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【太宰治】「富嶽百景」解読【富士には月見草がよく似合う】

よく出来た作品はほぼかならず、良い構成を持っています。良い映画や文学やドラマは構成を鑑賞しなければ話になりません。構成が見えてはじめて、内容が深く読めるのです。

名文句で有名な佳作

太宰治の短編「富嶽百景」はへこんだ魂が富士と向き合う事によって再生する物語です。「富士には、月見草がよく似合う」の名文句で有名です。該当部分を見てみましょう。

***

老婆も何かしら、私に安心してゐたところがあつたのだらう、
ぼんやりひとこと、「おや、月見草。」さう言つて、
細い指でもつて、路傍の一箇所をゆびさした。

さつと、バスは過ぎてゆき、
私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、
花弁もあざやかに消えず残つた。

三七七八米の富士の山と、
立派に相対峙し、みぢんもゆるがず、
なんと言ふのか、
金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は、よかつた。

富士には、月見草がよく似合ふ。

***

どうして「月見草」なのでしょう。それは太宰が古典文学の教養があり、竹取物語を参照しているからです。かぐや姫は月から来て月に帰ります。かぐや姫喪失に悲しんだ帝は、もらった不死の薬を、富士の山頂(つまりもっとも天に近い場所)で焼きます。

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竹取物語は日本の物語の始めですから、太宰治はここで竹取を参照し、「富士には月見草」という名フレーズを埋め込んだのです。富士と月の関係をふまえて書いているのです。さりげなく見えて、とても奥深い文章ですね。

(そういえば京都の銀閣寺には富士山のカタチをした砂山があります。名前を「向月台」と言います。どうして向月台というのか、みなさんにはもうおわかりですね。)

実は緊密な構造

「富嶽百景」は実は、大変緊密な構造を持つ作品です。全体はロンド形式で組み立てられています。

ロンド形式とは、
A-B-A-C-A-B-A
というふうに、ひとつの主題が繰り返し反復される形式です。
メリーゴーランドを見ているような気分になります。

音楽の形式を持つ文学作品?

文学作品なのに音楽の形式を持つ、一般の人には不思議に思うことかもしれません。しかし実は一時期かなり流行したことなのです。最初はドイツの作家、トーマス・マン(映画「風立ちぬ」に出てくる「魔の山」の作家です)の短編小説、トーニオ・クレーガーで実現されました。

トーニオ・クレーガーはソナタ形式で書かれています。

ソナタ形式は、細かく言うと面倒ですが、
A-B-展開-A-B
というスタイルです。
交響曲の第一楽章などはたいてい、ソナタ形式です。

トーニオ・クレーガーのソナタ形式構造解説

提示部
A(第一主題):主人公歩く(学校の帰り道、男の友人と)
B(第二主題):主人公踊りを見る(好きだが手の届かない女の子の踊りを)
展開部
A1(第一主題):主人公人生を歩む
B1(第二主題):主人公自説をくるくる回転的に熱弁する(知人の女性に馬鹿にされながら)
再現部
A(第一主題):主人公旅をする(故郷と、北海への旅)
B(第二主題):主人公踊りを見る(提示部と男の子と女の子は結婚していた!)

と、きっちりとソナタ形式で書かれています。
作者のマンはドイツ人です。バッハもモーツアルトもベートーベンもブラームスもドイツ人です。ドイツ人は音楽の大好きな人種です。そういう人種が小説を書くと、ソナタ形式使ってみたくなるようです。

より詳しくは、こちらどうぞ
構造を読むとは その1~トニオ・クレーゲル~
http://dangodango.hatenadiary.jp/entry/2018/11/09/181439

堀辰雄も音楽形式に凝っていた

宮崎駿の映画「風立ちぬ」で有名になった堀辰雄ですが、彼の作品「美しい村」も、教会ソナタの形式によっており、特に第二章は「フーガ」で書かれています。トーマス・マンの明らかな影響が読み取れます。(本当はフーガ風というだけで、文章でフーガは不可能なのですが)

堀辰雄「美しい村」の形式

序曲:過去の女性への手紙、散漫な内容
美しい村:フーガ。村の中を歩き回る。
夏:新しい女性との出会い、まったりとした時間
暗い道:その新しい女性との道行きの短い描写


