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「彼岸過迄」あらすじ解説【夏目漱石】

実験小説です。狂気のブルファイター夏目漱石は、既存の小説形式に飽き足らず、攻めてとんがった作品つくりました。結果は失敗でした。

あらすじ1

冒険好きの若者、田川敬太郎は大学は卒業したものの就職がありません。ニートの友人、須永市蔵の親戚が金持ちなので須永経由でアプローチ、雇ってもらえます。結果として、須永の一族(松本一族)と知り合いになり、よく知らなかった須永市蔵の内面世界を知り、そして田川は自分自身の客観的な姿も認識できます。(あらすじ1、終わり)

主人公は田川敬太郎、サブ主人公は須永市蔵です。血気盛んで外国を冒険したいと思っていた田川は、かわりにニート須永の内面を冒険します。新しい冒険スタイルです。今日でも使えそうな設定です。ただ、外の物語から内の物語に変化してゆきますので、作品の終わりに近づくほど内容が地味で退屈になります。正直完読が難しい。普通は途中で投げます。

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全体は6章+結末で構成されています。結末は単に6章の内容を簡略にまとめただけです。実質6章構成です。節の数から見ると普通に鏡像構造です。順にくわしく見てみましょう。

あらすじ2

1、風呂の後

就職が上手くゆかずヤケ酒あおって寝た田川敬太郎、目を覚まして銭湯に行くと、同じ下宿の森本に出会います。
森本は30過ぎの鉄道員。しかし若い頃は日本中を冒険して回った人物です。女房子供も居たそうです。子供が死に、女房とは別れたようですが。
田川は森本から冒険談を聞き、同時にそろそろ鉄道やめたいという希望を聞きます。はたしてしばらくのち森本は失踪します。手紙が来ます。現在満州の大連の電気公園で働いている。君も来ないか。玄関にヘビのステッキ置いているがそれは君に進呈する。

2、停留所

しかし敬太郎は大連には行かず、友人の須永市蔵の人脈を頼ります。須永は亡父が軍隊の主計官で、残した遺産で優雅にニートやっています。須永の叔父の田口が、かなりの金持ちです。会社をいくつも経営しています。
そこで田川敬太郎は田口に雇ってくださいとお願いします。その時本人が冒険好きと告白したものだから、変な指令を出されます。小川停留所で4時にこういう男が電車を降りる。その男を尾行しろ。

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占い師にラッキーアイテムと教えられたヘビのステッキ(森本のステッキ)持って、にわか探偵の田口敬太郎は現場に向かいます。現場には若い女が居ます。敬太郎は女好きなので気になります。女を主に観察していると、くだんの男が電車からおりてきて、その女性と歩きだします。無論尾行します。ここらへんかなり面白いです。しかし食事の後男女は別々になり、その後も男性を尾行しますが雨と暗闇で見失います。

3、報告

尾行内容をボスの田口に報告です。ボスがあれこれ質問してきますが、ほとんど答えられません。頑張って尾行しましたがたいして情報得られなかったのです。するとボスが、「いっそ本人に聞いてみないか」と言い出します。なんじゃそりゃ。
敬太郎が尾行した男はボス田口の妻の弟だったのです。ニート須永のもうひとりの叔父を尾行していたことになります。その人物は須永の精神的先輩のようで、やはりニートやっています。松本という名前です。

それで中年ニートの松本の宅に行きますが、「雨が降っているから面会は断る。晴れた日に出直して来い」とわけのわからない追い返され方をします。なんじゃそりゃ。仕方がないから晴れた日に出直して、松本と話します。
事情を聞いて松本は怒ります。田口はバカだ。君もバカだ。なんでこんなくだらないことを。実は一緒にいた女性は、ボス田口の娘の千代子だったのです。自分の娘と義理の弟を尾行させる。わけがわかりません。

と、折り返し地点のここまではかなり面白い小説です。しかしここから内面の旅が始まりまして、どうにも退屈になります。

4、雨の降る日

なぜ中年ニート松本が雨の訪問客を断るか、それは雨の日に幼い子供をなくしたからです。5人兄弟の一番下の宵子です。まだ赤ん坊でした。ボス田口の娘の千代子が宵子を可愛がっていまして、その日も松本宅に来て髪を編で遊んでいましたが、ご飯を食べさせていると突然息が止まって死んでしまいました。その日は雨の日で、ちょうど紹介状持った訪問者が松本を訪ねてきていました。だから松本は雨の日の訪問客が嫌になりました。という話を田川敬太郎は、田口の娘の千代子から聞きます。

