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今、何してました?この質問を毎日誰かにしている。
 
文章の書き出しのように、おしゃべりの始まりに愛しさがある。そんなことを思うようになったのは、毎日顔も名前も知らない人と話すようになったからかもしれない。 
 
最近、声の収集家という、誰のためかわからない肩書きを思いついた。収集といっても保存が目的ではなく、声が集まるところに関心がある。
 
ところで顔も本名も知らない人と話す方法を知っているだろうか?これが私の日課なのだ。
  
2年間くらい。ほぼ毎日。音声だけで会話をしてきた。

焚き火
https://twitter.com/arfete


□ Twitterのスペース機能は、音声で話せる場所

手段は、Twitterのスペース機能を使う。インターネット上のスペースにたまたま入ってくれた人と、声だけで雑談するのだ。グループ通話を公開しているようなイメージが近いかもしれない。

これから記すのは、音声メディアを使って人と話すときの案内と、この期間に起きた愛しい記録みたいなことだ。
 
もしあなたが誰かと話したいと思ったときに思い出して読んでもらえたらうれしい。
 
確か、Twitterのスペース機能が実装されたのが、2021年4月末頃だったと思う。初めて人のスペースに入った。おしゃべりした時間は、これからも記憶に残っていく時間だったように思う。
 
この年、音声メディアが流行り始めていた。
 
Twitterスペースは、聞くと話すが両立できる機能だ。電話と似ているようで少し違う。静かに盛り上がっているものの、実際は、まだ浸透はしていない。と思っている。
 
ラジヲ、テレビ文化の日本。聞く、見ると言うのが好きな国民性なのだろう。例えば、インスタライブやユーチューブライブを見ても、見ているだけの人の方が多い。
 
そう思うと余計にスペースに誰でも入ってくれるわけでもなかった。新しいことを面白がる人だったり、知り合いがやっているから気になってみたいな人が集まっている。個人的には、誰でも入れるようになったらいいのにと思っているけど。
 
2年前。私のTwitterアカウントは、何か新しい縁があればいいなと言うくらいの気持ちで続けていた。気まぐれでつぶやいていたくらいのもの。スペースを使うようになって、当時300人くらいだったフォロワーも気がつけば1600人くらいになっている。
 
この数字は、SNSの世界では、小さい数字。何十、何百万人のフォロワーのアカウントがいくつもあるのだから誰も驚かないだろう。
 
ただ、私は600人以上の声を知っている。
 
これがどんな意味を持つのか?まだ全てはわかっていないけれど。

ところで世の中の状況も合間ってこの数年は、色々なことが分断された。
 
それをつなぐようにインターネットに少しばかり肩を寄せた人も増えた。これからはどうなるのか?まだわからない。外出が気兼ねなくできるようになってきて、リアルに戻っていく人も少なくないだろう。
 
先日、ほぼ毎日2年ほど開いていた話す場(スペース)を引退した。活躍してもないのに引退とは恥ずかしいけれど。なんかそう言いたかった。
 
一年くらいは、毎日やってみようと思って始めたスペースだった。これは実験をする感覚に近かった。
 
今も、人のスペースにお邪魔はする。そして、唯一スペースを開くのは、ラジヲ番組をお届けするときだけにすることにした。(多少の臨時営業はあるけれど)
 
3年目は、違う形でスペースを使いたいと思っている。
 
スペースをやると。すっぴんでも人と話せる。もしかしたら、恋人ができるかもしれない。(それだけの目的だとろくなことはないけど。)
 
普段は、わざわざ言わないようなことを話したり、寝れない夜に誰かの声を聞けたり。可能性がいくつもあって、大切に思っている場所なのだ。
 
人に話しかけてもらえる時間は、愛しい。この話を読んで、スペースに入ってみよう(開いてみたい)と思ってもらえたらこんなに喜ばしいことはない。


□ Twitterスペースって何?

