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「第29章 音楽とアイデンティティ 認知症と音楽療法」オリバー・サックス「音楽嗜好症」(早川書房)

 最終的に、アルツハイマー病患者は自己認識の基本的な部分、とくに自分の無能力の自覚をなくす可能性がある。しかし、自己認識や精神作用をなくすと、自己を失うのだろうか。p486

 アイデンティティにはとても活発で広い神経基盤があり、個人のスタイルは神経系のごく深くに染み込んでいるので、少なくとも精神生活が少しでも続いているかぎりは、アイデンティティがすっかりなくなることはないように思えるp486

 認知症者の音楽療法の目的は、患者の感情、認識力、思考、記憶、つまり残っている自己に働きかけ、それを刺激して前面に持ってくることを目指す。存在の質を高め、幅を広げ、自由と安定と秩序と焦点を与えることが目標p487

 音楽への感受性、音楽への感情、記憶は、ほかの形の記憶が消えてしまったずっとあとも残っている傾向があるので、そのような患者への音楽治療は可能p487

 父は自分の人生についてあまり覚えていません。それなのに、かつて歌ったことのある歌のほとんどすべてについて、バリトンのパートを覚えているのです。彼は40年近く、12人のアカペラ合唱団で歌っていました。音楽は彼をこの世につなぎ止めておける数少ないものの1つです。

 ローズマリーは、かつて夫の自己を構成していたものがどんどんなくなっていくにつれて自分がじりじりと未亡人になっていくことに、くたびれ疲れ果てているように見えた。しかし3人で一緒に歌っているとき、彼女は少しも悲しくなかったし、未亡人でもなかった。そういうときの彼はとても存在感があるので、数分後にいなくなってしまうこと、歌ったことを忘れてしまうことに、いつもショックを受けるのだ

 グレッグやウッディほど重い健忘症の人の場合、顕在記憶につながる一種の裏口として歌を使うことはできないが、それでも歌をうたうという行為そのものは重要だ。自分が歌えると知ること、あらためて思い出すことは、ウッディにとって大きな安心につながる。p493

 ほかの心的能力が深刻に損なわれたときでさえ、音楽の能力と好みはそのまま保っている。ほかのことをほとんど理解できないときでさえ、レコードでも、正式な音楽療法でも、とにかく音楽に触れる機会があることがとても大切p495

 おそらく一人か二人か歌い始め、ほかの人たちが加わり、すぐに全員が可能な範囲で一緒に歌っている。「一緒に」というのは重要な言葉だ。グループ意識が根付き、病気と認知症によって救い難いほど孤立しているように見える患者たちが、少なくともしばらくのあいだ、他人を意識し、心通わせることができるp496

 一緒に踊るときは、声だけでなく体も同調するので、もっと深く根本的なきずなが結ばれる。「体はさまざまな行動の統合である」とルリヤは書いているが、統合がなければ作用や相互作用は起こらず、肉体があるという感覚そのものがむしばまれかねないp497

 どうしてもなくてはならないのがリズムだ。リズムによって私たちは、肉体があるという感覚、そして動きと生命の原始的な感覚を、取り戻すことができるp498

認知症患者に対して、音楽は長期的な効果ー気分、行動、さらには認知機能の改善ーを発揮し、音楽が止まったあと数時間から数日間も続くことがある。p498

音楽の感じ方、音楽が揺り動かせる感情は、記憶だけに依存しているものではなく、聞き憶えのない音楽でも心理的なパワーを発揮することができる。重い認知症の患者が、前に聞いたことのない音楽を聴いて、むせび泣き、身を震わせるのを見たことがある。彼らにはほかの人たちとまったく同じさまざまな感情を経験できるのであり、少なくともそういうとき、認知症は深い感情を妨げないp501‐502

(認知症の人にとって)音楽はぜいたく品ではなく必需品であり、ほかの何よりも音楽に触れることで、自分自身を、そしてほかのいろんなものを、少なくともしばらくのあいだは取り戻すことができるp502
  

  

 

 

 

 

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