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鬼滅の刃*カナヲは場面緘黙症?


ずっと自分の幼少期を語っていますが、ちょっと番外編的な記事を書いてみます。

鬼滅の刃、私はテレビアニメしか観たことがありませんし、詳しくはないのですが、結構ハマりました!この中のキャラクターで・・・この子はもしや?と思ったことがあったのです。


栗花落カナヲ(ツユリカナヲ)
登場した頃、カナヲちゃんはほとんど話をしない。でも笑顔は見せていた。
炭次郎に心の声が小さいとも言われていた。
自分では何も決められず、コイントスの裏表で決める。
「どうでもいいの、自分で決められないから」と言っていた。

カナヲは幼少期の出来事で心がぷつんと切れてしまった。
子供の頃体を洗ってもらうシーンは硬直してて、無表情。それは緘動(かんどう)状態にもみえた。

本当は心の声は小さくてもちゃんとある。でも自分の意思を表面に出すのが困難で、自分ではわからないとなる。決められた結果の通りに行動しただけ。私の意志ではないから。
こんな風に感じました。

場面緘黙はどうして話せないのか?の理由のひとつに私の場合、感情や意思を出すことができない(知られるのが怖い)から。安心で安全だと自分が思えた場所、人には出せる。(家の中とか)


だから私は学校で教科書は当てられた時に読めたのです。緊張しているし、小さな声でも。
日直の号令もかけられた。決まり文句と言うだけだから。
やりたいわけでは無かったけれど、逆にこれらをやらないと自分の仕事?をしていないようで余計に目立つから。

緘動で動きはぎこちなくて遅いので、移動する時や人と行動を共にするときは誰かに背中を押してもらわないと歩くペースが合わなかった。
にもかかわらず体育の授業で走ったりは出来た。マラソンや50M走のように決められたコースを走るだけなら。
でもボール競技はじっとコートの中で動けなかった。ボールはどこから来るかわからないし。自分の判断で動かなければいけない。

全力は出せないし、運動神経はそもそも悪かったのですが。。。決まり事には動く事ができたのです。

学校でもアテレコのように、台本があれば話すことはできたのかもしれない。声を出すことが出来ないのは、自分の意志や思考で会話、コミュニケーションをとることが難しかった、どうしていいのかわからなかった、と今はそんな風に感じています。




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