ホスト、スピーカー、リスナーの3つの立場で参加することができる。音声を通してリアルタイムで話せるのがスピーカー。ホストは、主催者として無条件に話すことができる。

スピーカー権限を持っている人は、発言ができる。リスナーの人は、スピーカーのおしゃべりを聞くことができる。

そして、ホスト(スペースを開く主催者)は、10人までスピーカーの権限を渡せるようになっている。ホストも含む)

リスナーは、リクエストを送ることもできて、承認されればスピーカーになっておしゃべるすることも可能だ。 
 
ラジヲのようにひとり喋りを聞いてもらうこともできるし、色々な人と雑談もできる。
 
zoomと違うのは、音声だけということ。
 
インスタライブのようにTwitterの画面上部にスペースを開いている人のアカウントが表示される。そのアカウント画像をタップすると、参加するボタンなどが表示される。
 
そこから聞くことができる。


□ グループ通話と違っていること

電話やグループ通話と違うのは、開かれているという点。そして、わざわざ呼び出されるのではなく、勝手に開いている場にタイミング合う人が入ってくれるという感じのニュアンスだ。
 
だから、私にとっては喫茶店やBARをやっているような気持ちに近いかもしれない。 

サービスが開始したこの年、音声SNS clubhouseの流行から始まり、多くのSNSに音声機能が追加された。
 
もともと音声メディアと言われる配信系のサービスはあったのだけど、参加型のモノは少なかった。
 
相互に話せることが何より魅力だった。
 


□ ふらりと寄れるお店


先日、とあるBARのカウンターで店主と話していた。話題は、一年待ちの中華のこと。これは、又聞きしたお客さんの話だ。
 
ある女性が「一年も先の予約を入れるなんてその気持ちがわからない。」と言う。
 
「その日、その時。お鮨が食べたいと思うかもしれないし、カレーが食べたくなるかもしれない。そしたらどうするの?」
 
食べたいものは、気分で変わる。だから、そのときに決めたいそうだ。

これは、予約を否定しているものではない。それほどに人が求めるお店は素晴らしいことだ。
 
ただ、この女性の気持ちもわかる気がする。約束をして話すことも楽しいけれど、たまたまやっていたお店。カウンターで偶然隣り合わせになった人と、程よく話す時間は、やさしく、選べる範囲が多いやさしい。
 
スペースの良さは、こういう偶然の時間にある。
 
もちろん、わざわざ集まる良さもある。イベントのようで楽しい。けれど、何にも縛られない良さがあることを知っている。 
 
仕事の帰り道、たまたまついている灯。少しだけ寄ってみようかなと思うときの気持ちで、話せる場がスペースのいいところだ。
 


□ 自己紹介はいらない


気がつけばこの場で話した人は、数百人を超えた。多分自分の感覚では、600人以上話していると思う。途中から数えるのをやめてしまったので定かではない。
 
定期的に話している人もいれば、一年とか数ヶ月に一度くらい話す人もいる。たった一度きりのお喋りした人は、いつかまた話せたらいいなと思っている。
 
特にルールは決まっていない。この場にあらゆる人が立ち寄ってくれる。
 
ちなみに私のスペースでは、最初に自己紹介はしない。雑談から始まって、雑談で終わる。
 
その人が何者なのか?肩書きは必要ない。

どちらかというと、好きなものの話とか、こっそり考えていることなどを話す方が自分には合っている。
 
これは個人的な意見だけれど、肩書きから始まる会話は窮屈だ。相手の立場を知ったとき、態度が変わってしまうこともある。少しばかりの気遣いがあればそれでいい。
 
私の場合は、できるだけ平らに話したい。と思っている。
 
例えば、5歳と70歳が話せる世界があれば、誰も退屈しない。会話は、共通点から始まるものばかりではない。
  
そのときだけ、知らない世界に寄り添う。知らないことがうれしい。これから知っていけるから、形のない関係に引かれているのかもしれない。



□ 誰かの声を聞いていたい

Twitterのスペースは、以下みたいな人にと相性がいいのかもしれない。

• ラジヲが好き
• 人の話を聞きたい
• 知らない人と話してみたい
• 考えを深めたい
• 正解を求めすぎない
• インターネットが大好き
• 表現をしていてその裏側を話したい
• 仲間が欲しい
• 話し相手が欲しい
• 悪口を言わない人
 
