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熊野詣で 発端【補筆有り】

丁度1週間前、熊野古道の旅は熊野本宮大社到達で「一旦」コンプリート…という事になりました。ココまでの記事はマガジンにも纏めてあります

ただ、昨年始めた時は、気軽な散策程度でしたから、本気で歩く様になった今ならどうだろう?という個人的興味と、最初は軽い気持ちゆえに殆ど写真を撮ってませんでしたから、記事を書いても写真が少ない。そんな訳で、早くも二周目を始める気は無いものの、改めて発端部分を歩いてみることにしました。昨年11月の日記の記録と合わせてガイド的に纏めてみます。
ちなみに、和歌山県内は古くからの道が多く残されているので「熊野古道」と表現する事が多いですが、大阪府下は殆ど残っておらず舗装された生活道路ばかりなので「熊野街道」と表現しますのでご了承ください。

熊野街道歩き① 自宅〜住吉 2020/11/15(日)
熊野街道歩き② 住吉〜大鳥大社 2020/11/29(日)
熊野街道2周目-① 2021/3/27(土)

前回始めた際、自宅からそのまま南下しちゃいました。天満橋からの1〜2キロは普段から歩いていたから省略しましたが、今回は写真も含め記す為、ちゃんと発端部分から行きました。

天満橋の土佐堀通沿いにある昆布屋さんの店先にある石碑。ココが発端。実は熊野詣では京都から始まりますが、京都〜大阪間は船で淀川を下り、この「八軒家」船着場で下り立ち、徒歩の旅を始めたと言います。太古の昔は「渡辺津」と呼びました。現在は普通の道ですが。
って事で一応水辺を見ておきましょう。
土佐堀通を渡って旧松坂屋の京阪のビルの裏、大阪市が綺麗に公園に整備し直しています。

丁度桜が見頃。そして早朝から青空ヨガを楽しむ人たちで賑わってました。川べりではイベントのPA設営の人たちが慌しく作業していました。
さて、では、徒歩旅のスタート地点へ。
土佐堀通を渡った所に大阪市が設置した大きな道標が有ります。午前8:00。

何故このホラーの様なフォントを使用したのか?(笑)それはさて置き、ココから真っ直ぐ南へ伸びる通りが最終的には熊野三山へ繋がる訳で、先週までの約250キロ道程を思い返すと感慨深いものです。
そういえば滝尻王子から、ど頭でエグい坂でしたが、この八軒家も交差点からいきなりの急坂。先ずは20m程の坂で上町台地へ上がる訳です。実は熊野街道、大阪市内はこの上町台地の縁をなぞる様に縦断します。
縦断といいつつ、いきなり寄り道(笑)。
熊野街道筋の一つ西の裏手に窪津王子跡が。

現在、本町の四つ橋筋寄りにある坐摩(いかすり)神社、移転前に有った場所がココで、本来ココに、九十九王子のトップ、窪津王子が有ったと言われています。恐らく船を下りた人々はココで手を合わせ、休憩した後「さぁ参りましょうか」とか声を掛けつつ、坂を登ったのでしょうね。
【補筆】その後、調べてみたら、ココからずっと南、四天王寺の近くに有る堀越神社境内に「熊野第一王子之宮」がありました。四天王寺近くにかつて熊野神社が有り、そこへ移設されたようで、さらに合祀され、現在地になったと立札に書かれていました。恐らく秀吉が大坂城を作る際に移した為でしょう。

さて、話を天満橋付近へ戻して熊野詣でを進めましょう。
熊野街道は、歴史ロマンとは無縁、ビジネス街の裏手のただの道を暫く南下します。
本町通、中央大通を渡ると、面白い場所が左手に。

太閤下水見学施設。豊臣秀吉が整備した下水の跡が地下に有って、透明アクリル越しに覗ける施設ですが、汚れてて殆ど見えません(苦笑)。実際中を見学するには市役所へ予約が必要です。南大江小学校脇。
ココから数分歩くと二つ目の王子。坂口王子跡(石碑無し)の南大江公園。公園の西の片隅に祠が有りまして。。。

今は移転した朝日神明社が有った場所。というか広い公園自体が神社だったそうで、そこに王子を設けたのは納得。歩き始めて20分なので、船を下りてそのまま歩き始めた人には程よい距離での休憩スポットです。
自分も朝日を浴びてひと汗かいたので例によってフリースを脱ぎました。ふと足元を見ると。。。

