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第22章 小筋肉のアスリートー音楽家のジストニー オリバーサックス著「音楽嗜好症」(早川書房)

〇局所性ジストニアについての歴史記述
・ウィリアムガウアーズ
「職業神経症」(1888年)に、20ページにわたり、記述している。「何度も繰り返す筋肉運動を行おうとすることによって、特定の症状が引き起こされる病気群で、一般に患者の職業が関係している」
 当時から、この症状は脳が原因していると主張。なぜなら、発症する体の部位はさまざまだが、問題となる職業はすべて小筋肉をすばやく反復的に動かす必要があること。もう1つは、無反応や麻痺のような抑制性の特徴と興奮性の特徴とが同時に起こること。本人が抑制と戦おうとするぼど異常な動きや痙攣が多くなること。このような考察からガウアーズは、「職業神経症」を脳の運動制御の障害とみなす方に傾き、運動皮質が関係している障害と考えるように。
・その後、その深刻な症状に関わらず、1世紀にわたって医学的にほとんど注目されなかった
・ディヴィットマースデン
 書痙は大脳基底核の機能障害の発言であると提言。その障害はジストニー(筋失調症)と同質であると。マースデンの提言はほかの研究者に取り上げられたが、とくに有名なのは国立衛生研究所のハンターフライとマークハレットで、彼らは書痙や音楽家のジストニーのような仕事特有の局所性ジストニーを集中的に調査し始めた。急速な反復運動が感覚への過負荷を引き起こし、それが徐々にジストニーにつながるのではないかと考えた。
・1990年代までにこの問題を詳しく調べるためのツールが利用できるようになり、研究者を驚かせたのは、局所性ジストニアは運動の問題ではなく、感覚システムの皮質障害が、きわめて重要であることがわかったこと。
・ハレット
 ジストニー患者の手の感覚野におけるマッピングが、機能的にも解剖学的にも混乱していることを発見。このようなマッピングの変化がいちばん大きかったのは、いちばん悪くなっている指。ジストニアの始まりとともに、冒された指の感覚表象が極端に拡張し始め、その後、重なり合って融合し、「脱分化」する。これが感覚による識別の衰弱と、潜在的いな制御喪失につながる。この状況に対抗しようと、たいていの演奏家はさらに集中して練習するか、力づくで演奏する。そこに異常な感覚インプットと異常な運動アウトプットが互いに悪化させるという悪循環が生まれる。
・フランクウィルソン
 主導筋と拮抗筋の相互バランスが完璧にとれた状態で、複雑で細かい正確な指の動きを、次々と猛スピードで繰り返し「機械的に」行うには、制御システムのようなものが根底にあるはずだと考えるようになっていた。そのようなシステムは、さまざまな脳構造(感覚運動皮質、視床神経、基底核、小脳)の協調を必要とし、機能的能力をほぼ全開にして働いていると主張。1988年に、「全速力で演奏する音楽家はシステムの働きから見ると奇跡だが、特異なもろさを秘めた奇跡であり、そのもろさが不測の結果を招くことがある」と書いている。
・ミハエルメルツェニッヒ 局所性ジストニアの動物モデルを研究、感覚ループの異常なフィードバックと運動の誤発火が、いったん始まると、どんどん悪化することを示した。
・ヴィクトルカンディア
 退化した指の表象を再び分化させるために、感覚の再訓練を行った。投じる時間と努力は相当なもので、しかも成功するとはかぎらないが、少なくとも一部の症例では、この感覚運動野の再調整によって指の動きと皮質の表象が比較的正常に戻ることがわかった。
・ボツリヌス毒素を少量投与するアプローチ
 マーク・ハーレットのグループが先駆けとなって、音楽家のジストニアの治療にボトックスを実験的に使用してみたところ、少量を慎重に注射することで筋肉がある程度弛緩し、局所性ジストニアの混乱したフィードバック、異常運動プログラムを引き起こさないことを発見。

〇当事者のカミングアウト
・ゲイリーグラフマン
・レオンフライシャー
 ティーンエージから傑出した世界的ピアニストだったが、36歳の時、演奏していると右手の薬指、小指が手の下で丸まり始めることに気づく。その症状と闘い続けるが、闘うほどひどくなった。1年後、演奏を断念。1981年「ニューヨークタイムズ」紙のインタビューのなかで、その経過についての詳細を語っている。治療法を探しているとき、彼の疾患はまったく信じてもらえなかった。症状が出るのはピアノを弾いているときだけで、診療室にピアノを置いている医師はほとんどいなかったと。
 フライシャーが自分の病気を公に認めたのは、1981年にグラフマンが自分の問題を認めた直後。それに励まされてのこと。そのおかげで1世紀ぶりに医学界と科学界がこの問題に注目するようになった。
 「ピアニストは痛みなどの症状をこらえて練習するべきではありません。私は音楽家のみなさんに警告したい。自分を小筋肉のアスリートと考えて行動しなくてはだめです。音楽家は手と指の小筋肉にものすごく負担をかけるんです」と。
 1980年代後半に、マークハレットと出会い、ボトックス治療を試し、また、腕と手の失調した筋肉を柔らかくするロルフィングを行う。ロルフィングとボトックスの組み合わせが突破口となり、1996年に両手での演奏が再び可能となった。
・グレンエストリン
 優秀なフレンチホルン奏者だったが、アンブシュア・ジストニアにかかった。ボトックスの治療を受けたが、再発の危険と症状による支障の度合いを考えて、演奏を中止した。その代わり、「ジストニーの音楽家の会」の仕事に目を向けた。2000年にフルフトとともに、病気を周知させ、闘病中の音楽家を助けるために設立した団体。
・パウル・ウィトゲンシュタイン
 ウィーンピアニストで、第1次大戦で右腕を失ったが、世界中の優秀な作曲家たちに左手のためのピアノ独奏曲と協奏曲を依頼。レオンフライシャーにも影響を与えた。

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