Twitterを始める理由と同じように、スペースを始めることにも理由がある。 

なんとなく始めた人でも、そのきっかけは興味深いものだ。
 
ただし、素人とプロが入り混じっている。素人の会話の方が多いから、多くを求めずになんとなく耳を傾けるのがいい。 
 


□ おしゃべりが好きなところは、消えるところ


Twitterスペースでは、一体何を話してるの?と思うかもしれない。 
 
気のしれた人と話すのであれば、普段の友人付き合いのように雑談をすることは想像できる。
 
これが、はじめましての人ともなると。不安な人もいるだろう。
 
顔が見えないから、相手の様子を伺うのも難しい。
 
だから、手探りで話を進める。無言が耐えられる人だと割と穏やかに入っていけるかもしれないけれど、焦って話してしまう人もいる。声が被ると、気を使う。
 
けれど、話すのが上手である必要はない。誰かに頼まれたわけでも、仕事でもない。何かを得ようと欲張らなくていい。
 
少しでも楽しい時間を過ごせたらそれでいい。それくらいの温度で参加するのがいいと思う。

それならリプライやdmでいいじゃない?と思う人もいる。それだと慎重に言葉を選べる。瞬時に言葉を返さなくていい分少し安心かもしれない。 

けれど、文章にすると残ってしまう。たまに生まれてくる、少しネガティブな話や、恥ずかしい話。人にあまり知られたくないような話は、残ると後味が悪い。
 
記憶に残る場合もあるけれど、それはそれぞれの捉え方に変換される。
 
その場にいなかった人がそれを掘り出したりすることはほとんどない。
 
消えることの安心感というのはある。(録音されてしまったら…。というのはあるけれど、その場にいないとそれはできない。)

次の日になっても話の内容を覚えていなくてもいい。ただ、あの時間楽しかったなと思う気持ちがあれば十分だ。


□ 録音もできる


スペースでは、録音もできる。音楽やラジヲを届けたい人は、この機能を使えば、生配信した後、追っかけ再生をしてもらうこともできる。 
 
ただし、ほぼ編集はできない。今後変わってくるかもしれないけれど。現状はそう。
 
リアルタイムはハードルがあってもアーカイブを聞くだけならできる人もいる。 

使い方によっては、重宝すると思う。
 
この録音を使うユニークな方法もある。これは、また書きたい。
 
初めての人は、誰かの録音を聞いて見るのもいいかもしれない。

 



□ スペースをやる上でのお作法


知らない人と話す上で、実はお作法のようなものと、注意事項がある。

• 個人情報には、十分に気をつける
• 無理に仲良くしなくていい
• フォローするかどうかは自由に、タイミングは相手に委ねること
• スピーカーリクエストは慎重に承認する
• 終わり時間を決めておく
• 私オリジナルのルール

アカウントの多くは、実名ではない。どんな人か?その人の一部しか知ることができない。 

だから、慎重さを持っていた方がいい。そして、自分とは合わない人がいる可能性もある。
 
実際に意見が合わず、言い合いになるケースもある。意見が違うことはいい。けれど、相手の話を聞けない姿勢だと争いにしかならない。

自分の開いたスペースでは争いになった経験はないけれど、人のスペースに入った時に、その一部始終で出くわしてしまったことがある。聞いていられなかった。
 
それから、スペースは誰が聞いているかわからない。これを忘れてはならない。だから、誹謗中傷はもちろん悪口は言わないのが懸命だ。 
 
そこにいない人のことを話すときも、日向口のみにする。スペースは、個室とは違う。誰でも耳を傾けることができる場で話していることを理解しなければならない。

人は告げ口をするものだ。話が勝手に独り歩きして、揉め事が増えても誰もハッピーにはならない。

スピーカーに上がる人は、ある程度、寛容的な人の方が向いていると思う。
  
だから、私は、スピーカーのリクエストを全て承認していない。

ありがたいことにリクエストを送ってくれる人もいる。これは、スペースに入ってくれている人たちと楽しむための苦渋の決断なのだ。

誰に話してもらうか?ということをとても大切にしている。

これは、ホストに与えられた権限で、自由にやらせてもらっている。

どうしても話したい人は、ぜひ自分で開くのがいい。そこは自由にできる。人の場所で過ごす際は、そうはいかない。尊重がなければ、スペースが開かれなくなってしまう。

  


□ 意外と大切な通信環境


  
通信環境、声を拾うマイク(イヤフォン)これが意外と大切。スペースは、声だけが頼りだ。聞き取りづらいと辛くなって閉じてしまう。 

幸い最近のスマートフォンは、相当優秀で音声も年々良くなっている。
 
例えば、iPhoneには、声を分離する機能も備わっている。(周りの騒音を小さくして、人の声だけ聞こえやすくしてくれる)
 