(参照、教会ソナタの典型)
1楽章:ゆっくりとして、自由な曲
2楽章:フーガ。テンポは速め。
3楽章:ゆっくりとした歌うような曲
4楽章:早目のテンポの曲

おそらく、この曲です。「美しい村」のフーガはオルガンの「小フーガト短調」ではなく、こちらの2楽章のフーガだとおもわれます。

「富嶽百景」は場所がロンド形式になっている

「富嶽百景」では、作者の居る場所を主題とみなして、ロンド形式に組み立てています。

ロンド形式
A-B-A-C-A-B-A

「富嶽百景」での場所
(序:東京)→
御坂峠-甲府-御坂峠-富士吉田-御坂峠-甲府-御坂峠
(-甲府)
作者太宰の状態は、最初の東京では苦しい恋愛話、最後の甲府では未来ある婚約話となっています。苦しい恋愛から、幸福な婚約までの過程が、ロンド形式で奏でられます。クライマックスはCの部分、富士吉田でのシーンです。

では、順を追って読んでゆきます

(序章:東京)
A-1:御坂峠
B-1:甲府
A-2:御坂峠
C :富士吉田
A-3:御坂峠
B-2:甲府
A-4:御坂峠
(終章:甲府)

とします。

序章:東京

(作者太宰は富士についてうんちくを述べた後、東京の便所から見た富士に言及します。)

あかつき、小用に立つて、アパートの便所の金網張られた四角い窓から、富士が見えた。
小さく、真白で、左のはうにちよつと傾いて、あの富士を忘れない。
窓の下のアスファルト路を、さかなやの自転車が疾駆し、おう、けさは、やけに富士がはつきり見えるぢやねえか、めつぽふ寒いや、など呟つぶやきのこして、私は、暗い便所の中に立ちつくし、窓の金網撫でながら、じめじめ泣いて、あんな思ひは、二度と繰りかへしたくない。

(富士は悲しく、苦しいものの象徴です。その時の作者の人生そのものです。)

A-1:御坂峠

(御坂峠の天下茶屋にしばらく滞在して、仕事をすることにします。しかし、天下茶屋から見た富士を、あまり肯定できない心境です。)

ここから見た富士は、むかしから富士三景の一つにかぞへられてゐるのださうであるが、私は、あまり好かなかつた。好かないばかりか、軽蔑けいべつさへした。あまりに、おあつらひむきの富士である。まんなかに富士があつて、その下に河口湖が白く寒々とひろがり、近景の山々がその両袖にひつそり蹲うづくまつて湖を抱きかかへるやうにしてゐる。私は、ひとめ見て、狼狽し、顔を赤らめた。これは、まるで、風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割だ。どうにも註文どほりの景色で、私は、恥づかしくてならなかつた。

(まだまだ立ち直っていない作者太宰さんです。)

B-1:甲府

(師匠の井伏鱒二の紹介で、甲府にお見合いに行きます。)

母堂に迎へられて客間に通され、挨拶して、そのうちに娘さんも出て来て、私は、娘さんの顔を見なかつた。井伏氏と母堂とは、おとな同士の、よもやまの話をして、ふと、井伏氏が、
「おや、富士。」と呟いて、私の背後の長押を見あげた。
私も、からだを捻ねぢ曲げて、うしろの長押を見上げた。富士山頂大噴火口の鳥瞰写真が、額縁にいれられて、かけられてゐた。まつしろい睡蓮の花に似てゐた。私は、それを見とどけ、また、ゆつくりからだを捻ぢ戻すとき、娘さんを、ちらと見た。きめた。多少の困難があつても、このひとと結婚したいものだと思つた。あの富士は、ありがたかつた。

(お見合い相手の顔を見るためだけの用ですが、ともかく富士の写真のおかげで娘さんの顔が見れて、富士山に感謝します。すこし人生が好転しているようです。)

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A-2:御坂峠

(お茶屋に帰ってきた作者は、近くの文学ファンの青年の来訪を受けます。色々楽しく話しながら、作者の心はほどけてゆきます。)

私は、部屋の硝子戸越しに、富士を見てゐた。富士は、のつそり黙つて立つてゐた。偉いなあ、と思つた。
「いいねえ。富士は、やつぱり、いいとこあるねえ。よくやつてるなあ。」富士には、かなはないと思つた。念々と動く自分の愛憎が恥づかしく、富士は、やつぱり偉い、と思つた。よくやつてる、と思つた。
「よくやつてゐますか。」新田には、私の言葉がをかしかつたらしく、聡明に笑つてゐた。

(作者のこころに、富士と正面から向き合える真直ぐさが芽生えてきます。)

C :富士吉田

(ファンの青年の居る富士吉田に遊びに行きます。色々話をして、夜になります。)

