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緊張と緩和〜だんじり祭り:未来への不安

コレまた大袈裟なタイトルw

まぁその理由は、ゆっくり述べるとして。

まずは3年ぶりに規制無く開催された今年の様子をYouTubeから。

でね。
今から丁度40年前のカンカン場の曳き出しの様子。

この違いが分かるのは、ネイティブ泉州人だけでしょうか?(苦笑)

もひとつ古い奴。昭和52年ですから45年前w

全く違います。

何が?w

肩の力が抜けてるでしょ?

一本目の動画、凄く緊張感無いですか?

もうね、かれこれ50年だんじりを見てきた身からすると同じ祭りと言っても別物ですわ。
タイトルにある「緊張と緩和」。
まぁ言葉の本来の使い方としては、緊張が有って、次に緩和が来るからバランス良い、リズム良くなるって事で、昔は上方落語の桂枝雀師匠がよく使ってましたね。緊張有る場面の後に、緩いボケが来る事で「な〜んや」と笑いが起こるという。

でも今の祭りは、緊張ばっかり。
そら疲れますって。

なんでこうなったか?
この40年の間に。。。
ちゃんと理由が有ります。

と、その前に。

□ソーリャーとソーリャー

理由が分からん変化を先に。

ココ数年見てて、とても気持ちが悪い事が有ります。それは「ソーリヤァ〜」の掛け声です。

一本目の動画。
やり回し前のゆっくり歩く所で綱先の子供達の声をよくお聞きください。そして二本目、三本目。40〜45年前の子供達の掛け声をお聞き下さい。分かりますか?

昔は「そーりゃ⤴︎〜」
今は「そ⤵︎ぉーりゃ〜」

なんでこんな風に変わったのか?
いつの間にか変化してました。
それは子供だけで無く青年団もそう。
という事は、20歳前後の人たちが幼い頃から染み付いてるアクセントだから、少なくともココ15年程は頭アクセントなわけです。

おっちゃん的に考えたら、頭アクセントの方がしんどい気がします。「そ」から強い息が必要だから。後ろアクセントだと、頭の方は少ない息で済みますよね。。。
なんでやろ?

勝手に想像するに、頭アクセントの方が後が楽って事でしょうか。要は現代人の体力減退から来る自衛本能というか。。。(知らんけど)
あなたの子供の頃は、どっちでした?
ホンマに、いつの時代に変わったか調査したいですわ。
毎年の動画をチェックしたら分かるんかな?

□緩和時代から緊張時代へ

さて本題。

具体的に二本目、三本目の動画と、一本目の動画の違いを解説しましょう。

現代のだんじりは、やり回し大会です。
ゆっくり交差点手前にスタンバイして、綱をビンビンに張って、青年団長の合図で一気に加速、高速で方向転換して走り去ります。
中には綱先の力に負けて青年団の連中が内側の柱に潰されそうになり、何度もスタンバイし直す場面も見られますよね。
やり回しが決まったら、後ろを追っかける婦人会軍団から大歓声が上がっています。
正にスポーツですわ。
こんなのは、昔は無かったですよ。

今の人たちが昔の動画を見ると多分衝撃を受けると思います。だって交差点手前で変にスタンバイする事無く「流れ」でそのまま交差点に入って方向転換して、何事も無かったかのように流れで走り去るんですから。

やり回しはビンビンに綱を張ってからでないと、青年団長が笛を吹かないと走り出せないと思ってる若者は理解出来ないかも?

いや、昔はそれで普通だったんですよ。
やり回しといっても、そんなに過度の緊張を強いられるものでは有りませんでした。

もう考え方自体が違います。

やり回しする理由から想像すれば分かりやすいでしょう。もっと昔、アスファルト舗装が無い時代を想像してみてください。
地車の重さは、今の比じゃ無いです。
石ころとか土とかがコマと噛んで引っ張ってもなかなか進みませんわ。

