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日本における通貨発行【貨幣史】

通貨発行権の行使は、「国家権力奥の細道」です。無限に富を生み出せるのですから、ものすごい権力の源泉です。これが分かる、分からないは、実は頭の良し悪しにあまり関係ありません。むしろ性格的なものです。経済学を勉強しなくてもわかる人にはわかります。経済学の存在しない時代からそうでしたから。

貨幣の敵は退蔵

「交換機能、価値保存機能、支払機能」の三つが貨幣の機能です。しかし交換や支払いですと、貴金属や紙や電子信号でなくてもよいわけで、重要なのは価値保存機能です。つまり溜め込んで長時間保存できる。ここが貨幣のよいところです。米でも数年で食べれなくなりますから。魚の切り身なんかあっというまに無価値になりますから。ところが、長所と短所は紙一重です。保存がいいからといってみんなが貨幣を自宅に溜め込んだら、世の中から貨幣がなくなります。
だから「十分長時間価値を保存できるけれど、有効に使うなら使ったほうがより利益が出る」という状況を保ち続ける必要あります。それはデフレと高インフレの中間地点、ほどほどのインフレの状態です。しかしそれにはいろいろ工夫が必要です。

藤原仲麻呂

藤原仲麻呂(706-764)は、藤原鎌足のひ孫、藤原不比等の孫、藤原武智麻呂の子です。名門です。当時朝廷は奈良の大仏を建立しようとしていました。仲麻呂はもちろん協力します。752年大仏が開眼供養されます。すると仲麻呂は、通貨発行権を与えられ、三種類の貨幣を発行します。万年通宝(銅銭)開基勝宝(金銭)太平元宝(銀銭)。和同開珎いらい50年ぶりの新通貨発行です。もちろん、大仏と通貨発行は関係あります。

当時通貨を手にした人は考えます。

「これは銅からつくられているな。貴重な銅だ。銅の採掘が品切れになったら、通貨が発行できなくなるな。そしたらこの通貨の価値は上がるはずだ。ほっとけば2倍の価値になるかもしれん」

そう考えた人は、壷に入れて自宅の床下に埋めてしまいます。みんながそう考えると、いくら通貨を作り続けても、みんなの床下に再度埋没して、世の中に流通しません。それじゃあ何のために銅を採掘したのかさっぱりわかりませんがな。もともと地下にあった鉱石です。それを採掘して、精錬して、鋳造して、分配して、大汗掻いた挙句に地下に埋没では、単なる掘った埋めたの無限ゲームです。泣けてきます。

そこで必要なのは、「朝廷は実はまだまだ大量の銅を保有しておるのじゃ。発行しようとすればいくらでも発行できるのじゃ。参ったか」という威圧です。具体的に言えば、東大寺盧舎那仏像の建立です。

大仏様は銅の塊に金を塗っています。でかいです。ちいさい銭なんぞいくらでも作れそうです。巨大な銭の山と言ってさしつかえありません。当時はみんな大仏に礼拝しましたが、仏のありがたさに礼拝したのか、金属財宝としての威圧に膝を屈したのか、わかったもんじゃありません。そして完成したら通貨発行です。大仏の巨大さにびびっているので、あんまり退蔵する気がしません。かくて藤原仲麻呂の権力は絶頂に上り詰めました。

ただこの話の続きは少々不快です。負けるはずのないほどの圧倒的財力を手にしたはずの仲麻呂に、まったく別方角からライバルが出現しました。弓削道鏡です。道鏡の権力の源泉については、各自お調べください。あまりにも馬鹿馬鹿しい権力闘争にやけになった仲麻呂は、朝廷に反乱を起こして結局殺されてしまいます。

平清盛

始まりはよかった日本の通貨発行史ですが、平安中期でとうとう銅山が枯渇します。貨幣は何度も新規発行されるのですが、どんどんクオリティーが劣化、発行枚数も減少します。ここらへん貴金属貨幣の弱点でして、原石産出の切れ目が縁の切れ目です。最終的に12回目の発行で朝廷の通貨は打ち止めしました。

ところが平清盛という切れ者が登場します。
「銭が無いなら輸入すればよい」


http://gendai.ismedia.jp/articles/-/22837


銭輸入を占有することによって、清盛は実質的に中央銀行総裁になりました。ケタ違いの金力を手にしました。
たいした名家でもないくせに、勢い余って太政大臣になりました。しかし驕れる平氏久しからず。すぐに鎌倉時代に移行します。

源実朝

三代将軍実朝は、実権を得たいと思っていました。おそらく彼は、清盛のことを知っています。銭を大量に輸入すれば中央銀行総裁になれます。征夷大将軍より中央銀行総裁のほうが偉いのです。まさに国家権力奥の細道です。

