の硬券なども何種か出ていました。   例えばこのようなものですが、他にもありましたね(もう昔処分しましたが・・・)。   今回は、番外編でした。  

      • 硬券0114 大島運輸

        大島運輸 昭和28年に設立された会社で、昭和32年から鹿児島~那覇の航路を開設しています。 昭和37年に定期化、38年には東京からの定期航路も開設されています。 奄美各島にも経由するようになり、後に阪神航路も設定されていきます。 昭和50年に鹿児島から那覇の航路がフェリー化しています。 ちょうどこのころに、一時喜界島での直営バス事業もしていたことがありました。 平成17年に、マルエーフェリーに改称され、翌年には阪神航路が休止されました。     完全な硬券としては、

        • 硬券0113 金華山汽船

          金華山汽船(丸中金華山汽船?) 大正13年創業。 金華山(島である)への航路が開設されました。 昭和から平成へ移る頃が盛期で、その後は観光客や島の人口もが減少し、 会社も平成19年には倒産、運航も停止しました。 平成20年12月からは、潮(うしお)プランニングが定期航路を 引き継ぎましたが、平成23年の地震被害で休航になり、 平成25年5月からは、日祝に限る運航が再開されておりました。 (当時、ニュースでも取り扱われておりました) 金華山港の桟橋は今のものとは違いま

        硬券0116 中国鉄道(バス)

        マガジン

        • 人生を脅かす脳梗塞 1~10話
          10本

        記事

          硬券0112 頸鉄バス

          頸鉄バス 頸鉄バスは会社名ではなく、単に当時の頸城鉄道自動車㈱からの略称だったようです。 大正2年に頸城鉄道が設立され、大正13年には鉄道でのピークを迎え、 国鉄線、バスの影響を受けて下降していきました。 昭和4年に自社バスの事業を開始しました。 昭和19年に統合により頸城鉄道自動車に改称。 昭和46年に鉄道を廃止し、社名が頸城自動車に変更されています。 平成初期頃から、新井営業所を頸南バスに移管されるなど、地域により分社されたところがあります。   鉄道が国鉄に接

          硬券0111 福井県乗合自動車

          福井県乗合自動車(共通券含む) 前回の沿革の通り、戦時合併で設立された福井県乗合自動車は、昭和38年に京福電鉄の直営バスとして合併されています。 今回はまだ福井県乗合自動車㈱だったころの硬券を・・・ 風格のあるA型でした。紙質が一般の硬券よりはやや薄いものです(半硬券とまではいいませんが)。 これは三国からのもの。時期、様式同じです。   福井県バス・京福バスの共用でしかも地図券のA型でした。 地紋が両社入り交りタイプで面白いです。 地図券はこのコースのもので、何

          硬券0111 福井県乗合自動車

          硬券0110 京福バス

          京福バス 成り立ち~平成12年頃までの経緯として、下記のような双方の筋があるようでした。 ①昭和16年設立の丸岡バスが、平成12年に京福電鉄直営のバスの譲渡を受け  社名変更したもの。 ➁戦時合併の福井県乗合自動車が昭和38年に京福電鉄に合併され、バス事業       が京福電鉄直営となったもの(~平成12年)。 京福電鉄の福井地区の鉄道は、えちぜん鉄道へ事業が移されましたが、京福電鉄自体は京都嵐山や鋼索線は残っていますので、会社も直営バスや子会社も残っている部分があ

          硬券0109 鹿児島商船

          鹿児島商船 似たような名称の航路会社があり、ややこしいですが、九州商船とも鹿児島郵船などとも違います。 鹿児島商船は、大正8年に設立、就航しています。屋久島への室蘭丸が最初のようです。 昭和35年に岩崎産業のグループの傘下に入りました。 種子島航路も運航しておりましたが、提携していた九州商船が平成16年にこの航路から撤退し、船舶指定区間基準というものが満たされなくなりましたが、船舶を補充して翌年再開にて維持したとのことです。 平成12年からは屋久島航路の関係で折田汽船との

          硬券0108 折田汽船

          折田汽船 昭和18年に創業され、昭和23年に法人改組された航路です。 折田産業や折田観光などももつ折田グループが形成され、屋久島航路を中心として平成の前半までは盛況であったようです。 古い時刻表を見ますと、一部は口永良部島への便も出ていたようです。 平成20年に事業収益の悪化により民事再生法の適用を受け、自力での再建を断念し市丸グループの支援での航路運航は継続されました。 これらのことにより従来であった鹿児島商船(いわさきグループ)との提携関係を解消することになったという

