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変化は一人の熱狂から生まれる。参加者の心に火をつけ、背中を押す地域トレセンの現場

東京から函館にUターンして一番変わったのは、街に対する当事者意識だと思う。

函館は暮らしていても、友達を案内していても「自分の街」と思えるけど、東京は20年住んでもそういう感覚にはなれなかった。東京が大きすぎたのか、自分が小さすぎたのか、理由は今でもよくわからない。

ひとつはっきりしているのは、今のほうが「自分の暮らしを自分の手で作っている」という実感があることだ。都会に比べて選択肢が少ないため、仕事にしろ、遊びにしろ、欲しいものは自分たちで作ることになる。そういう手応えが、自分と街の距離を近づけてくれているのかもしれない。

青森で開催された『キリン地域創生トレーニングセンタープロジェクト(以下:地域トレセン)』で出会った方々も、地域に対する当事者意識が強く、自分の暮らしを自分の手で作っている人たちだった。

その生き方は僕の背中を押してくれたばかりか、心に火をつけて新しい理想を思い描かせてくれた。

個々の熱狂が街を変えていく

地域トレセンは、「食に関する取り組みによって地域の未来を牽引する人材を育成すること」を目的としたプロジェクトだ。地域に根ざした事業を生み出し、街をリードする地域プロデューサーと、事業運営に専念する地域プレイヤーたちが全国から集まり、開催されている。2016年にスタートし、北は北海道、南は九州まで全国各地で開催されてきた。

開催地で活動する地域プロデューサーが案内役となり、フィールドワークやプレゼンを通じて、同じく全国でユニークな事業をしている地域プロデューサーたちに地元の取り組みを紹介する。現地を3日間かけて回りながら、開催地の人たちと全国の地方創生のスペシャリストが真剣に意見を交わす合宿のようなプログラムだ。

青森で案内役を務めた中村公一さんは、株式会社QLOCK UPの代表で、飲食店の経営や商品のプロデュース、イベント企画など、多岐に渡る事業を展開している。最近では行政とタッグを組むことも多く、青森駅前にビーチを作り、ゴミを資源にしたプロダクトの制作やアップサイクルホテルの建設を計画しているそうだ。

市内にあるホテルの1階で飲食店を始めた経緯について、中村さんは「最初は断ったんですけど、青森の企業がやらないと東京の企業が入ってくると聞いて、自分がやることに決めました」と説明。その言葉には、街に対する強い当事者意識と覚悟が感じられた。仕事を通じて自分の暮らしを作っているだけでなく、事業を立ち上げることで街に光を当て続けている人なのだ。

中村さんの活動を伺っていて思ったことがある。街を面白くする最初の一歩は、入念なリサーチや緻密な計画ではなく、個人の熱量なのではないだろうか。その熱量が徐々に周りの人へと伝播し、想いを共にするチームが出来上がり、アクションが外へ外へと波及していく。そうして生まれるのが活気やシビックプライドというものなのかもしれない。

現に、Uターンしたときは一人だったという中村さんの周りには、青森への強い愛と情熱をたぎらせる多くの仲間がいた。出身地や手がけている事業は違っても、それぞれのアプローチで青森に新しい風を吹かせている人たちを見て、街を変えるのは個々の熱狂なのだろうと思った。

ただし、その根幹にあるのは「地域のために」という使命感ではなさそうだ。彼ら彼女らを突き動かしているのは、「暮らすうえで楽しい街にしたい」という自分主体のピュアな想いなのだと感じる。

やりたいと思ったことを、小さくても全力で始める。自分が楽しく暮らしていくために。

その想いに共鳴した人たちが集い、お互いを応援しながら事業を続けていくうちに、「実現したい暮らし」と「地域が抱える課題」が同じベクトルに向いていく。その結果、個々の想いからスタートした事業が社会性を帯び、地域にインパクトを与える大きなうねりとなっていくのではないだろうか。

青森の方々の話を伺っているうちに、僕はすっかり青森に惹きつけられていた。

傍観者ではいられないトレセンの現場

中村さんや青森のプレイヤーによる熱のこもったプレゼンに対し、全国各地からやってきた各地域のプロデューサーたちは、率直に、的確に、時には厳しい意見を投げかける。何年もかけて準備してきた計画のプレゼンを、「それでは上手くいかないと思います」と一刀両断する場面もあった。

その言葉には、地域プロデューサー自身が苦労や成功を積み重ねてきたからこその重みがある。彼らは地域創生の評論家ではなく、現役の事業者なのだ。だからこそ、自分で事業をしている人たちに敬意を持ち、少しでもよいアプローチはないかと考えて議論を重ねていく。

そうしたやりとりを見ながら、地域トレセンは地域の取り組みを視察するだけの受動的なビジネス研修とはまったくの別物であることを実感した。話す側も聞く側も、想いやビジョン、苦悩まで開示してぶつかり合っている。その場にいるだけで、見ている側まで「自分ならどうするか」と問われるような時間の連続だった。

夜には懇親会が開かれ、そこでも参加者同士のディスカッションは続いた。それぞれが自分の事業や地域のことを話し、意見を出し合い、親交を深めていく。参加者の大半が地域で事業をしている当事者であり、同じような経験や葛藤を抱えているからこそ、質問もアドバイスも具体的で、とても実践的な交流の場になっていた。

僕も取材を切り上げて懇親会に参加させてもらったのだが、みなさんと話しながら「この中に自分は入れない」と感じた。それは取材者という立場だからではなく、「地域で事業をしている」という共通の視点を持っていないからだ。

一応、ローカルでライターの仕事をしているものの、常にいろんな場所へと取材に出かけているため、それが地域の事業かと言われると違うような気がする。どちらかと言えば、根無草な立場という実感だ。だから、地域に根を張って活動している人たちの苦悩や喜びを、本当の意味でわかることはできないのだろうと感じた。

「この中に自分は入れない」という感覚は、同時に「自分も地域に根ざした事業をやってみたい」という気持ちを呼び起こした。そういう気持ちの出どころはよくわかっている。憧れや悔しさは、いつだってよりよい理想を思い描けたときに生まれてくるのだ。

取材者として、現場ではなるべく客観性を保っていようと思っている。そんな自分の心にも、地域トレセンは逃れられない熱量で火をつけた。

自分の理想を他人任せにしないために

街に当事者意識を持って暮らしていると、「もっとこうなったらいいな」と思うことが増える。それを実現するために計画を立て、仲間やお金を集め、少しずつ形にしていける余地があるのが地方の面白さのひとつだろう。

「だけど、待てよ…」とも思う。それは地方だけでなく都市部にも、さらには会社などの組織にも言えることなのではないだろうか。「もっとこうなったらいいな」を他人任せにせず、当事者意識を持って向き合えば、街も組織もよりよい方向に変わっていくはずだ。そして、それはやはり一人の熱量から始まるのだと思う。

青森の地域トレセンを振り返ってみると、とにかく人の熱に当てられ続けた3日間だったなと思う。青森で活躍する地元の人たち、参加した全国各地の地域プロデューサー、すべての人の話に共感と問いかけがあった。

きっと、この3日間を経て青森のプレイヤーたちの熱量はさらに高まり、街はもっと面白くなっていくことだろう。函館とは海を隔ててすぐの距離なので、もっと頻繁に通いたいなと思う。

個人的には「自分も地域に根ざした事業をやってみたい」という、次の理想が見つかったのも大きな収穫だった。また会いたい人、訪れたいお店もできたので、同じ視線で話をできるようになって再会したい。

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