大きく広がった根を見てると、1週間前に歩いた中辺路の木の根のステップを懐かしく思い出してしまいました。そして見上げると。。。

美しい桜の花とタワマン。古代と現代を桜の木が繋ぐようです。
とかロマンチックな事を思いながら再スタート、直ぐ突き当たりです。

普段からお参りしている祠、榎木大明神。熊野街道は、この手前を谷町筋側へ左折します。

角に地元の皆さん手書きの案内が立てられています。
谷町筋の小さな信号を横断し、すぐ一本目、セブンイレブンの角を右折、坂を下り長堀通の信号を渡り、ファミマの脇を南下してゆきます。

戦火を逃れた建物が多い地域なので古い建物がちらほら見られます。と、気を取られてると、また突き当たりw

空堀商店街のアーケードを見上げつつ、反対側の左手に曲がりすぐ右折、細い坂を下ります。
ココさえクリアしたらあとは暫く一本道です。

所々、古い民家も見られる裏通り、真正面のハルカスが道標みたいです。
千日前通は中央分離帯で分断されていますが、歩行者用信号で渡れます。
【補筆】
因みに、この辺には郡戸王子が有った場所も有ります。一応、現在の高津宮なので、谷町筋を再び西側へ渡るのが面倒なら、巳さん(榎木大明神)の角を曲がらず、石段を下りて真っ直ぐ南下すれば、高津の宮さんには行けます。

郡戸王子の碑は、空堀商店街を横切る道をそのまま真っ直ぐ南下、公園脇の急な階段から高津宮の門をくぐって左手直ぐに有ります。

一方、次の上野王子は、現在の上宮高校のそば。上汐公園の手前で左折(写真1枚目)、上町筋を渡り、暫く行くと右手のマンションのエントランス奥に石碑が有ります(写真2枚目)。

元の筋に戻り、写真スタジオのビルの前を通過、天王寺警察の角を右折すると谷町筋に出て左折。地下鉄四天王寺前駅の広場を斜めに入る裏道の参道が熊野街道。

聖徳太子の飛び出し坊やを見て和んで数分、国道25号線の角手前を左に目をやれば大きな鳥居が出てきます。ココが四天王寺。熊野詣での人々もお参りしました。寺なのに鳥居w 午前9:20。

流石にお寺の御朱印は達筆。

以下の写真は昨年11月のもの。

境内でフリマをやっていて賑やかでした。
今回は朝早い事も有りとても静か。ココでトイレを済ませ、少々補給休憩。。。
四天王寺には熊野詣でに大事な物が有りまして。熊野権現礼拝石

南大門の手前に有り、熊野詣での人々は、これから長い道のりの先にある熊野三山へ向かって手を合わせたそうです。地図で見ると正面は南南東の南寄りなので、本当は牛馬童子辺り、近露になるんですけどねw 本当の本宮へ向いて祈るなら南大門の角の柱位の角度かな?(笑)

9:40、南大門を出て国道25号線を渡ります。振り返るとこんな景色。

人々は聖徳太子さんに見守られながら安心して熊野を目指したんでしょうね。そんな事を思う間もなく右手には庚申堂。

折角なのでこちらもお参り。
実は、大阪府のガイドマップでは四天王寺を出ると、谷町筋から続くあべの筋の広い通りをずっと歩くようになってますが、礼拝石が有るので、個人的推測だと、この道の方が正解だと思います。要は辿るのがややこしいんです。
庚申堂の谷を下り、坂を上がると天王寺駅の裏手の道。突き当たりは阪和線のホームです。

クルマは阪和線を潜る為左折しますが歩行者は地下道を使えます。上がったら環状線・関西線ホームを跨ぐ橋。突き当たり、今度は近鉄南大阪線の阿倍野橋駅を地下か?二階を渡り、南側の細い南北の道に出ます。
左手に天予備(現・天王寺学館)を見ながら進み、辻調の専門学校の先で右折。本来のあべの筋に合流します。

前回11月の時は散策気分だったので、あべのハルカスに登りました。

下から正面に見えたという事は、上からも見えるはず。と思って探したら有りました。2枚目の望遠だとハッキリ南北の熊野街道が見えます。

さて、あべの筋を進みます。
暫く大通り。全く熊野街道の臭い無し。

路面を走ってた阪堺電車が専用軌道へ行く踏切を渡り数分。松虫の大きな交差点でやっと、斜めに入る小道に別れます。

スーパー玉出の看板の脇です。
道標も有るので分かりやすいです。
ココから暫く熊野街道の臭いを感じながら南下。道の先にこんもりした緑が見えて来ます。
安倍晴明神社。そのすぐ先が阿倍王子神社。大阪市内唯一、神社が残る王子です。八咫烏がシンボル。午前10:20。

都会の中、ひっそりと熊野の神様が。。。感慨深いです。大木にもパワーを感じ、見守られながらトイレ(笑)。
南下再開。暫く進むと先程分かれた阪堺電車が合流。広い通りになります。と言っても停留所の外側は狭いのでクルマは電車のケツを追う様に真ん中を走ってたりします。お母さん達で賑わう人気のパン屋やスイーツ店の先、姫松の大きな交差点の先で左折!


