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「阿部一族」あらすじ解説【森鴎外】

「阿部一族」は森鴎外の小説。1913年(大正2年)発表です。乃木大将の殉死に触発されていくつか書いた武士もののひとつです

あらすじ

1961年、熊本の細川藩の藩主、細川忠利が死んだ。殉死を許されたものは切腹した。

阿部弥一右衛門(1100石取り、子供を合わせればさらに増えるので、家中でもかなり上のランク)は許しがなかったので切腹しなかったが、周りの「あの人は殉死すべきなのではないか」という声に耐え切れずに、勝手に切腹する。幸い藩からはお咎め無し、普通の殉死とほぼ同様の扱いを受ける。しかし微妙にランク下の扱いだった。

跡取りの阿部権兵衛はそれを不満に思って、忠利葬儀の際に、髻(もとどり=髪を束ねた部分)を切って出家表明してしまう。

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それが新藩主の逆鱗に触れる。「あてつけか!」。結局権兵衛は武士としてはあるまじき縛り首に処せられる。

これはもう細川家で生きてゆくことができないと思った阿部一族は、屋敷に立て籠もる。細川家臣は武装して屋敷を取り囲んで攻撃、一族を絶滅させる(終)

殉死をしないと馬鹿にされる、許されずに殉死をすれば(軽いものですが)罰される、もういったいどうすりゃいいんだという話です。全体としては戦闘シーンあるわりにはあっさりとした話です。軽く読んだだけでは、なにが良いのか悪いのか判然としません。

西日本

夏目漱石は江戸生まれ、大きな名主の家系、つまり庄屋さんですね。侍ではないが、脇差はさして良い身分。先祖は三河武士で、三方ヶ原で武田信玄にさんざんに敗れたときに、徳川家康の身代わりになって討死しています。

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だから明治政府が気に食わない。明治という時代が我慢できない。それで小説書くのですが、その作品は関東風の濃い、明快な味付けがされています。構図も明快な浮世絵のような作品を書きます。

(この絵は安藤広重です)
絵で言えば構図、小説で言えば構成で勝負します。

対して森鴎外は島根県出身、代々藩医の家系ですので、漱石以上に封建時代の色が濃いです。本職も軍医ですから、医者ではありますが、並みの侍より無骨な人柄です。

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しかし西日本生まれですから、手書きの日本画のような曖昧模糊とした作品、輪郭も定かでなく、背景は全部省略されています。

(この絵は京都出身の画家、竹内栖鳳です)
省略を多用し、受け手に想像してもらう路線です。

つまり森鴎外の作品は、
1、侍だから特有のゴツさがある。庄屋さんの漱石にくらべて外面は威張った感じがある
2、しかし西日本だから中身は薄味、主張があるにしても明快な構図で主張するのではなく、そこはかとなく匂わせる書き方です。

「阿部一族」も主張がありますが、明快ではないので、類推を働かせなくてはいけません。詳しく読み解いてみましょう。

構成

全体は三部形式です。
A:細川家の状況
B:阿部一族の悲劇
C:その後

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Aで細川家を殉死熱が支配した状況を描きます。
Bでその殉死熱に巻き込まれて進退窮まる阿部一族を
Cで事件のその後を描きます。

AとBはゆるやかに、そこはかとなく対になっています。あんまり構築的ではありません。示唆的というか、暗示的に書かれています。

殉死圧力

1で忠利の可愛がっていた鷹二羽が、井戸に飛び込んで死にます。皆「殉死だ」と言います。鷹二羽がつがいかどうか知りませんが、一緒に生活していたはずで、家族です。つまりこの話は、阿部一族の滅亡を暗示しています。

5でも犬飼が愛犬といっしょに殉死します。愛犬は短刀で刺し殺されます。無理心中とも言えます。阿部一族の家族も大人は自害しますが、幼児は刺し殺されます。こちらも阿部一族の運命を暗示します。