貿易の野望に燃えて実朝は大きな船を作りますが、由比ヶ浜の船はなぜか海に出れません。そのまま朽ち果てます。

出港妨害の主犯人はおそらく、北条はじめとする有力御家人です。もしも実朝の宋銭輸入が成功したら、征夷大将軍兼中央銀行総裁の誕生です。ちょっと前にその勢いで太政大臣になったひとも居ましたし、北条たち有力後家人の時代は完全に終わるわけです。実朝は最後は暗殺されます。

お寺


後に勝海舟が面白いことを言っています。

「鎌倉にたくさんお寺がある。あれは仏教や僧やお経が欲しかったわけじゃあない。中国から坊主が来る。すると坊主にひっついて銭が来るだろう。それが欲しかったのだ」

そうかもしれません。

鎌倉の大仏

鎌倉の大仏は、誰がいつごろ立てたのかはっきりしていません。しかし上記勝海舟の発言を参照すると、建立の理由は明らかになります。威圧です。

「鎌倉幕府は実はまだまだ大量の輸入銭ルートを確保しておるのじゃ。流通させようとすればいくらでも放出できるのじゃ。参ったか」と威圧するためです。

貨幣を流通させ、むやみに退蔵させないために作られたのです。おそらくその理屈が理解できるひとが、鎌倉政権の中枢にいたのです。北条泰時ではないかと想像する人も居ます。近年鎌倉の大仏の銅を成分分析したそうです。中国の南部で産出する銅を使っていたそうです。

青砥藤綱(あおとふじつな)

青砥藤綱は太平記に登場する武士です。鎌倉時代の人です。銭10文を川に落としました。銭50文の松明を買って落とした銭を探しました。
「50文を使って10文を探すのは損だ」と馬鹿にされました。
「落とした10文は天下の損失である。回収すべきである。使った50文は回りまわってゆくから損にはならない」と答えました。

現代風に言いかえましょう。

落とした10文の回収は、金融政策、今なら日銀の仕事です。
探すのに50文を使うのは財政政策、今なら財務省の仕事です。

藤綱は教科書もない時代に、なぜか完全に経済の回し方を理解していたのですね。これを記録した太平記作者もたいしたものです。感受性が鋭いです。ちなみに最近20年の日本の経済政策は、「松明の50文ももったいないことだし、川に落ちた10文は必要ないから回収しない」というものでした。なんとも残念な20年でありましたことよ。

豊臣秀吉

しばらく輸入銭の時代が続きますが、戦国時代に入って鉱山開発がすすみます。武田信玄、上杉謙信、毛利元就、みんな鉱山王、つまり貴金属王です。それらのキングオブキングが秀吉です。

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しかしライバルが存在していました。それが千利休です。幸田露伴の解説を参照してみましょう。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000051/files/1438_29430.html


「骨董が黄金何枚何十枚、一郡一城、あるいは血みどろの悪戦の功労とも匹敵するようなことになった。換言すれば骨董は一種の不換紙幣のようなものになったので、そしてその不換紙幣の発行者は利休という訳になったようなものである。
利休の出した不換紙幣はその後何百年を経てなおその価値を保っている。さすがは秀吉はエライ人間をつかまえて不換紙幣発行者としたもので、そして利休はまたホントに無慾でしかも煉金術を真に能よくした神仙であったのである。不換紙幣は当時どれほど世の中の調節に与あずかって霊力があったか知れぬ。その利を受けた者は勿論利休ではない、秀吉であった。
秀吉は恐ろしい男で、神仙を駆使してわが用を為さしめたのである。

さて祭りが済めば芻狗は不要だ。よい加減に不換紙幣が流通した時、不換紙幣発行は打切られ、利休は詰らぬ理屈を付けられて殺されてしまった」

上記で骨董を不換紙幣と言っています。これは「製造原価が極めて低い、貴金属採掘を必要としない通貨」という意味です。

以上時系列でのべれば、
1587 金銀銅銭発行
1588 天正菱大判発行
1591 千利休切腹
となります。通貨発行が軌道に乗って、用済みとなるとすぐに切腹です。ひどいです。

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方広寺大仏

秀吉は天才です。利休を切腹させても、かわりに大仏を準備しています。用意周到です。当時鎌倉の大仏は存在していましたが、奈良の大仏は松永弾正に焼かれてしまっていたのです。奈良の大仏以上の大仏を作って人民を威圧したい。

「関白は実はまだまだ大量の貴金属を保有しておるのじゃ。発行しようとすればいくらでも発行できるのじゃ。参ったか」

そうやって威圧して貨幣の退蔵と、デフレを阻止したい。そこで京都に大仏を作ります。方広寺の大仏です。秀吉は銅銭はあんまり重視していません。金を流通させようとしていましたから、大仏は木造、ただし金箔貼り付けています。

