見出し画像

「虞美人草」あらすじ解説【夏目漱石】

文章が難しすぎます。高校生の時以来、幾度となく挑戦するもいずれも敗退、今年ようやく完読できました。苦労しました。主題は国際関係なのですが、読むと全く面白くありません。

あらすじVer.1

美貌の悪女、甲野藤尾(こうのふじお)は略奪婚を企画立案実行していました。しかし宗近一(むねちかはじめ)に阻止されて、ヒスをおこして自殺します。(あらすじ終)

ようするに悪女ものですね。だいたい悪女ものというのは女性崇拝の表現です。ワルさが女性の魅力を増幅します。「戦争と平和」のエレンもそうですね。

しかし甲野藤尾女史、いまいち悪女としての魅力が薄いです。エロい描写も大幅に不足していますし、無駄に威張って色気がありません。猫撫声でズルく甘えるシーンや、説得力のある嘘泣きシーンが欲しかったですね私は。悪女の設定なんですから。

あらすじVer.2

美貌の悪女、甲野藤尾は略奪婚を企画立案実行していました。獲物は帝大文学部銀時計組(天皇より銀時計を恩賜された成績優秀者)小野清三。頭は良いが気が弱い小野は悪女藤尾の誘惑にフラフラとかどわかされてしまいます。というと普通の恋愛でさのみ悪くないようですが、その一事で被害者が四人出る設定になっています。

1、小野が婿養子に入るので、兄の甲野欣吾は家を追い出される。
2、兄の友人宗近一は元来、藤尾と許嫁の関係。藤尾に捨てられる。
3、小野には井上小夜子という許嫁がある。小夜子は小野に捨てられる。
4、小夜子の父、井上孤堂は面子をつぶされる。

被害甚大なのですが、だからこそ略奪婚に燃える藤尾です。実は男はどうでもいいタイプです。主に征服欲で生きています。
甲野欣吾と甲野藤尾は腹違いの兄妹で、父は死んでいます。藤尾の母はなんとか血のつながっていない欣吾を追い出して、母娘で資産を相続しようとしています。悪いです。作中で名前は出ません。「謎の女」とか書かれています。「謎の女はダイヤモンドのようなものである。いやに光る。そしてその光りの出どころがわからぬ」とあります。示唆的です。母がダイヤモンドでしたら、娘は金時計です。甲野亡父のかたみの舶来金時計(赤い宝石つき)を見せびらかして、小野や宗近の関心を引きます。

画像1

話戻って、小野が小夜子を捨てようとしたその日、全ての事情を認識した宗近一家の行動力が炸裂します。人力車三台で次々に出発して事態の制圧にかかります。なんとなく日本陸軍の機動力を連想させます。

画像2

1、宗近父、とりあえず井上弧堂宅にゆき弧堂・小夜子の父娘を慰める
2、宗近一、小野宅に出向き正気を取り戻させる。井上小夜子を回収の上、三者で甲野宅へ向かう
3、宗近糸子(妹)、直接甲野宅へゆく

しばらくすると甲野宅へ悪女甲野藤尾が帰ってきます。クライマックスの最終バトルです。

画像3

小野は井上小夜子を婚約者として藤尾に紹介。略奪婚の失敗です。屈辱に感じた藤尾は、宗近に金時計を与えようとします。つまりあんたの妻になるよと。無論宗近は怒ります。今更なんだ。金時計を暖炉の大理石に打ち付け破壊します。必殺アイテムを喪失した藤尾は失神します。

次のシーンでは藤尾は死んでいます。その後、甲野欣吾は外交官としてロンドンに赴任した宗近に手紙を書きます。やっぱり悲劇は大事。人間は死によってしか道義を立てれない。すると宗近から返事が来ます。「ここでは喜劇ばかり流行る」(あらすじ終)

実は登場キャラは「坊っちゃん」のほぼ流用です。

画像20

大きな違いはマドンナ=甲野藤尾が中心に据えられただけです。赤シャツ=小野清三はあまり似ていないかな?しかしインテリキャラという意味では同じです。キャラが似ていると物語の中身もだいたい似てきます。つまり本作は「坊っちゃん」リメイク作品なのです。それで色気のある作品にするのは土台無理ですね。漱石はキャラ配置戦略が、下手というより無い。