3鳥獣の死に挟まれた格好の長十郎(駄洒落なのかどうかは不明)の自害ですが、殿を愛して殉死したい、というのと、世間が殉死を望ましいと思っているから殉死したい、というのがないまぜになっています。これも阿部弥一右衛門の心情をそのまま表現しています。しかし、長十郎は殉死の許可を得て安らかに切腹できましたが、阿部は許可をもらえなかった。だから悲劇になります。

天地自然

その長十郎の切腹直前の描写が、この作品でももっとも有名な箇所になります。

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「母は母の部屋に、よめはよめの部屋に、弟は弟の部屋に、じっと物を思っている。主人は居間で鼾をかいて寝ている。あけ放ってある居間の窓には、下に風鈴をつけたつりしのぶが吊ってある。その風鈴が折り折り思い出したようにかすかに鳴る。その下には丈の高い石の頂きを掘りくぼめた手水鉢がある。その上に伏せてある捲物の柄杓に、やんま(とんぼ)が一ぴき止まって、羽を山形に垂れて動かずにいる。」

死の直前の、時間が止まったような光景です。殉死許可があるので精神安定しています。この後長十郎は起こされ、寺に腹を切りに行きます。許可をもらえなくて勝手に腹を切る阿部弥一右衛門の場合は、以下のような風景描写になります。

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「障子はあけ放してあっても、蒸し暑くて風がない。そのくせ燭台の火はゆらめいている。螢が一匹庭の木立ちを縫って通り過ぎた。」

蒸し暑い、風がない、でもろうそくの火は動く、全て阿部一族の心境です。
飛び立つ蛍は阿部弥一右衛門の魂です。

阿部一族滅亡の日の描写は、

「門の扉は鎖してある。板塀の上に二三尺伸びている夾竹桃の木末には、蜘のいがかかっていて、それに夜露が真珠のように光っている。燕が一羽どこからか飛んで来て、つと塀のうちに入った」

蜘蛛の糸は阿部一族の防御体制、夜露は一族の命、そして燕はこれから討ち入る細川家家臣たちですね。よく読むと緻密に組み立てられています。しかしあくまで薄味、さりげない描写です。

表門と裏門

阿部の屋敷を取り囲んで討ち入るのですが、表門担当(つまり討ち入りの主役)は竹内数馬という侍、裏門担当は高見権右衛門です。両者の対比が、この作品読み解きのポイントになります。

表門担当の竹内数馬は勇敢な武士で1150石取り、阿部より上です。ややカッとなりやすい性質で、表門担当になったのを「殉死しなかったからそのかわりに死ね」という意味だと捉えます。怒って、必ず死んでやると決心します。彼の衣装は白づくめ。必ず死ぬと思っているので、負傷した家臣を「邪魔じゃ」と押しのけて突撃、両側から阿部一族に攻められてすぐに死にます。事件後養子をもらって竹内家は存続しますが、のちに家が絶えます。兄も戦闘に参加しますが、弟の死ぬところを見れず、閉門申し付けられます。「邪魔じゃ」と言われた男は、負傷しながらも奮闘続けて、50石加増になります。

裏門担当の高見権右衛門は500石取りですから、ワンランク下の小身です。ですが小姓にも優しくしているので、その小姓は討ち入りのとき自発的に鉄砲から高見をかばって死亡。助けられます。高見の衣装は黒づくめ。自分も奮戦したにもかかわらず一番の功を柄本又七朗に譲ります。人間的に幅があります。事件後300石加増。

淡々と描写しているのでわかりづらいのですが、作者が後者の高見をよしとしているのは明らかです。高見は他者に対する思いやりや、視界の広さがあります。今日のどの職場でも務まりそうですね。しかし数馬は「世間」に埋没しているだけの猪武者です。

柄本又七郎

一番の功とされた柄本又七郎は、屋敷が阿部家とはお隣さんです。普段から自分も奥さんも、阿部家と親しくしています。一連の事件で阿部一族が気の毒になって、奥さんをお見舞いに派遣します。阿部一族は大喜びです。死んだ後の回向をお願いされます。しかし柄本又七郎も武士です。戦闘となれば参加します。本来命令がない参戦は禁止なのですが、今回は自発的に戦闘したほうがよいと判断します。藩士が武功を上げると加増しなければいけませんが、藩にはその石高がない。だから柄本には参加命令が下されていない。だが(加増は約束できないが)みな参戦して欲しいと藩主が願っている、柄本はそう洞察したのです。