1591 千利休切腹
1595 方広寺大仏完成
1595 天正長大判発行

つまり利休の代役が大仏だったということです。しかし利休を無理に切腹させた報いでしょうか、翌1596年に地震で大仏はコケてしまいます。怒った秀吉は「(ひとびとを救済するどころか)自分の身も守れないのか」と大仏に矢を打ちかけたらしいです。率直に言って、秀吉見苦しいです。

徳川家康

次の家康ですが、これまた秀吉に負けず劣らずダーティーです。まず秀頼に太閤様の供養のためとか言って方広寺大仏再興を薦めます。その費用のために大判小判を発行させます。その影に隠れて、自分もこっそり慶長大判発行します。ここでは秀頼=利休役、家康=秀吉役です。そして方広寺が完成します。

方広寺が完成したら、かわいそうに秀頼は、利休と同じく用済みです。家康は方広寺の鐘の文字に言いがかりをつけて、大阪城を攻め滅ぼします。

こういうところが大阪の陣の本質なのですが、いまだに真田一色です。真田は美しいですから永遠に人気はあるのでしょうが、日本史の先生方の経済理解に疑問を持つところです。

大久保長安

そんな家康を支えた家臣に、大久保長安という人が居ます。元来武田信玄の家臣の系列なのですが、家康が武田領を併合したため、徳川の家臣になりました。この人、日本史上有数の謎の人物です。

どれくらい謎かというと、

1、幕府の初代勘定奉行。鉱山経営、通貨発行を一手に引き受けていた
2、存命中は幕府のナンバー2の実力者であった
3、死後、7名の息子は全員切腹を命じられている。謀反の疑いありと言われるが、真相は不明。大久保家は断絶。

時系列で見ましょう。
1612 方広寺大仏再興ほぼ完成
1613 大久保長安死去、息子全員切腹
1614 方広寺鐘銘事件発生、大阪冬の陣勃発

くさいです。あまりにもくさいです。考え出すと疲れるので、これ以上はやめます。まさに国家権力奥の細道です。

山田羽書(やまだはがき)

人物じゃないですが、1610年くらいから発行されていた山田羽書も重要です。伊勢で発行されていた兌換紙幣です。貴金属貨幣の弱点は、産出の切れ目が縁の切れ目なところです。鉱山枯渇したら、はいそれまでです。でも貨幣が流通していないと経済発展しません。古墳時代に逆戻りです。
そこで昔の人は、貴金属の有効利用を色々考えました。

1、金貨に銀を混ぜます。銀貨に銅を混ぜます。銅貨を鉄で作ったりします。ようするに水増しです。江戸幕府がよくやりました

2、兌換(だかん)紙幣、つまり金貨、銀貨引換券を発行します。引き換え時期が来れば金貨と交換してくれます。引き換え時期までの間、発行元は持っていた金銀を自由に運用できます。つまり特定期間、お金の量が倍になるのです。藩札などはみんなそうです。

3、不換紙幣 こちらが登場するのは明治維新後です。でも「引き換え期限が無限に先の兌換紙幣」と考えると、実は兌換紙幣とそんなに差はありませんね。

紙幣というものは、実は識字率が大変重要です。所詮は紙に書いた文字です。文字が読めなきゃ無価値ですがな。1610年くらいに紙幣が発行されたということは、当時識字率が高かったことを証明しています。


識字率が上がるということは、言い換えれば教育が充実するということですから、同時に計算能力も充実して、紙幣でも貴金属と同じとみなすことができるようになります。紙に書いた数字に価値ありと認識できるのは、実はかなり高度な抽象思考なのです。

逆に言いましょう。文化が発達し(電子デバイス用のものも含む)出版物が増加するならば、貨幣も増加してゆかなければなりません。抽象思考のできない原始人の社会でしたら、貴金属を貨幣としなければ通用しませんでしたが、抽象思考をマスターした識字化された人物ならば、貨幣は貴金属じゃなくても良いのです。それよりも、コミニュケーションツールなのですから、とにかく増加させなければいけないのです。コミニュケーションツールが増加しなければ、コミニュケーションは増加しません。当たり前です。

荻原重秀

謎の人物大久保長安は八王子千人同心という武士団を組織していました。その組織の中から出てきたのが、江戸時代の天才経済官僚、荻原重秀です。(ちなみに幕末の新撰組も八王子千人同心の人脈です。なんか凄いですね)

江戸中期、幕府財政が逼迫してきました。しかし増税すると一揆が起きます。重秀がひねり出したのは、貨幣改鋳(つまり水増し)による財政再建です。アベノミクスの直接的な先輩と言えます。当然経済は良くなります。しかし最後に無理解な人物に失脚させられます。「国家権力奥の細道」は、理解できない人には大変恐ろしく見えるのです。錬金術かなんかに見えるようです。現代でもアベノミクス支持者はそう悪口を言われていますが、江戸時代からそうだったのです。失意のうちに荻原重秀は死にます。病死とも、自殺とも言われますが、政敵による暗殺説もあります。