音声が悪くて、人が出て行ってしまう場合もあるから、「みなさん聞こえてますか?音声が悪いときはよかったら教えてください。」など声をかけてみるのもいいかもしれない。


□ みんなでつくっているから続いている


スペースに入ること、そこで話すことが緊張するという声をよく聞く。私は、ほとんどそんな感覚を持ち合わせていないのだけど。割とそういう人は多そうだ。
 
安心安全であること。これが、人を素直にさせてくれる。
 
だから、否定ばかりする人。自分の話をとにかくしたい人は、私たちが行っている場はおすすめしない。
 
そういう方は、自分で開いた方がいいかもしれない。
 
例えば、違和感を感じるのは私だけなのだろうか?と思うことがある。とか、どこにも自分の居場所がない気がしてしまう。そんな人もいいだろう。
 
色々やりたいことがあって、前向きに話したいけれど、おもしろがってくれる仲間に出会えない人もいいかもしれない。

インターネットは、宇宙だ。少数だと思っていたことも、ある程度の数になれる。だから、諦めないで欲しい。

私もどちらかというと多数派なことが好きではないと思う。スペースで話した人たちに支えられている。

人の話に相槌をうってくれる。だから、話してもいいかなと思える。会話の空気というのは、徐々にあったまってくる。そして、たった一言の心ない発言で冷めてしまうものだ。 

相手への気遣いは、忘れてはいけない。 

他には、謝り続ける癖の人がいたり、すごく丁寧だったり、よく笑ってくれる人もいる。こういうところは、リアルの会話とさほど変わらないかもしれない。
 
いい関係を築きたいのであれば、相手の会話の個性を受け入れていくそういう姿勢があるといい。幸いこの2年で縁があった人々には愛がある。

ゆっくり話すのを待ってくれる人もいるし、じっくり考えてから話す人もいる。聞いてくれる人の存在の大きさを感じずにはいられない。 

加えて、仲が深まって身内感が出てきやすいときでも、新しく入ってくれた人を迎え入れてくれるような心もあった。
 
入りたての頃、私も親切にしてもらったから。そういうことをちゃんと覚えていて、同じように自分も振る舞ってくれる。そういう空気は、ひとりでつくれない。 

感謝したい人が何人もいる。いつの間にかスペースは、みんなでつくっている場になった。


□なかよくしなくていい


 
みんなでつくるというのは、足並みを揃えて、等しくという感じより、ひとりが好きなことをやっていて、みんなのやりたいことの輪が少し重なっているところを大切にしたいという感じだろうか?
 
だから、同じ木漏れ日を共有しているようなくらいのもので、たまに時間を重ねられたらと思ってる。
 
忖度と気遣いと思いやりは、少しずつ違う。心配りを忘れない人たちがすてきだ。入ってくれたことには精一杯の敬意をもちたい。
 
けれど、無理に誰かを繋いだりはしないし、ましてやフォローするしないの話はできるだけ控えている。 
 
たまにフォローしましたとか。フォローありがとうございます。とか、言葉にしてくれる人がいるけれど、個人的には言葉にしなくても大丈夫だし、気が向いたときに好きに選んで欲しい。(気持ちはとてもうれしい。丁寧にありがとうございます。という気持ち。)

選択肢は、相手にも私にもある。相手に忖度を促してはいけない。
  
そこは、ゆるく捉えていたいし、捉えていただきたい。程よく付き合っていきたい。



□ 聞く専門の人


スペースを続けていると、よく顔を出してくれる人が出てくる。これは、話を聞いてくれる人に限らない。毎回、静かに聞いてくれる人もいる。  
 
何を話しているのか?様子を覗いてみようという人もいるだろうし、気になる人が話しているから入ってみたという人もいる。 
 
話している内容が気になるという人も少なくないだろう。 
 
ラジヲのように聞いている人もいるだろうと思う。
 
スペースには、色々な人が入ってくれる。知らない人が聞いていることを不安に思う人もいる。ただ、監視されているように想像し始めると健康的でないので、お店のカウンターで話しているような感覚を持つといいかもしれない。 
 