イギリス批判

当時は日英同盟が継続中です。日英同盟のおかげで日露戦争に勝てました。でもイギリス留学経験のある漱石は冷たい目で見ています。みんなイギリスの内実を知らんのだろう。宗近一が言います。

「日英同盟だって、何もあんなにほめるにも当たらないわけだ。野次馬共が英国へ行った事もない癖に、旗ばかり押し立てて、まるで日本が無くなったようじゃありませんか」
漱石によれば西洋人は表裏の落差の激しい人々で、中でもイギリスが一番悪いそうです。だから宗近は「ロンドンでは喜劇ばかり流行る」と書いてきます。イギリス否定です。そう言えば「坊っちゃん」の赤シャツもターナー(イギリスの画家)が好きでしたね。

画像5

金時計をダシにした、藤尾による宗近・小野の分割統治は、無論アングロサクソンの十八番の分割統治を暗示しています。明治四十年にはっきり気づけたのは漱石が偉いですね。イギリス留学しても出羽守になっていません。そこはたいしたものです。猫、坊っちゃん、草枕、二百十日、野分と国内の人心分裂問題を扱ってきましたが、本作でとうとう国際問題にまで対象広げました。スケールアップです。国家存亡のカギを握るイギリスを悪く言い出します。本当はこの人なんでもかんでも噛みつきたいだけだった気もします。

時計

甲野藤尾の金時計、小野清三の恩賜の銀時計は対になっています。実は宗近も時計を持っています。最後に活躍します。

画像6

甲野藤尾の母はダイヤモンドでしたね。ダイヤモンドは漱石の小説では「坊っちゃん」のワルプルギスシーンで出てきます。ワルプルギスはゲーテ「ファウスト」のシーンでして、ファウスト全体としては通貨発行を扱う物語です。おそらく藤尾母=ダイヤモンドは、通貨発行を表し、甲野藤尾の金時計は金本位制、小野清三の銀時計は銀本位制を表しています。もっともそれ以上の証拠を私は見つけられていません。ていうか漱石は用語は知っていたでしょうが、意味が十分理解出来たかどうかもわかりません。私がかく類推するのは、物語全体がイギリス批判になっているからです。イギリス批判の文脈ですと、金時計崇拝は金本位制批判になります。

世界はだいたい銀本位性が本来の姿でした。そこへ世界中の金鉱脈を押さえた大英帝国が金本位性を強力にプッシュ、日本も加入したのですが金の不足で実質金銀複本位性みたいな状況でした。この作品の12年前に日清戦争で勝利して、賠償金使って金本位制になりました。という経過をふまえれば、イギリス批判の文脈から見て金時計を暖炉に叩きつけて破壊する事を、金本位制批判と見て良いと思いますが、論拠としては薄いです。

画像7

ちなみに藤尾の金時計は、時間計測装置としてはろくに役に立ちません。小野の銀時計は少し時間を見るシーンがあります。クライマックス最終バトルで主役になるのは宗近の時計です。宗近は時間経過を刻々と伝えて物語を盛り上げます。その後藤尾の時計を破壊します。おそらく漱石は「貨幣は時間と関係があるな」と気付いたのだと思います。正しいです。関係があります。考えとして発展できていませんが、カンは凄いですね。

構成

鏡像構成です。

画像8

坊っちゃん

画像20

草枕

画像10

ほどかっちりしたものではありません。

野分

画像11

よりもさらにゆるいくらいの対称性です。といって対称に飽きたわけではなく、翌年の夢十夜はきっちりした鏡像構造ですから、

画像12

社会問題扱うのに鏡像構造は向かない、ということだと思います。鏡像は「詩」寄りになりますから。

冒頭に飛び出した部分がありまして、ここで全体を暗示しています。

画像13

まずは甲野欣吾と宗近一の道行き、比叡山への山登りです。
宗近は「一剣天下を行く」とか言っています。体は強いです。つまり武士です。宗近という名字だからそれは剣を振るいますね。宗近の時計は材質の言及がありませんが、名字が名字ですから、(日本刀を作る)玉鋼でできていてもおかしくありません。安物の狐のチョッキを着ています。出世して良い毛皮を入手できると、勇敢で良い宰相になるタイプです。

