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“放送室”を何故毎日聴いているのか

かれこれ10年くらい毎日放送室を聴いています。
本当に欠かす事なく毎日です。
CDからYouTubeへと時代によって媒体は変化したものの毎日です。
もう何周したか分からないがもはや習慣になっている状況です。

※放送室とは2001年~2009年までTOKYO FMで放送されていた、ダウンタウンの松本人志さんと放送作家の高須光聖さんのお2人でやられていたラジオ番組です。

がっつりダウンタウン世代で、思春期にごっつええ感じや、ガキの使いや遺書を観ていたので、松本人志の世界観に没入していくのは当然の流れでした。
当時は当時でVHSに毎週ガキの使いを録画して、毎日観続けるというのを7~8年続けたと思います。

放送室との出会い

放送室との出会いは、リアルタイムで放送していた時代に車から流れてきたのが最初でした。
当時はまだネットなどもなく、情報が少なかったのもあってか、深夜のふとつけたラジオから放送室が聴こえてきた時のインパクトは大きかったなーと記憶しています。

それから時がたち放送室は終了、時代はテレビからスマホへと移行しはじめ、かつてガキの使いの録画を毎日観ていたのと同じようにYouTubeで放送室を毎日聴くようになったのです。

結局媒体は時代ごとに変化していきましたが松本人志を注入する作業はトータル20年ほど毎日続けている事になります。

その中でも放送室は最も長く注入し続けているコンテンツです。数ある松本人志作品の中でも一番多く触れているものと言えるでしょう。

では、なぜ放送室はこれほど中毒性があるのか考えてみました。

放送室の魅力

ごっつええ感じのコント、ガキの使いのトーク、ビジュアルバムやMHKのコント、ひとりごっつ、おっさん劇場、モーニングビッグ対談、大日本人、すべらない話、IPPON、ドキュメンタルetc...

数々の圧倒的作品があり全てが時代関係なく今でも最高峰だと思っています。ただやはり“作品”なので気合い入れて観るというか、スイッチを入れて観るといったニュアンスになるのです。

一方、放送室はダウンタウンの松本人志ではなく、どこか“尼崎のまっつん”をみているような、ダウンタウン松本人志の原液をみているような感覚だと思いました。

相方が放送作家で地元の友人の高須光聖さんというところもそうさせるのかもしれないです。

ある種、ダウンタウン松本人志のメイキングをみているような、またラジオという媒体が自分しか今聴いていないんじゃないのか、というような特別感を覚えます。
つまり松本人志の最も濃い部分、むき出しの部分を気楽に聴ける、出役ではない高須光聖さんが相手役であることでプロ用のしゃべりではない(素人に近い)のでより近い位置で感じられる、とゆーのが魅力で中毒性があるのかなーと思いました。

今後も毎日聴いていくと思いまーす。

ただ“作品”に関しては全く別の見解になると思いますので、僕の1番好きなビジュアルバムの感想もまた書きたいなーと思ってます。

ps.今もう一度原液たっぷりのむき出しの松本人志がみたい。ダイレクト課金のサブスクなんか作ってどこにもお伺いを立てない放送室求ム。

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