5、須永の話

その後すっかり「須永-田口-松本」一族に親しくなった田川敬太郎、休日にニート須永と外出します。敬太郎がラッキーアイテムのステッキを持っていたせいか、須永はペラペラと喋りまくります。主に千代子との関係です。千代子は田口の娘、田口は須永の叔父です。つまり千代子は須永の従姉妹です。
千代子が生まれた時、須永の母が将来息子の嫁にくれと父親の田口に掛け合い、田口も了承。だから母は須永と千代子を結婚させたい。だけどニート須永はもらいたくない。その上なんとなく父親の田口も嫌そうです。
ある時鎌倉の田口の別荘に須永と母は遊びにゆきます。見知らぬ若い男性来ています。高木という名前です。須永と違って如才なく、社交的です。みんな高木に惹かれます。須永一人が嫉妬します。聞けばイギリス留学帰りだそうです。なるほど紳士です。

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その後須永が千代子と話していると、千代子から叱責されます。あなたが私を嫁にもらいたくないのはよい。だのになぜ私と高木との関係を嫉妬する。高木はあなたを容れるが、あなたは高木を容れれない。器が小さいと。
この章ダラダラ長くて閉口します。いかにも昔の小説です。

6、松本の話

この章は中年ニート松本が田川敬太郎に須永のその後を説明します。実は須永は母の子ではなく、妾腹でした。御弓というのが本当の母です。産後死にました。つまり松本も田口も、その娘の千代子ともニート須永は血がつながっていません。松本は須永にその事実を教えます。
須永は卒業試験を終えて、ショックを振り切るために西日本に旅に出ます。

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旅の様子が松本に手紙で伝えられます。つまり読者は、須永の手紙を読む松本の説明を聞く田川の理解を、読むことになるのです。「読む」の入れ子構造になっています。ややこしいです。須永は関西を旅して段々気分が晴れてきます。暗い自分から抜け出せたようです。人丸神社を見つけたので行ってみよう、というところで手紙は終わります。

7、結末

以上を簡単に振り返ります。(あらすじ2、終わり)

人丸神社はつまり、柿本人麻呂です。ニート須永は無口な人物でしたが、内面の旅の中で過去にさかのぼり、最後に柿本人麻呂に出会うのです。言葉に出会うと言ってよいです。無口だったニート須永は、時系列で後になると千代子といっしょに快活に笑い、田川に長々と身の上話をできるようになっています。生活スタイルはニートのままなので、須永は結局成長しなかったという解釈がほとんどですが、実際には成長しています。
同時に田川は粗雑な対外拡張主義者でしたが、心情として国内回帰できます。「彼岸過迄」は田川と須永、両極端の二人が歩み寄り、一体化する物語です。

登場人物

簡単にまとめてみましょう。
まずは主人公田川敬太郎が冒険する、松本一族です。この三人が物語の中心です。この一族世界を主人公田川敬太郎は冒険してゆきます。姉二人に弟一人です。

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長姉は軍人の主計官、須永家に嫁ぎました。ニート須永はこの長姉の子ではありません。妾腹です。生んだ御弓はすぐ死にました。

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次姉は田口に嫁ぎます。二人を妻せたのは須永亡父で、だから田口は須永亡父を尊敬していたし、ニート須永も割と大事にします。田口は現在非常に裕福です。娘の千代子は本作のヒロインです。ニート須永の許嫁的な何かです。

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そして末弟の中年ニート松本。彼がニートをしていられるのは遺産が多いからで、松本家自体非常に裕福なのですね。彼らの父は大変豪気な遊びをしていたと後に述べられます。