不動産屋さんの角です。

再び細い熊野街道の道。数分進むと景色が開けます。

万代池。帝塚山のリッチな皆さんの憩いの場。ジョギング、散歩する人たちが満開の桜を愛でています。池の南側で再び大通りに合流すると、レトロ電車が!

何やら一眼レフを構えた鉄ちゃんがあちこちに立っていたのはこの筑豊カラーの100形がお目当てだったんですねー。iPhoneでもコレ位の写真は撮れましたw この先、帝塚山四丁目停留所で阪堺電車と別れ、細い商店街の中を南下しますると、今度は南海高野線の踏切を渡ります。住吉東駅の手前、ドラッグストアを見つけたので、アミノバイタルを購入して飲みました。気温がどんどん上がり疲労を感じ始めていました。前回はこの先、老舗葬儀屋の角を西へ曲がり坂を下りて住吉大社にお参りしました。
まだ七五三の頃で境内は賑わってましたっけ。
今回はズルして、裏の入口から入りましたら、これまた混雑。何の日だったんでしょうね?
社務所も大行列だったので御朱印は諦めて熊野街道に戻りました。
【補筆】
この2度の歩きで立ち寄らずにいた「津守王子」が実は住吉大社境内の摂社として在ることを知りました。本殿の裏手、楠珺社から北へ向かうと祠が有ります。

一方、大阪府のガイドマップには、住吉大社から少し南東にある「止止呂支比売命神社(とどろきひめみことじんじゃ)」が津守王子とされています。

境内に王子関連の説明は全く有りませんが、本殿の裏手に興味深い場所が。後鳥羽天皇行宮趾。一応、熊野詣でと関連深い場所であるようです。


(以下は11月末の第二回散策の写真)

前回11月末の第二回散策の時は、南海なんば駅から高野線の電車で住吉東駅で下車、古いお家を眺めながら熊野街道筋へ合流しました。
素敵なお地蔵さんも。

まぁ生活道なので基本、普通の町中の道ですが、そこはかとなく、街道の面影も感じます。
で、突き当たり、堤防を上がり右折すると大和川。いよいよ、大阪市から堺市へ渡ります。
(以下は今回の写真)

遠里小野(おりおの)橋。あべの筋から真っ直ぐ来るとココなんです。泉州民なら13号線と言えば分かる府道。橋を渡った所で地底からゴーゴー音が聞こえます。この緑シートが敷き詰められた地下は阪神高速大和川線。川の横の地下を走ってるんですねぇ。便利になりましたねぇ。と、時計を見るとお昼時。ロードサイドの店にでも。。。と思ったら、渋い定食屋さんを発見!鯖の煮物をメインに昼飯にしました。お昼12:00。

▪️食堂よこやま
定食屋さん、アレもコレもと手にすると後で後悔するんですよねぇ。この日もランチなのに900円でしたわ(苦笑)。取り敢えず煮魚美味い!
12:25徒歩再開。
11月末の時もそうでしたが、この辺りが厄介。全く旧熊野街道の道筋の面影無し。取り敢えず13号線から東の住宅街へ入り、高野線の浅香山駅に辿り着く事。


踏切を渡ったら右手、線路際から2本目の斜めの道を取ります。緩い坂を上がる道。浅香山病院前を通過して暫く、左手に高い白い塀が見えてきます。少年院です。この塀の手前角を右折。(監視カメラもあるし写真は控えました)
西側へ少し歩くと正面にコーヒー屋の看板と小さな公園が見えて来ます。

公園手前の角にあるのが境王子跡。
とにかく堺市は熊野街道関連の物の残存が少なくて、境王子が本来有った場所はハッキリしないそうです。とはいえ、この前の道を真っ直ぐ南下すると突き当たりは方違神社。あながち間違いでは無いのかも。

ココからのルート、前回11月も悩まされました。大阪府のガイドマップだと反正天皇陵脇をなぞりながら真っ直ぐになってます。が、道が突き当たる。右往左往して迷路に迷い込みましたわ。実は三国丘高校の校舎が東西に分かれてて、その間の小道が正解。暫く進むと右手に町中の小さい公園。その前の分岐、右から二つ目、斜めの道を取ります。