          硬券0107 中央バス

          中央バス(北海道中央バス) 道央の地域では、戦前までに非常に乱立しておりましたが、 昭和17年からの戦時統合で、昭和18年に北海道中央乗合自動車㈱が仮営業、正式認可のうえ昭和19年に本格的な開始となったようです。 昭和24年に北海道中央バスに称号変更しました。 乗り継ぎを解消して都市間の直行運行に特にサービス向上が務められたバス会社です。 中央バスの古いものはB型だったのですね。 茨戸(ばらと)運河方面だったものです。 昭和40年代に入るとA型になってきます。 これ

          硬券0106 箱根登山鉄道自動車線

          箱根登山鉄道(自動車線) 前身の小田原電気鉄道及び富士屋自働車の貸自動車業を合併して、 昭和7年に富士箱根自動車となり、足柄自動車を合併させて、 昭和19年に箱根登山鉄道の自動車部門となりました。 小田急グループで、小田急との連絡が強い印象ですが、 省線との連絡運輸も早かったようです。 平成10~14年に小田急グループの分社化が相次いで、箱根登山バス等に なり、分社化されていったようです。 自動車券で「乗合」の印刷は何故かすごく小さくなっています。幅の問題でしょうか。

          硬券0106 箱根登山鉄道自動車線

          硬券0105 おんたけ交通

          おんたけ交通 大正15年に、㈱御嶽自動車商会が創業されます。 昭和20年に、信南交通に統合されます。戦時統合でしょう。 昭和24年に、おんたけ交通㈱として独立しました。 昭和34年に、東急の関連会社になりましたが、対立劇の影響で昭和39年には、名鉄グループ入りしています。 また平成18年に名鉄グループから外れたようです。 おんたけ交通の硬券は、以前はあまり見ませんでしたが、近年は国鉄連絡の廃札が多く出回るようになり、珍しくはなくなりました。 日付もパンチも入ってはいます

          硬券0105 おんたけ交通

          硬券0104 静岡観光汽船

          静岡観光汽船 昭和28年に静岡観光汽船が設立されました。 駿河湾の航路の発着地として、沼津、田子の浦、清水とありました。 昭和41年に沼津からの西伊豆航路の権利を伊豆箱根鉄道へ譲渡しています。 田子の浦や清水からの便は残ったようです。 平成15年に静岡観光汽船より鈴与に営業を承継し、同社の戦略であった エスパルスドリームフェリーとなります。 この年、以前譲渡済の沼津航路も廃止になっている年です。 清水港からの駿河湾フェリーの営業権が平成31年6月に、また他へ移管される予

          硬券0104 静岡観光汽船

          東海汽船 桟橋入場券・荷物券 記事

          東海汽船の前身は、明治22年の東京湾汽船から始まります。 創業から、本社の建物や航路の発着場の位置が時代により変わって きています。 現在、航路の発着拠点、東京港のある竹芝支店にしても、長い歴史 (社歴130年余り)のうちの70年余りということです。 桟橋にも入場券制度のある会社はあり、ここもそのひとつですが、少ないながらバリエーションを追ってみようと思います。 上記は、ブログやXにも挙げたことがありますが、 一度、勝山支店発行と印刷されたものを、竹芝営業所に補正して

          ¥100

          東海汽船 桟橋入場券・荷物券 記事

          ¥100

          硬券0103 高徳特急乗車券

          高徳特急バス 正規の会社名でなく、以前あった路線名で、徳島バスも参入してたので、前回のページに含めても良かったのですが、通常の路線バスとは あえて分離させて取り上げました。 昭和40年に、徳島バス・大川バス・琴電バスの共同運行で高松~徳島間を国道11号線を使って2時間で結ぶ特急バスで、鉄道と違うのは、しっかり鳴門市街も寄っていたということぐらいでしょうか。 平成9年には、コトデンバスは抜けて、2社の運行となり、平成13年12月29日の運行を最後に廃止されました。 平成

          硬券0103 高徳特急乗車券

          硬券0102 徳島バス

          徳島バス 日中戦争時の統合にて、昭和17年に発足した「徳島バス統合株式会社」が最初の形です。 昭和22年に現在の「徳島バス株式会社」になりました。 昭和36年には南海電鉄と資本提携して、平成21年に正式子会社となっています。 本社は徳島市です。通称「徳バス」などともいわれます。 さて、ここの硬券は、共同運行の高徳特急バスが有名だったのですが、これは次回にして、今回は、徳島バス単独のものだけのページです。 徳島バスは、徳島県の広い範囲を担っていて、売札所もそれなりにあっ