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自分の足で歩くということ

「ぴぴの自分を持っていないところが嫌なの。」

ちょうど1年前に心友が私に言ってくれた言葉はとても衝撃的でした。
こんなふうにここが嫌だとストレートに言ってくれる友達は今までいなかったからです。

自分がない。
自分らしさがわからない。
どれが自分なの?
自分はどうしたいんだろう?

大学に入って、規則のないある程度の自由を手に入れてから、そう自分でも感じるようになりました。
でも、どうしたら、それを手に入れられるのかわからずに、見て見ぬふりをして、ときに直面して苦しんで、生きてるようで生きていないような毎日を過ごしていました。
そんなときに心友がこの言葉を私に伝えてくれたのでした。
大学4年生の10月が終わるころでした。


幼稚園の頃から勉強が好きでした。
毎日新しいことを知ったり、新しく問題が解けるようになったりすることが楽しかったので、公文式も好きで通っていました。
勉強が苦じゃなくて、中学生のときも好きで勉強していたら、1位の成績で卒業できて、中学高校は学費がいりませんでした。

いつからか、私の前には大人や社会が良いとするレールが敷かれていました。
勉強はした方がいい。
文系よりも理系の方がいい。
お医者さんや薬剤師さんみたいに資格のある仕事がいい。
のようなレールです。

私の両親は、勉強しろ!医者になれ!みたいに何かを強要することはありませんでした。
けれど、勉強はした方がいいよ
理系女子ってかっこいいよ
薬剤師さんって一生働けるらしいよ
みたいに〇〇はいいよ論をよく話してくれました。
高校生の私はそうか〇〇っていいんだ!と思うようになり、無意識にそのレールに沿って進むようになっていました。
レールのとおりに、勉強をし、理系に進み、薬剤師さんを目指しました。

中学高校のクラスメイトから見たら順風満帆な人生を歩んでいるように見えたかもしれません。
成績も良かったし、先生には気に入られるし(言うことを聞く子だったからです)、クラスメイトともある程度仲の良い普通の女の子で、進める道の選択肢もたくさんあったからです。
けれど、両親や先生、クラスメイトから見たいい子でいるうちに、自分が好きなもの、自分がしたいこと、自分の考えることを少しずつ忘れていきました。
気づかないうちに自分というものを見失っていったのでした。

小さい頃の私は、勉強以外にも好きなことがたくさんありました。
図工でものを作ること。
絵の具で絵を描くこと。
図書室で借りた本を毎日読むこと。
学校の行き帰りで思いついた作り話を本にすること。
新聞をつくること。
公園で遊ぶこと。
けれど、レールに沿って進んでいくうちに、自分の好きなものをだんだんと忘れ、見失っていきました。
大学4年生の10月まで、自分が好きだったものたちを思い出すことはありませんでした。

私はつい1年前まで、ずっと大人や社会が良いとするレールに沿って進むだけの、ただのいい子でした。
大人や社会が良いとすることをしていたので、怒られることは滅多になく、逆に褒められて優等生だと言われてきました。
けれど、自分の意思のない、ただ言われたとおりにするだけのロボットのような子でした。
このロボットでいることに慣れてしまった私は、自分というものがわからなくなったのでした。


「ぴぴの自分を持っていないところが嫌なの。」
1年前、心友にそう言われて、私はうろたえました。
私もこんな自分が嫌だけれど、どれが自分かわからないと、心友に泣きながら言っていました。
そんなとき、心友はこうも言ってくれました。
「ぴぴが好きと思えること、していて気持ちがいいと思えることをし続けていれば、それがぴぴらしさになるよ。」
と。
この言葉を受けてから、私は忘れてきた自分を拾い集め始めたのでした。

自分が好きだな、気持ちがいいなと思うことだけをやり続けていくうちに、少しずつ自分の好きなものやしたいことが見えるようになりました。
文章を書くこともそのうちの1つで、それまでは自信がなく、むしろ苦手だと決めつけていたことでしたが、幼いころは好きで夢中になっていたことを心友の言葉で思い出しました。
やっと、いい子でいなくちゃいけないという自分で作りだした苦しい決まりごとに従うことをやめれたのでした。


レールに乗ると安心のように見えます。
人から言われたことや、両親や社会が良いと思うことをやり続けていれば、まわりからは褒められ、順風満帆な人生を約束されるような気がします。
けれど、本当にそれで幸せなのかどうかは必ずしもYesではないと思います。
私の場合は、レールに乗っていい子でいることは褒められるけれど苦しかった、そう思います。
毎日2位に落ちることがこわくて、学力奨学生であり続けるために、模範生徒でいるために、たくさん我慢をして必死でした。
大学に進んでもなお、両親から見ていい子でいなくちゃいけないという思いから、両親の望むような道に進もうとしていました。

けれど、1年前の心友の言葉で何もかもが変わりました。
この1年間で長い間忘れていた自分の好きなもの、自分らしさがやっと少し見えるようになりました。
自分を見失うことがこわいとさえ思うようになりました。
もうロボット人間にはなりたくない、そう思えました。
だからこそ、ロボット人間に戻りつつあった前のお仕事も辞めることができたのでした。

自分らしさ。
これは今でもよくわからなくなることがあります。
けれど、心友が教えてくれた、
「自分が好き、気持ちがいいと思えることをし続けていると、だんだんとそれが自分らしさになっていくよ。」
ということは本当だと思います。
これを実践し始めてから私は前より自分のことが好きになりました。
自分が好きなものも自分がどんな性格なのかも、どんなことにワクワクするのかも、わかるようになりました。
なにより毎日が楽しくなりました。
まわりから褒められていたころよりも、息がしやすくなりました。

自分を消してまわりに合わせたり、人の言うとおりにしたりする方が上手く生きていけることは知っています。
私がそうだったから痛いほどわかります。
けれど、私はもうそういうのはやめようかなと思えました。
敷かれたレールに乗るよりも、自分の足で一歩ずつ歩いていきたいな、そう思います。
その方が何倍も楽しいし、何倍もワクワクして、とっても幸せだということが今の私にはわかるからです。
レールなんてなくても、みんなのいい子でなくても、大丈夫なのですから。


今日のドアプレート
「Don't Let anyone steal your Dreams!」
(だれにもあなたの夢を邪魔させないドアプレート)

今日のnoteにぴったりの言葉だったのそのまま名前にしました。
こちらはニュージーランドにあったポストカード屋さんで見つけたものです。
ポストカードと同じ素材でできており、ひもでドアノブにかけることができます。
海外で売ってあるポストカードはイラストはもちろん、言葉も素敵なのでついついたくさん連れて帰ってしまいます。

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