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軍産複合体・松本財閥

書かれていない、しかし読み取らなければならない松本一族の歴史はこうです。
松本家は実業家でした。先代は軍需産業をやろうとして、娘(須永市蔵の母)を軍主計官の先代須永の嫁にしました。主計官ですから巨額の資金を動かします。先代松本+主計官須永のタッグです。利権で松本財閥は大儲けしました。
しかし先代松本が死去します。跡取り息子の松本恒三はやる気がありません。これはいかんと主計官須永は妻の妹を、官僚の田口要作と結婚させます。田口は官僚やめて実業家になり、主計官須永+実業家田口のタッグを組んで利権で大儲けです。その後主計官須永が死にます。官界の後ろ盾を失った田口は危機感を感じています。

田口の娘の千代子は、元来須永市蔵の嫁にするつもりでした。しかし官僚に就職してくれず事業の役に立ちません。そこで田口は高木というイギリス帰り、おそらく海軍官僚に切り替えようとしています。もちろん利権のためです。しかし簡単には須永市蔵を切れない。松本財閥正当相続人の松本恒三が須永市蔵の後ろ盾になっているからです。

よって田口要作は、娘の千代子と松本をデートさせ、かつそれを雇ったばかりの若い男(田川敬太郎)に尾行させ、かつ田川敬太郎を直接松本宅に訪問させます。松本に対するソフトな脅迫です。千代子に対する権限は俺が持っている、口出しするんじゃないよと。この作品は田口と松本の、財閥主導権争いが背景になっています。須永市像も田川敬太郎もその中で翻弄されています。

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軍縮須永

須永はニートです。彼は継子で、本当の産みの母は「御弓」という名前です。つまり、須永は古いサムライなのです。古すぎて近代戦には向かない。弾薬の大量消費自体ができない性質です。軍需産業の田口としては最悪の路線です。

卒業旅行でニート須永は軍産複合体について考察します。

「御祖父さん(先代松本)の若い時分の話というのを思い出しました。叔父さんはもとより御存じでしょう、御祖父さんが昔の通人のした月見の舟遊びを実際にやった話を。僕は母から二三度聞かされた事があります。

屋根船を綾瀬川まで漕ぎのぼせて、静かな月と静かな波の映り合う真中に立って、用意してある銀扇を開いたまま、夜の光の遠くへ投げるのだと云うじゃありませんか。扇のかなめがぐるぐる廻って、地紙に塗った銀泥をきらきらさせながら水に落ちる景色は定めてみごとだろうと思います。それもただの一本ならですが、船のものがそうがかりで、ひらひらする光を投げ競きそう光景は想像しても凄艶です。御祖父さんは銅壺の中に酒をいっぱい入れて、その酒で徳利の燗をした後をことごとく棄てさしたほどの豪奢な人だと云うから、銀扇の百本ぐらい一度に水に流しても平気なのでしょう」

銀扇=艦砲射撃で無駄になる弾丸
銅壺の酒で徳利を熱燗=ドックで造船
つまり海軍拡充を意味します。そしてニート須永は思考力が充実していますので、一般化します。

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「僕はこの間ある富豪のむやみに金を使う様子を聞いて恐ろしくなった事があります。その男は芸者や幇間を大勢集めて、鞄の中から出した札の束を、その前でずたずたに裂いて、それを御祝儀とかとなえて、みんなにやるのだそうです。(注:前述の銀扇を投げることの言い換えです)

それから立派な着物を着たまま湯に這入って、あとは三助にくれるのだそうです。(注:前述の銅壺で熱燗、銅壺の酒は捨てる、の言い換えです)

彼の乱行はまだたくさんありましたが、いずれも天を恐れない暴慢極るもののみでした。僕はその話を聞いた時無論彼をにくみました。けれども気概に乏しい僕は、にくむよりもむしろ恐れました。僕から彼の所行を見ると、強盗が白刃の抜身を畳に突き立てて良民をおびやかしているのと同じような感じになるのです。僕は実に天とか、人道とか、もしくは神仏とかに対して申し訳がないという、真正に宗教的な意味において恐れたのです。僕はこれほど臆病な人間なのです。驕奢に近づかない先から、驕奢の絶頂に達しておどり狂う人の、一転化の後を想像して、怖くてたまらないのであります。――僕はこんな事を考えて、静かな波の上を流れて行く涼み船を見送りながら、このくらいな程度の慰さみが人間としてちょうど手頃なんだろうと思いました。」

