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鬼滅の刃を読んでやっぱり日本語って大切だな…と思ったということ

鬼滅の刃には大正時代という設定もあってか、古い言葉や難しい言葉が出てきます。何となくは知っていもちゃんとした意味を説明できるかといわれると「えーーーっと……」と言葉に詰まるようなものもあります。(私の知能レベルの問題によるところが大きいわけですが……)


生殺与奪

杓子定規

戯け者

御意

退く

蹲え


「御意」などは、LINEスタンプなどにもたくさんあって、すっかり身近な?!言葉になったようにも思います。


最近では、将棋の藤井聡太さんと木村一基さんとの対局で「封じ手」という言葉が使われて、「『封じ手』とは将棋の用語だったのか~」とその由来を知った人も少なくないと思います。

こういったようなことはたくさんありますよね。

文化庁が毎年実施している、日本語の誤解や誤用について調査する「国語に関する世論調査」でも


たとば2019年の「どちらの意味だと思うか」については下記のような結果になっています。


日本語

このような形で誤用が生まれています。

誤用した人同士がこれらの言葉を使ったコミュニケーションを取った場合、色々とトラブルも起こってしまいそうですね……。


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さて、ここからが本題です。
ちょっとセンシティブなお話しになります……。


なぜこの投稿をしようと思ったかというと、三浦春馬さんのことに関連したツイートで「お疲れ様でした」というツイートを目にしたからです。

「お疲れ様でした」というのはどういうときに使う言葉でしょうか?

大雑把に言えば「何かに対してのねぎらい」をするときなどに使う言葉ではないかと思います。

一応、辞書的な意味を……

おつかれ‐さま【▽御疲れ様】
[名・形動]相手の労苦をねぎらう意で用いる言葉。また、職場で、先に帰る人へのあいさつにも使う。「ご苦労様」は目上の人から目下の人に使うのに対し、「お疲れ様」は同僚、目上の人に対して使う。
デジタル大辞泉(小学館)


なお、文化庁が発表した平成17年度「国語に関する世論調査」では、(1)自分より職階が上の人に「お疲れ様(でした)」を使う人が69.2パーセント、「ご苦労様(でした)」を使う人が15.1パーセント。また、(2)自分より職階が下の人に「お疲れ様(でした)」を使う人が53.4パーセント、「ご苦労様(でした)」を使う人が36.1パーセントという結果が出ています。

調査から14年もの月日が流れたため、現在の使用状況は明らかではありませんがツイッターの投稿から見ると、年下の人が使用している例が多くありました。


ツイートを投稿した方々の年齢はともかくとして弔いの言葉として「お疲れ様でした」という言葉を目にしたときに胸のざわめきは「このツイート」が意味するところ、真意、深層心理はどのようなものなのだろうか……という疑問がたくさんありました。


「お疲れ様でした」の主語は何であるのか、役者としての人生であるのか、一人の個人としての人生であるのか、それとも何かと戦ってきたことに対するねぎらいであるのか……。


「お疲れ様でした」という一言を使うことで、この出来事に対して区切りをつけているのか、もしくは現在から切り離しているのか……。


仕事の場面や職場において「お疲れ様でした」を多用する現代的な思考によるものなのか、その理由はわからないけれど、もっと適切な言葉があるのではないか……、なかったとしても「お疲れ様でした」という言葉を使うことに躊躇いや戸惑いはなかったのか‥‥‥。

そう感じずにはいられませんでした。



詰め込み教育」「ゆとり教育」など、日本の教育上の問題はあると思いますが、それは別として、どういう言葉を使うのか……という自分の意識の問題に向き合うことがとても大事であるということに気付くきっかけになりました。

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