当時富士山噴火とか大地震とか天災が色々ありました。荻原重秀は基本改鋳で危機を凌いでいます。すぐに「復興増税」とか言い出す現代のエコノミストさんに見習って欲しいと思っているのは、私だけではないはずです。

柳沢吉保

時代劇で「通貨改鋳」といえば、こちらのほうが有名です。荻原の上司です。でも実際は荻原がやったというのが定説になっています。

ただ柳沢吉保が荻原の才能を守った良い上司であったことは確かです。彼がお役ごめんになったから、荻原は失脚させられたのです。

ちなみに柳沢も元来武田家家臣の家柄です。大久保長安といっしょです。そして部下は大久保長安の作った八王子千人同心の人です。因縁というか、なんというか。

坂本竜馬

この人物にたいする扱いも、「ああ日本史の学者の先生方は、経済まるでわかってないな」と思わせる要素です。過小評価すぎます。竜馬は「国家権力奥の細道」がわかっています。この時代、ほかにわかっているのが確実な人物が、勝海舟、横井小楠、三岡八郎くらいなのです。小栗忠順でさえ十分には分かっていなかったようです。だから大変重要な人物です。

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竜馬は、自分が立案計画した「大政奉還」を徳川慶喜が受けたとき、感激して泣いて言います。
「よくも断じ給へるものかな、よくも断じ給へるものかな。予、誓ってこの公のために一命を捨てん」
(よく決断してくださった。私は誓ってこの人のために命を捨てよう)

そして同じ口で別のことを言います。
「江戸の金座、銀座を京都に移そう。それさえすれば後は何とでもなる」

悪いです。悪党です。秀吉、家康レベルのダーティーさです。
俺の命は捨ててあげるけれども、あんたの通貨発行権は取り上げる、ということです。実際彼は殺されましたが、知人の由利公正(三岡八郎)が明治政府の不換紙幣発行を実現させます。

高橋是清

高橋是清も「国家権力奥の細道」わかっていた人です。昭和恐慌が発生します。是清は銀行の店先に、大量に紙幣を積み上げます。もう意味が分かりますね。「紙製大仏」です。前述のように、貨幣の敵は退蔵です。銀行預金から引き出して、箪笥にしまったりされたら、際限の無いデフレに突入です。だから威圧する必要があります。

「銀行は実はまだまだ大量の紙幣を保有しておるのじゃ。なんぼ引き出されても痛くも痒くもないのじゃ。参ったか。」

取り付け騒ぎで銀行に来た預金者は、テーブルの上にそびえたつ「紙幣大仏様」の荘厳さに威圧されて現金を引き出さずに帰宅しました。事態は急速に沈静化したのです。しかし、ということはつまり荻原重秀がそう見られていたように、理解できない人間には是清も不気味な存在に映ったということです。妖しい錬金術師に見えたはずです。そして高橋是清は結局226で軍部に殺されました。

まとめ

以上説明したことは、アベノミクスの第一の矢、金融緩和に賛成するひとにとっては、「なんだ常識じゃないか」あるいは「なるほど当然だ」ということばかりです。普段あまり経済問題に興味がない人には、少し面白かったかもしれません。そうであれば嬉しいのですけど。問題は「すべて間違っている。錬金術賛美だ」と怒るひとです。青砥藤綱を馬鹿にし、荻原重秀を失脚させ、高橋是清を暗殺した人々の末裔です。そのような人は、実はたいへん「良い人」です。嫌味ではありません。私は本気で褒めています。お金を大事に扱い、ある意味神聖視し、誠実に働く人間、自分のミクロな努力をどこまでも信じれる人間は良い人間です。一方で、「大きな目的のためには小さな犠牲は許容される」「一人殺せば殺人犯、千人殺せば英雄」と考える人は、良い人とは言いがたいです。藤原仲麻呂、平清盛、豊臣秀吉、徳川家康、みな有能ですが良い人とは言いがたいです。高橋是清は今日から見ればよい人ですが、当時の軍部から見ればなに考えているかわからないモンスターでした。

今日のアベノミクスに反発する人々、「安倍死ね」「ぶったぎってやる」などと感情的になってしまう人たちもおそらく良い人です。金融緩和の不気味さに耐えられないのだと思います。身の回りの常識を、世界に広げて適用させようとする純粋な人です。でも人間社会、世の中は、そんなにきれいな部分だけじゃないってことを認識できるのが、大人の教養というものだと思います。

実際、仲麻呂刑死、実朝暗殺、利休切腹、竜馬暗殺、是清暗殺、荻原重秀も暗殺説がありますし、大久保長安もあやしいですね。本稿の登場人物の他殺率、かなり高いのです。





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