そして、聞いてくれる人がいることでありがたいこともある。スペースに入ってくれる人が増えるほど、広くスペースの存在が伝わる。 
 
思いがけない縁は、こういうところからもあったりするので、聞いてくれている人のことも大切に思っている。
 
ずっと聞いてくれていた人が、スピーカーに上がってくれるときは、うれしい。

大袈裟だけど、湖の対岸で手をふり合っている人。その声を初めて聞くみたいに尊い気持ちのときさえある。

インターネットは、宇宙のように広く尊い。流れ星のように過ぎ去ってしまう方が普通だから、そこで立ち止まってもらえることは愛しい。



□ スペースの外


 
なんとなく始まったスペースでの会話。この場が樹のように枝分かれして色々なことが始まっている。
 
自分でも開いてくれる人がいることで新しい場が生まれる。自分で開くのもたのしいけれど、人のスペースにおじゃますると少し違う。この変化が愉快だ。
 
最近始まった、「スナックすず」という番組もある。このスペースは、#誰かの愛おしいツイート を勝手に紹介するラジヲ番組だ。
 
まさか番組が生まれると思っていなかったので驚いている。何度かやりたいなとは思ったけれど、6回も続いたのは、喜ばしい。

ママ役を担ってくれているすずちゃんの存在は大きい。そして、毎回聞いて感想をくれる人もいる。
 
というようにバリエーション豊かなスペースが増えてきた。

そういうこともあって、スペースの縁を繋ぐように、もうひとつの場所を持つことにしている。
 
スペースは、基本的に誰でも入って聞くことができるから、少し踏み込んだ話をするときは場所を変える時もある。
 
別のアプリを利用して招待した人だけが話せる場を持つことも、安心安全な場所をつくれる。
 
開かれた場所と、閉じた場所のハイブリットな関係がとてもいいと思っている。



□ 時間が溶ける

スペースを開く時間は、いつでもいい。けれど、比較的夜に集中する傾向にある。フォローしている人たちの活動時間にもよるけれど。夜遅くから深夜に向けて盛り上がることが多いのだ。
 
寝不足になってしまう人もいる。
 
人と話していると、時間が経つのは早い。もう、溶けてしまったんじゃないか?と思うほどに数時間がすぐ溶けていく。その場で反応をくれるからその場から離れられなくなる。 
 
だから、自分から退出できる人がかっこいい。

時間を決めてやる人もいるけれど、予定通り終わるスペースをほとんど見たことがない。

自分の身は自分で守ることをおすすめする。

いっしょにやってしまった夜更かしがお互いの距離を縮めることもあるのも知っているけれど。



□ 話したりない人たち

2年間あらゆる人と話した。性格も性別もの職業も育ちから好きなものも、癖も違う。

日本国内はもちろん。海外在住の人とも話せるのがうれしかった。お互いの天気を聞いたりするだけで楽しめる。

ここでしか話すことのなかっただろうなという人や会話だってある。

履歴書の書き方をどうしようか?いつか話したあの子は、先月、お母さんになった。
 
服への愛情を感じる着こなしがとてもすてきだなと思っていた子は、社会人になってアパレルの道に進んだ。宿を運営している彼とはお味噌汁の話をできることがうれしいし、乾杯もするようになった。

いつか開きたい餃子屋さんが20個150円が理想というあの子とは、未だに食材や料理の話をするのが大好き。(安すぎはしないか?)

パンが発酵する姿が愛しくて仕方がないあの子は、何時間も働いて疲れているのに、これからの話をうれしそうにしてくれた。

どて煮が好きなあの子は、愛犬の可愛い写真を送ってくれるし、タクシードライバーのあの人は、色々な街の話をしてくれて今の仕事が好きだという。

とっても可愛いのに自信がないあの子の話を聞く度にかわいいなぁと思うし、とあるシンガーソングライターを愛する彼女は、絶対とか永遠とか信じていなくてそれが逆に信用できるなと思ってしまう。

話し足りない人柄があって、大勢の人と話す度に好きなものが増えていくし、自分の狭さを広げられるような気になった。私は、豊かさみたいなものは信じていない。

いつかの幸せよりも、今どんな状態でいるか?好きなものがひとつでもあるか?それでいいと思っている。

こちらを向いて話してくれる人に救われていると思う。

まだ話せていない人ともきっと愛しく思えたり、笑ってしまうような出来事があるだろうと思う。これからスペースにどんな声が集まるのか?追い続けていきたいと思っている。



□ Twitterスペースを500日以上続けてみたら?