甲野は「万里の道を見ず、ただ万里の天を見る」とか言っています。体が弱いです。後に出家したがりますから、僧侶と見てよいです。二人で日本における外面性と内面性を象徴しています。二人でひとつの「日本」ですね。

甲野と宗近が比叡山に登る過程で、三人の女性に出会います。それぞれ本編に登場する三人の女性と対になっています。

画像14

最初の女は牛を連れていますが、糸子は針を頭に刺して裁縫します。
小枝を背負った大原女は、琴を持って状況する小夜子と対応
ホホホと笑う女は、ホホホと笑う藤尾と対応します。

そして二人は比叡山を登り、琵琶湖を見下ろします。輝く湖面には竹生島と、多くの船が見えます。竹生島はイギリスを表すのでしょうか、それとも日本でしょうか。多くの船はいずれにせよ、今は海洋交易の時代ということを表します。

クレオパトラと虞美人

最終の第十九章で藤尾は屍になっています。赤い虞美人草(ヒナゲシ)の絵が飾られています。だからタイトルは虞美人草。漱石の詩的センスは凄いですね。最終章でやっとタイトルの意味が明らかになります。

画像15

金時計に赤い宝石がついていて、持ち主が死ぬと赤い花が飾られている。つまり赤い宝石は本人の心臓だったわけです。そして内容は通貨発行問題も扱われる。コンラッド「闇の奥」の影響を想像しても許されると思います。本作の8年前の作品です。

漱石は元来コンラッドが好きですから、読んでいないということは考えにくい。もっとも「闇の奥」の凝りに凝ったキャラ配置戦略は全く吸収できていないようです。「坊っちゃん」の流用ではねえ。

画像16

屍の第十九章に対応する第二章で、藤尾はクレオパトラについての文章を読んでいます。つまり本人クレオパトラのつもりだったのです。ローマ凱旋の見世物になる屈辱に耐えきれず、毒蛇に自ら噛まれて死にます。
西洋のクレオパトラに対応するのが、東洋の虞美人です。項羽の愛人です。説明面倒なのでwikiどうぞ。

クレオパトラも虞美人も、両方権力獲得に失敗して死ぬ女性です。覇道ついえて死にゆくさまが、まるで藤尾とそっくりです。イギリスもそのうちそうなるぞと。
虞美人草=ヒナゲシはケシの一種ですが、阿片は採れません。イギリスのアヘン戦争を批判している可能性も少々あるのですが、証拠が弱くてこれ以上は言えません。作者がヒナゲシから阿片がとれると勘違いしただけかもしれませんが。悪女藤尾の死因は明記していません。おそらく毒による自死だろうとは想像できます。クレオパトラは毒蛇つかって自死しましたから。

漱石は文才は凄いのですが、社会全般にたいする智識が薄いですね。当時の人ですから仕方がありません。本質的な部分はわかっています。感度は素晴らしい。でも智識が薄すぎるから抽象的になりすぎる。よって難解で迫力がないものになります。せっかく経済とか貨幣とかの重要性に気付いているのですが、、、

漱石の文章技法

ここまで分析した漱石作品一覧です。

画像21

「鏡像構造」はABCCBAという、前後対称の構造です。

画像19

「冒頭集約」というのは、物語の冒頭に情報を集めることです。

画像20

今まで解析した作品では、この二つが夏目漱石の小説、言説の中心的技法のようです。

内容で見てみますと、国内分裂問題が最大の主題なのですが、同時に国際問題や経済も重要な要素です。漱石の本質は詩人なのでしょうが、小説家としては資質は経世家よりの存在です。志賀直哉、宮沢賢治に近いですね。

画像18

しかし政治経済の智識が乏しくて説得力に欠ける。だから読み取ってもらえなくて、「近代人の自我」とやらを書いた作家ということになってしまった。もっとも「草枕」と本作は、文体が難しすぎて十分理解されないのも仕方がありません。草枕は部分的に超難解ですが、本作はまんべんなく小難しく、さのみ美文でもない。だから非常に読みにくい。この二つは現代語訳の出版が望まれます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?