公文式の手前角を左折!前回はココを直進してしまい再び迷子になったポイント。
左折した道が西高野街道と重なる道です。

突き当たり、高野線を跨ぎ、中央環状線の広い道を渡る歩道橋を渡ります。

渡った先が仁徳天皇陵ですが、阪和線も高野線も畏れ多いからと地下の掘割を走るのに歩行者が天皇陵を見下ろして良いものかww
で、歩道橋を渡ると海側へ下りて、天皇陵沿いに進みます。何故かこんな神聖な場所にラブホが一軒有るのがビックリ。

前回も今回も、この辺まで歩くと脚がしんどい。勿論子供の頃から仁徳天皇陵の大きさを知ってるので、南端までなぞって歩くと思うと辛い(苦笑)。
大阪府のガイドマップでは、仁徳天皇陵の南側、御陵通を延々海側へ下りてゆくルートです。前回もその通り歩きました。コレが辛い。
街道とは無縁な広い道は辛い。

この2枚は11月の奴。確かに松並木の景色は素敵でしたが、一回見たらもういいや(笑)。
って事で今回は天皇陵スルーで海側へワープしました。町中の道の方が気が紛れてイイです。

この道、更に疲れを感じるのは、阪堺電車の御陵前停留所まで西進して、スーパー玉出の手前の斜めの道を改めて東方向に進みます。この際、阪神高速堺線が通る国道26号線を一度渡り、斜めの道を進んだら再び26号線を今度は歩道橋で渡るんですわ。無駄多し。
今回ココもスルー。26号線沿いを南下して、歩道橋をエスケープ出来ました。

先程も堺市内の熊野街道が曖昧で、この大阪府ガイドのルートは怪しく思っています。その昔、大阪湾の海岸線はもっと山川だったそうです。たまたまネットで見つけた地図がこう。

方違神社のそばまで海です。そうすると、仁徳天皇陵も海沿いの高台に建造した事が想像出来るわけで、古の熊野街道は、海沿いをウネウネ進んだのでは?と思うわけです。
Google mapを見ても、推測出来るような直線でない道は皆無なので分かりませんけどね。
仁徳天皇陵をなぞるように歩くわけなので、そう思いました。というか、御陵前停留所から斜めに伸びるという事は、近代の熊野街道、もしかすると海沿い、堺の街中を南下したのでは?とも思えますね。取り敢えず、堺市の教育委員会にはもっと詳しく調べて欲しいもんです。

さて、熊野街道ウォーク再開。この辺まで来ると地車文化圏です。地車庫も現れます。

他にも町紋をペイントした倉庫を見つけましたが太鼓庫と書いてました。地車と太鼓台が共存してるようです。
さて、この斜めの道の突き当たり、大きな高架が見えます。再び26号線。左に取り、すぐに有るのが石津神社。午後2:00。
立派な木が有ります。

御朱印を頂く際、奥さんに話を聞いたら、鳥居横のケヤキの大木は樹齢1000年以上だそう。昔はもっと敷地も広大な立派な神社だったそうです。
26号線は右へカーブしますが、熊野街道は直進。数分進むと右手、パチンコ屋の先に大きな交差点。神石市ノ町交差点。
街道は斜め右方向へ向かいますが、ココらでトイレタイム。交差点向こうのファミマへ寄ります。

1枚目。ファミマ側から来た道を撮る。右奥、パチンコ屋の裏から来た。
2枚目。ファミマから向かう先を見る。横断歩道を渡り、3枚目、裏側の道へ。病院が目印。

病院前を過ぎると、目の前に小高い丘が見えて来ます。道幅が狭まり、古いお宅が並ぶ坂道を登れば、大鳥大社。午後3:00。


石畳の参道を進み数分。

11月末の前回は大鳥大社から浜側へ下り、浜寺公園から阪堺電車で帰りました。南海本線の駅舎は保存されてカフェ等に活用したり、資料展示室として見学出来ます。

因みにこの時、あびこ道駅で恵比須町行きに乗り換えたところ、今回撮った同じレトロ車両に乗れました。

全く熊野街道と関係無いですね(苦笑)。

さて、今回歩いた全体ルート。

驚きましたが、自宅から天満橋までも入れたからか、30キロ近く歩きました。やはり、4ヶ月ちょっとの間に、確実に脚力はUPしてるようですね。

11月の初回、2回目は散策気分でしたが、3回目の鳳以南は撮る写真も増えたので、あとで改めて記事にUPします。

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