こどものときの一番の悪さは、親に内緒でポータブルテレビを買ったことだ。 
 
スマートフォンよりも画面が小さく、本体の半分くらいしか画面がない。そして、何倍も分厚い。
  
コツコツ貯めたお年玉を使って買ったけれど、小学生にはかなり高額だった。

そこまでして手に入れたかったのには理由がある。我が家では、見ていいテレビ番組が決まっていた。両親ともに厳しい家だった。
 
お祭りにこどもだけで行くことは許されなかった。友だちとゲームや漫画の貸し借りも許されなかったし、どこに出かけるのか?何時に帰るのか?今思えば監視とも思える環境で育ったのだ。 
 
ある日。不良の予行練習をした。テレビよりも小さなイヤフォン型のラジヲ。まずはこちらを手に入れることにした。片方だけだから、部屋のドアと反対側の耳につければ、親が急に部屋に入ってきても誤魔化せる。 
 
それからというもの毎日、夜になればラジヲを聞いた。人が話している。それだけで安心した。1ヶ月も聞くうちに声だけでは満足できなくなっていた。
 
当時、一部のテレビ番組は、ラジヲで聞くことができた。
 
色々と番組を聞いてみたけれど、その中でもドラマを聞くことに目覚めていった。

音だけを頼りに聞いたものがたり。

自転車の音、ブレーキの音がする。鳥の声や木の葉が揺れる音もした。ふたりの男女が再会するシーンを覚えている。

まるで小説を読むようにというとカッコ良すぎるけれど、映像を浮かべながら世界を確かめて行った。
 
家の近所の樹々を見て、もしかしたらこんな姿だったのかもしれないと思うとうれしくなって見つめるようになった。葉が散るとき、横から吹く風が見えた気がした。
 
一度だけしかないチャンス。それは、とても心細かった。

だから、英語のリスニングをするためという口実で、ラジカセを親に借りて、録音することにした。ラベルには、英語と書いて、最初の5分だけ英語のおしゃべりを録音して、その後からはドラマをこっそり残した。
 
録音したものを擦り切れるほど聞く。いつしか、セリフを覚えるのは当たり前。ほとんど音のないシーン。ささやかな音が動き出すところすら好きになっていた。 
 
少し経ってから、初めてそのドラマをDVDで見れたとき。わからなかった世界に一気に色がついて、風の吹いていた坂道がそこには広がっていた。
 
こんな遊びを続けていくうちに、ラジヲでは飽き足らず、液晶テレビまで辿り着いた。
 
両親には、感謝もしているし。悪く言いたい訳ではないけれど。
厳しいことの限度を過ぎていることがいくつもあった。

プライバシーなんてものはなかった。机の引き出しはいつでも覗かれる。勝手に買い物をしてきたものは、必ず問い詰められた。部屋にはどこにも死角が無い。テレビなんか見つかったらとんでもないことになる。 

だから、綿密な計画でテレビの居場所をつくった。幸いなことに一度も見つからず。今のいままで胸にしまってきたのだ。(もしかしたら、わかっていたけれど見逃してくれたのかもしれない。)
 
そんなわけで、小学生の冒険で私は声の虜になっていた。 

友人の多い方ではないし、小中はかなり悪質ないじめにもあった。だけど、逃げ道があったから、不思議と人のことを嫌いにはならなかった。 

あれから大人になって、Twitterを始める頃には、定額サービスも始まって、こどもの頃、ユーチューブや、サブスクがあればもっと自由だったのかななんて考える。 

けれど、今思えば。わずかばかりの声を聞いて過ごしたあの時間は私だけのもうひとつの作品だったかもしれない。背伸びをして大人のフリをした。

ドラマを映像で見た瞬間から、もうこのときの想像を思い出すことはできない。

それから、大人になるにつれ自由を手に入れて行った。
 
SNSが始まって、くだらないツイートをして、気がつけば説教じみたツイートもしてしまっていた気がする。SNSは、自分をうつす鏡かもしれない。 

知りたくないことが流れてきたり、他のアカウントにつまらなさを感じているうちは、それは自分とイコールなのだ。 

好きなものだけフォローしていても、どうにも偏りが出てくる。ただ、Twitterの使い方を教えてくれる人はいなかった。使い続けるうちに、ほんの少し付き合い方みたいなものを知っていた気がする。
 