 そこで飲んで、その夜の富士がよかつた。夜の十時ごろ、青年たちは、私ひとりを宿に残して、おのおの家へ帰つていつた。私は、眠れず、どてら姿で、外へ出てみた。おそろしく、明るい月夜だつた。富士が、よかつた。月光を受けて、青く透きとほるやうで、私は、狐に化かされてゐるやうな気がした。
(~中略~)
財布を落した。五十銭銀貨が二十枚くらゐはひつてゐたので、重すぎて、それで懐からするつと脱け落ちたのだらう。私は、不思議に平気だつた。金がなかつたら、御坂まで歩いてかへればいい。そのまま歩いた。ふと、いま来た路を、そのとほりに、もういちど歩けば、財布は在る、といふことに気がついた。懐手のまま、ぶらぶら引きかへした。富士。月夜。維新の志士。財布を落した。興あるロマンスだと思つた。財布は路のまんなかに光つてゐた。在るにきまつてゐる。私は、それを拾つて、宿へ帰つて、寝た。
 富士に、化かされたのである。私は、あの夜、阿呆であつた。完全に、無意志であつた。あの夜のことを、いま思ひ出しても、へんに、だるい。

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(元来た道を戻って、落とした財布を拾います。これはもちろん、太宰の人生のことを表していますし、日本文学のことも表しています。この神秘の一夜で作者は、完全に立ち直ります。富士と月光の力です)

A-3:御坂峠

(この章に「富士には、月見草がよく似合う」が含まれています。

前の章で元来た道を引き返して財布を拾った太宰は、日本文学の歴史も引き返して、竹取物語を参照して、「富士には、月見草がよく似合う」と宣言します。
太宰自信も人生をやりなおそうとしますし、日本文学も出発点に戻ってやりなおそう、ということです。最初に引用したのでここでは省略します。)

B-2:甲府

(太宰は再びお見合い相手の居る甲府に行きます。)


「なにか、質問ありませんか?」いよいよ、ばかである。
「ございます。」
 私は何を聞かれても、ありのまま答へようと思つてゐた。
「富士山には、もう雪が降つたでせうか。」
 私は、その質問に拍子抜けがした。
「降りました。いただきのはうに、――」と言ひかけて、ふと前方を見ると、富士が見える。へんな気がした。
「なあんだ。甲府からでも、富士が見えるぢやないか。ばかにしてゐやがる。」やくざな口調になつてしまつて、「いまのは、愚問です。ばかにしてゐやがる。」
 娘さんは、うつむいて、くすくす笑つて、
「だつて、御坂峠にいらつしやるのですし、富士のことでもお聞きしなければ、わるいと思つて。」
 をかしな娘さんだと思つた。

(ここで富士が、太宰一人の目標ではなく、婚約相手と共有できる目標として立ち現れてきます。)

A-4:御坂峠

(戻った御坂峠で、太宰は旅の娘さんから、カメラを撮ってくれて頼まれます。)

どうにも狙ひがつけにくく、私は、ふたりの姿をレンズから追放して、ただ富士山だけを、レンズ一ぱいにキャッチして、富士山、さやうなら、お世話になりました。パチリ。
「はい、うつりました。」
「ありがたう。」
 ふたり声をそろへてお礼を言ふ。うちへ帰つて現像してみた時には驚くだらう。富士山だけが大きく写つてゐて、ふたりの姿はどこにも見えない。

(人間の世間のあくせくとしたものから外れて、大きな目標の向かおうとする太宰の姿があります。アパートの便所から富士を見て泣いていた姿は、そこにはありません。)

物語の中心は、構成の中心 C :富士吉田

物語の中心は、A-B-A-C-A-B-Aの中心、富士吉田にあります。夜の富士の光に照らされて、財布を落とし、元来た道を戻って財布を拾います。これは本来の自分を取り戻したことを意味します。そして「富士には月見草が」と続きます。

ヨーロッパの音楽の形式であるロンドと、日本の物語のはじめである竹取を、見事にドッキングさせています。ヘコんだ魂が再生する物語はたくさんあります。しかし本作ではそれを、美しいフレーズの数々と、美しい構成によって語っています。だから富嶽百景は名作なのです。是非一度全文をお読み下さい。

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戦前の旧制高校時代はドイツ語をしっかりやっていましたから、ドイツ文化が非常に近しい存在でした。その世代の、堀辰雄、太宰治、三島由紀夫くらいまでは、ドイツ文学の構築的な感じをなんとかマスターしようと努力していました。代表はトーマス・マンの「トニオクレーガー」です。一般読者もドイツ文化に親しんでいたので、相当理解できていたと思われます。戦後ドイツ語教育が廃れて、こういう構築的な作品の内容が、十分理解できなくなりました。残念なことですね。私達日本の重要な作家ですので、私たちは十分に理解してあげなければいけません。




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