映画「九十歳。何がめでたい」
ご年配の方で埋まるシート。
スクリーンから見て右側の通路沿い、
中央ブロックの前から二番目の席に腰をかける。
普段は中央寄り尚且つ、端っこ、画面を視界に全て収められるところを前もって選ぶが、今回は劇場にてチケット購入。
開演10分前に入館すると、映画の予告をたくさん目にすることができるので、次回の映画館では何を観ようかとリサーチすることがクセ、恒例行事。
新しい映画もサブスク映画も、週一程度で鑑賞する。
自己紹介のような部分はここまでにして!
ここから、今作について、マップのように考えたことをお伝えしたい。
(なるべく中身には触れないようにお伝えできればと思います。)
今作は、草笛光子さん生誕90周年と、原作者の佐藤愛子さんの絶妙な掛け算により世に生まれた映画で、今作も観れたことがとても嬉しいし、幸せだった(どの映画を観ても9.9割はそう思える)。
私としては、唐沢寿明さんといえば20世紀少年ぶりだったので、なんだか分厚さが増したような気がした。
大きな部分でのストーリーは大概、草笛さんと唐沢さんとがメインであるが、それらの世代の傍にある、若い世代が作り出している世の中に、文句をぶつける話。他の言い方が見つからず申し訳ないが、「文句」という言葉を使ったとて、不快感を感じたわけではないので真っ直ぐ受け止めてほしい。
たしかに彼らの口から出るのは文句で間違いないが、言われる言葉は、「そんなんわかっちゃいるけどさ、、」というようなこと。
便利になるのはいいことなのか
スマホで簡単に調べられる、この鉄板一枚でなんでもできることって良いことなのか
ここで答えは出ないし、問いかけてもいろんな考えがあることもわかる。
いろんな考えがある、老若男女、セクシャルだってなんでもある、昔があって、今もある。
映画が私たちに何を伝えたいか考えると私の感想なんて、とんちんかんだけど、人生において、いつだって疑問を持ったり、考えたりする時間って最高だよねってことが言いたくなった!
って言って、この文もその文明の力を利用して、みんなに伝えているのだから、もうどうしようもないんですけど。あくまで例え話でした。
愚かな文を最後まで読んでいただきありがとうございます。
時系列も何もない、感じたことをつらつら書き出していくことになると思います。
同じ映画を観た人にでもそうでない人にでも、そんな風に感じた人もいるんだなあって思ってもらえたら、それで十分です。
悩む、試行錯誤する、なんだって簡単にできるこの世に時々疑問を持ってみるのも良いかもしれませんね。
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