はっきり軍備拡張はブレーキをかけるべきとしています。先代松本および田口路線への批判です。

大陸浪人候補生田川

田川敬太郎は当初朝鮮か満鉄で就職しようとしていました。冒険好きだからです。でもうまくゆかず結局田口に頼りました。
知人の森本は国内での冒険をさんざんした挙げ句、満州に渡って活動しています。彼ら二人はいわば、大陸浪人候補生です。「草枕」の那美さんの別れた亭主と同類です。

「三四郎」で漱石は、軍部の支配力の強さを、原口という画家キャラを登場させて表現しました。作中の金銭ネットワークから一人外れて全体を制御するのが画家原口です。

「門」では、崖の上の家主の弟が大陸浪人になっていました。

本作では大陸浪人候補生自身が、物語の主役になります。学生時代、田川敬太郎は児玉音松の冒険譚を読んで胸を踊らせます。ところがこの児玉音松は、玄洋社初期の人物の一人なのです。玄洋社とは大陸浪人の総元締めのような右翼組織です。

須永亡父ー田口ラインの軍産複合体を下から支えているのが、彼ら在野の冒険家たちです。血気盛んだからどうしても対外拡張主義になる。田川もかつてマレーシアでゴム栽培を夢見ていました。計算すると採算取れないようで、断念しましたが。
ですから田川が田口の世話になるのは妥当です。右翼が軍産複合体に雇われている状態です。

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しかし(アンチ田口路線である)松本や須永の話を聞き、田川も単細胞な拡張主義ではなくなります。

須永と田川の一体化

旅行の最後の「人丸神社」の直前に、ニート須永は三組の男女を見ます。ここが本作の、もっとも尖った工夫です。

1、普通のカップル。仲良く海岸を歩く。
2、外国人男性二人+日本人女性一人。女性は無理やり海に入れられる。
3、男性一人、芸者二人。最初ボートで遊ぶ三人。その後和船に芸者が食事の支度。しかし男性はボートに真っ黒な地元の子供を乗せて遊んでいます。芸者がボートに向かって阿呆と叫びます。男性はボートを漕いで戻ってきます。

2は無論、外国の事情で日本が海軍を充実させなければならないことを意味します。漱石の良いところは、二項対立を、一項を安易に否定して解決しようとしないことです。完全な反軍ではありません。海軍軍備拡張が必要な国際情勢であること自体は認めています。しかし、対外拡張は慎重に、それよりも国内志向を強めるべきだとの意見です。

3でボートに地元の黒い児を乗せて漕ぎまわっている男性が、いわば友人の田川敬太郎です。田川は南洋に進出したいと考えていました。だから黒ん坊をボートに乗せて漕ぎまわる。それを女性たちが日本に呼び返します。実際田川は日本に居着きそうです。

ここは語りも入れ子になっていますが(読者は、須永の手紙を読む松本の説明を聞く田川の理解を、読むことになる)、人物も入れ子になっています。須永は卒業旅行で、友人田川の少し先の未来を目撃するのです。その話をのちに、須永の手紙を読んだ松本から田川自身が聞く。ここで田川敬太郎と須永市蔵が一体化します。冒険家志向だった田川は国内で活動することになり、自閉気味の須永もそんな連中の気持ちが理解できるようになります。

「草枕」では画工と那美、すなわち目と耳が折り合いがついて天孫が降臨します。新しい日本がはじまります。本作はそれの男性同士バージョンです。対外拡張と内向自閉の折り合いがつき、そして人丸神社、すなわち言葉に出会います。前述のごとくその後須永の会話能力は充実します。千代子との仲も(結婚するかどうかは別として)回復します。二人で田口を笑ったりします。

本作(1912)の10年後に日本は軍縮条約に批准します。

漱石の先見の明は褒めてあげても良いと思います。むやみな軍拡、むやみな対外拡張はマイナスでしかありません。しかしいくらなんでもわかりにくい。「草枕」の目と耳の一致も、誰も読み解けない作品主題なのですが、本作も無茶です。作者が悪い。自分が読解力がありすぎて、読者のこれくらい読めるだろうと勘違いしてしまう、才能ある人に頻発する失敗パターンです。もっともこれくらい大失敗できるのですから、本当に才能はあったのでしょう。
作品紹介としてはこれで終わりですが、若干の追加説明のちほど書きます。



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