そうそう。宮入の際、境内に地車を引き込む地区の人なら分かりますよね。境内の土の上だと思うように進まないって経験。アレが丸一日、曳行コース全域そうなんですから。
でも円筒型のコマは、走り出して速度が乗ると軽くなります。方向転換の摩擦係数を考えると、止め回しより走ったまんまで曲げる方が曲げ易い理屈は分かるでしょう。
だから走り「ながら」曲げるようになったわけです。
それがずーーーっと続いてきました。
しかし、昭和の時代、道路が舗装されると昔よりスピードが乗るようになり、昔より危険度が増しました。恐らく死者も増えたでしょう。
ブレーキ装備が義務付けられ、やり回し手前に一旦停止線が設けられました。

二本目の動画(40年前)より三本目の動画(45年前)の方で、やり回し時減速させて直角に曲げる町が多いことにお気付きでしょうか?その前年に死亡事故が起きた為に厳しくなったからです。勿論お構いなしのやんちゃな町も有った訳ですが。

まぁそうやって、多少の対策は設けられつつも長い間、大きな変化無く曳行スタイルは継続しました。が、90年代、様相が変わります。

それは。。。テレビとビデオカメラ。
地上波全国ネットで大々的に取り上げられるようになりました。荒々しいやり回しの祭りとして。時代に全国から見物客が集まり、青年団たちは、より格好良い曳き方を意識し出しました。やり回しを速く格好良くキメたい!と。

ところが気持ちが先走り、やり回しでの事故が続出します。時代はビデオカメラ黎明期。素人カメラマンたちが撮った事故のビデオが泉州地域で大ヒット。それも何度もコピーされ、多くの祭り好きに広まります。目玉ポイントのカンカン場や小門貝源には、ビデオカメラを持った人たちがワンサカ集まりました。
通行止めになってる臨海線の交差点には、人混みを避けてシッカリ撮る為に工事用足場を持ってきて、即席スタジアムが出来る始末。
みんな事故の決定的瞬間を狙っていました。

さて。
視点を変えて。。。
何故、事故が増えたか?
地車の高速化と曲げる技術のアンバランスが原因です。
心棒が金属になり、回転を高める潤滑油が導入され、ベアリングなどが仕込まれ、どんどんハード面での高速化が進みました。
それに伴い、やり回しが難しくなります。
しかし、テクニックがついていかないので、力が弱いと外へ振られ激突。強すぎたらインに突っ込み激突。そして遠心力でバランスを失い横転。
さらに悪い事に、当時はブレーキの効きが良く有りませんでした。止めたくても止まらなかったので激突率が高かったんですね。

そんな時代の事故動画をどうぞ。

とはいえ。。。
事故は恥です。
町の恥であり、青年団の恥、後ろ梃子の恥。
それがこうやって後世まで残る時代です。
なんとか上手くやり回しを見せたい。
そうすると、事故のビデオをみんなで見て、どうすれば上手くなるか?の研究がなされるようになりました。
ハード面でも技術向上が岸和田旧市のみならず、泉州全域に広がりました。
上手いやり回しは、自分たちの地区でもやりたい!堺方面の上地車地域でも、どんどん岸和田型下地車が導入されるように。
なにしろ曳行の原動力=青年団のリクエストですし、上手いやり回しは町民総意ですから、町会も流されますわな。

そうして、次第に祭り=やり回し大会の様相が浸透してしまいました。
高速やり回しは危険が伴いますから、緊張感を持ってやる事に。
祭りから緩和がどんどん消えてゆきました。

□未来へ向けて

しかし、その流れと反比例して、個の時代に。

いかつい体育会系の青年団は敬遠される傾向になり、少子化も相まって、昭和の時代に比べて綱の長さは各地域どんどん短くなっています。
つまり、参加人数が減っています。

まぁ地車自体は摩擦係数の低下のおかげで少人数でも曳行出来ますが。。。

それでも金銭面でも運営が苦しく、曳行をやめる町会も近年出てきました。

個人的な見解ではありますが、この緊張時代がそのまま続くとは思えないのです。

祭りというのは本来楽しいものです。
もっと緩和の方向に戻さないと、祭りを伝承しようにも出来ない時代が直ぐそこまで来てるのでは無いでしょうか?

各地域で、祭りの準備がまだ無い季節に寄り合いをして、問題点を洗い出し、改善策を練るのをお薦めします。

個人的には、やり回しより、ゆったり進む町内曳きを後ろから追う方が心地良いのですが(苦笑)

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