ツイッターは、返信がない限りは、独り言。それを会話に変えてくれたのがスペースだった。 
 
一年くらい続けばいいなと思ったスペースを2年も続けられるとは思っていなかった。
 
人付き合いが得意ではないということも、この文面を見れば少しは伝わるだろうか?私がこれだけの人と話せるようになったのもこの場のおかげだ。
 
話そうというよりも聞きたい。と思う日々だった。 

声を聞けば、言葉に縛られずに、息遣いを感じた。音だけでドラマを観ていたときのように、スペースは似ている。心細く、自由で、愛しかった。 
 
いつしか声が集まるお店をつくりたい。そんなイメージが湧いてきている。それからは、行きつけにさせてもらっている喫茶店も、ご飯屋さんも、目を閉じたくなった。
 
お店で目を閉じたら、寝ているのかな?と勘違いされるかもしれない。けれど、たまたま同じ場所にいるのだけれど、同じ空気を吸っていることは、奇跡だと思った。 

私にとっては、空間を共有する人たちが主人公だった。

スペースでも変わらず思っていることだ。会ったことがなくても、その人を受け取れることがうれしかった。
 
2年経った今でもその気持ちは変わらない。それだけ、主人公のみなさんに恵まれていた。だから、無垢な気持ちでおしゃべりができるのかもしれない。


□ 501日目のスペース 



 
「珈琲をください。」座ったら伝えることはいつも同じだ。
毎週、訪れる喫茶店にずっと通いたいと思っている。
  
メニューを見ることはない。47年続くここで私は、珈琲しか飲まない。
 
店主さんの程よい距離感。まだ通い始めではあるけれど、これがもう生活の一部になっているのだ。
 
6席ほどのカウンターと、テーブル席が数席。漆喰の壁と、連なる照明。陽の当たる席には、いつも花がいけてある。
 
平日しか空いていないお店は、昼過ぎには、常連さんでいっぱいだ。
 
店主さんは、建築や街が好きで、能の教室に通う。お客さんとは、長い付き合いのようで、みなうれしそうに名前を呼ぶのだ。帰るとき、「長く続けてね」と声をかけて帰るお客さんに何度も出会っている。


居心地というのは、信頼の側にあるものかもしれない。
 
このお店に出会うまで随分とかかった。東京は、並ぶお店が多い。実は、前文でも書いたラジヲで聞いたドラマでは、主人公たちが通う喫茶店が出てきた。いつかこんな喫茶店に通いたいと思い込んでいた。

物心がつく頃には、お店が好きだと思った。だから、いくつもの喫茶店にも足を運んだ。新しいお店に行くことが楽しかった。
 
けれど、いつからだろうか?同じお店に通うことの魅力を知ることになった。
 

私の仕事の半分は、探すことだ。
 
朝起きて、仕事に就く。最初に始めることは、毎日変わらない。
何か心が動くような人、店、ことはないだろうか?を探している。 

どんな人と出会っても質問をしてしまう。聞いた話は、できる限り確かめていく。

生活のうち探すことに使える時間はどれだけとれるだろうか?みなさんの代わりに選ぶことで選択肢を増やすのが私の仕事だと思っている。 
  
これだけ聞いても、結局何をしているのか?わからないだろう。まぁここは、ふんわりとしておく。知りたいと思ってくださる方は、ぜひスペースでおしゃべりしてもらえたらうれしい。
 
探してもどうもしっくりこない。そんな想いをしたことは無いだろうか?
 
2023年になっても、まだ探すことにかかるカロリーは高い。全てが繋がって世界中から探せるようになってしまった。より選ぶことの難易度が上がっているとも言える。 
 
SNSで口コミが見えるようになったし、多くのアプリがリリースされる。
探せている気になるツールはいくらでも増え続けている。
 
ただし、自分に合ったものに出会える可能性はどれだけあるだろうか?

スペースを500日以上続けている中。人の話を聞くたびに感じることがあった。みな探すことに疲れている。
 
だから、多くの人がおすすめしているものに安心感を持つ人もいるそうだ。自分で探したものが違ったと思うストレスの方が嫌らしい。
 
ある人が言った「もう、人を好きになることも、誰かに出会うことも無いと思う。」「もう誰かと付き合う自信がない」。
 
毎週のように、好きな人が恋人になりました。というツイートが流れてくる。それと同じくらいに、別れましたという報告も。
 
その度に。それだけ人を真剣に愛したんだねと思うし、それと同時に思うのは、後、70億人くらい選択肢があるのだから、可能性しかないねと思うのだ。こういう時ほど数字に頼った方がいいかもしれない。 
  
ただし、時間が足りない。一生かかっても世界中の人に会うことはできない。
 
私も、不一致だったと思うことはいくつもあった。けれど、大人になるにつれて、もっと早く出会いたかったと思うものが増えていく。(知らなくてよかったかもしれないと思うこともあったけれど)
 