なぜなら、今回の事件は上層部の統制能力不足が原因だからです。新しい藩主はそれを自覚しています。自覚して不安になっています。だから全藩士に味方して欲しい、そうすれば安心できる。といってばら撒くお金はない、だから全藩士動員命令は出せない。上層部も苦しい状況です。

事件収束後、高見から殿に報告してもらって、柄本は一番槍、つまり最大の功労者になります。でも非正規の参戦なので加増はナシです。そのかわりに屋敷をもうひとつもらえますが。藩としては財政負担なしで、家臣の武勇を発揮できたことになります。このところがわかると、作品の趣旨が理解できます。これはある意味経済小説なのです。

藩主は藩主で大変なのですが、ほとんどの人は「藩主はどう感じているか」「藩としてどうすべきか」を考える能力がなく、自分のことで頭がいっぱいです。柄本はそこを考える能力があったようです。実際の行動、たとえば妻を見舞いにやること、あるいは参戦すること、いずれも柄本の自発的判断です。高見同様他者への思いやりと視界の広さがあります。柄本もどの職場でも務まりそうですね。

朝茶の子

柄本は一番槍の手柄を喜ぶ親戚朋輩に、「元亀天正のころは、城攻め野合せが朝夕の飯同様であった、阿部一族討取りなぞは茶の子の茶の子の朝茶の子じゃ」と言います。

つまり「おやつレベルの軽作業」ということです。自分の武勇を自慢しているわけではありません。もしこれを「城一つ分くらいの価値のある大仕事だった」と言えばどうでしょう。藩への批判になってしまいます。なぜなら加増はしていないのですから。柄本はそこまで考えて、全ての行動を決めています。事態に単純に頭から突っ込んでゆく竹内数馬や阿部一族とは違いますね。

竹内数馬は林外記の発言ばかりを気にしています。阿部一族は朋輩の視線ばかりを気にしています。藩運営という視点がまるでありません。そして滅んでゆきます。作者森鴎外は陸軍内部でたいそう出世した人です。ここまで組織や人間が見えているのであれば、それは出世しますね。周りの人間の大多数が、阿部一族のような単細胞バカに見えていたはずです。

世間


明治天皇が崩御しました。乃木大将は殉死しました。世間は大騒ぎになりました。「阿部一族」も同じ話です。殉死熱で細川藩全体が大騒ぎになります。大騒ぎになりすぎて、結局阿部一族が滅亡します。無駄な殺傷です。原因は世間にあります。「阿部一族」の主役は、個人ではなく世間なのです。

柄本や高見のような客観性を持つ人は、目先の殉死に大騒ぎしません。殉死に大騒ぎする「世間」の構成員は、阿部一族や竹内数馬のような、自分とその周辺しか見えないような人々です。その近視眼的思考が、めぐりめぐって自分たちの首を絞めます。つまりこの作品は、乃木大将の殉死に大騒ぎする明治大正時代の日本社会を批判しているのです。大騒ぎするということはつまり、自分とその周辺しか見ていないだろうと。そこはかとない、薄味な批判ですが。

付記

同系列で「阿部一族」に先立つ作品「興津弥五右衛門の遺書」は、より乃木の殉死を説明する内容になっています。主人公興津は朋輩を切り殺してしまいますが、主君に許され、その恩を感じ殉死します。朋輩の無益な殺傷とは、旅順、奉天での乃木軍の大損害を意味します。

「佐橋甚五郎」は主従関係に囚われないタフな侍を描いています。佐橋甚五郎は村上龍あたりの登場人物のような、強くて危険な人物です。主家の徳川家康は危険さを持て余しながらどこか許してしまいます。忠義ばかりが侍ではない、という主張が込められています。いずれも自発的判断力を重視する内容です。


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