幼い頃に、すばらしい縁に恵まれていたら、本当に人生は変わるのか?それを確かめることはできないけれど。生きることに退屈したり、絶望したりせずに入れたかもしれない。 
 
少年時代にポータブルテレビを秘密で手に入れたことで、間違いなく私には選択肢がひとつ増えた。こんなことしなくても世界を選びたかった。
 
先日。その投稿を読んで感想をくれた人がいた。スペースで出会った人だ。
彼女は、「幼い頃、必死に生きていたんだね。と思った。」と声をかけてくれた。
 
数十年ずっと胸にしまっていたことに、句読点が着いた。そんな気分だった。
 
自分の中では、特に意識もしていなかったけれど、その瞬間に見つけた感情だった。
 
人が心を痛めたり、孤独を感じていることは、もしかしたら出会うべき機会に出会えていないからかもしれない。マッチングの精度が上がれば少しでも減らせるのでは無いか?と思う。
 
人の縁は、どこで起きるかわからない。声から探す方法は無いだろうか?500回以上の会話を経てそう思う。
 
私は、スペースから多くの縁を頂いた。

スペースでは、視覚が奪われる。けれど、それはむしろ可能性を増やすことではないか?と思っている。
 
声には、息遣いや呼吸がある。色がある。相槌は、愛だ。話す内容で、その人の見えていないことに少し触れることがある。
 
私だけだと思っていたことに、共感してくれる人もいるし、違うことをむしろ愛してくれる人もいる。
 
縁というのは、何も恋愛関係だけのものではない。 

友人や家族にという枠に収まるものでもない、たった一度話したその縁が人の人生を変えてしまうかもしれない。 

顔を知らないから話せることもある。

そんな人でも、おいしいものを見つけたときには、あの人にも食べてもらいたいなとか、うつくしい風景を見たときはいっしょに見れたらいいなと思うことがある。 

そうやって、選択肢が増える。可能性が増える。スペースを続ける魅力は、こんな些細なことだ。

それでも私にとっては、人生を終えるとき、記憶に残るひとつだと思える。また聞きたいと思える声の記憶がいくつもある。

ざっと計算をしてみたい。一回の時間は、短いモノだと5分、長いものは13時間くらいだったと思う。500日分だから、30,000〜60,000分くらいだろうか?時間にすると、最長で1000時間ほど。日にちして、41日程度。
 
2年間のうち約一ヶ月程度を話す時間に使ったのでは無いか?と思う。これが多いのかどうか?は、みなさんにも聞いてみたい。
 
スペースの501日目を始めるかもしれない。それはまた違う方法になると思うけれど、誰かと記憶をつくるそんな時間のため。また、あの声を聞くためにそんなことをイメージする。憧れているあの喫茶店のようにいつかなれるだろうか?
 
もしかしたら、毎日開かなくなったから話し方を忘れているかもしれない。最初もそうだったから。それもいい。聞きたいその気持ちに素直になりたい。
 
気がつくと私は、新しいイヤフォンを探してしまっていた。もっと声に近づきたい。どうやらまだみんなの声が聞き足りないみたいだ。
 



□ ここからは、有料の記事にさせてください。 


さて、ここまでの話、少しは伝わっているだろうか?もう少し具体的に書くために、読むことができる人を少し制限させていただければと思っている。 
 
そして、ここで得た資金をスペースなどの場を過ごしやすくするための活動資金と、人件費に当てさせてもらう予定。 
 
どうすれば、いいのか探り探りではある。
 
念の為にお伝えしておく。ただし、ここに書いてあることは、得をするような内容はない。 

この活動を応援するくらいの気持ちで、購入してもらえると嬉しい。ある程度の金額をいただくのも、本当に知りたい人だけに案内したいという意味があるからだ。

これまでの約2年の実験の記録と、そこから感じたことなどを綴っている。

そして、ここには、これから始まる馬鹿げた夢ものがたりを書きたいと思ってる。
 

スペースを始めた無垢な理由と、そこから感じている新たな可能性。実際ここでは何が起きているのか?の一部始終をお知らせしている。
 

さらに、この記事は、無料、有料部分のどちらも追記をする予定でいる。2週連続で新たな話を更新する予定。できるならゆっくり読んで欲しい。 



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