「東京物語」あらすじ解説【小津安二郎監督】
映画通と気取るなら、小津安二郎の「東京物語」は必見です。複数回の鑑賞に耐える、分厚い内容を持っています。つまり、表と裏があるのです。
「観なきゃいけない名作」東京物語
小津安二郎監督「東京物語」1953年は、映画を語るには必ず観なければならない作品と言われています。世界中の監督にアンケートを取ると、かならず上位に食い込みます。観なければいけません。
しかし、タルい!!
昔の映画なのでモノクロです。撮影技術は黒澤映画のはるか下です。セリフも動きものんびりしています。ストーリーも退屈です。そもそもほとんどカメラ固定で撮られています。ほんと言うと映画じゃありません。映画に見せかけた紙芝居です。アクション的な快感ゼロです。なんにも起きません。
逆に言いましょう。映画としてはかなり変わった作品です。映画創成期ならともかく、ほとんど固定カメラというのは、ものすごく奇抜なカメラワークです。地味な内容というのも変わっています。老婆が一人死ぬだけです。これだと普通観客が退屈して、すぐに忘れ去られます。でもこの作品は名作として誉れが高いのです。普通とは全く逆路線の名作なのです。言い換えれば、猛烈にわかりにくい作品なのです。世界中のプロの映画監督が評価してるのだから、わかりにくいに決まっていますね。でも攻略は可能です。
手っ取り早く攻略するには、まずはストーリーの把握からいきましょう。表からと裏から、両方から読んでゆきます。
まずは表(おもて)の解説
まずは表面的なストーリーを解説します。
田舎の老夫婦が東京の子どもたちの様子を見に上京します。しかし忙しい子どもたちに厄介者扱いされます。戦争で死んだ次男の嫁(つまり未亡人。老夫婦と血が繋がっていない)だけが親切にしてくれます。
老夫婦は田舎に帰りますが、旅の疲れか妻のほうが亡くなります。葬式の後、一番良くしてくれた次男の嫁に、夫は妻の形見の時計をあげて、「もう次男のことは忘れろ。良い再婚相手を見つけて、自分の幸福を追求しろ」と言ってあげます。次男の嫁は泣きます。
ようするにありがちなホームドラマです。これだけの内容でしたらなんにも価値がありません。世界中から評価を得ることもできません。
次に裏読みです
名作と駄作の違いは裏読みができるかどうかにあります。名作は何通りもの読み方が出来ます。駄作は表面的なストーリーだけです。そして東京物語は名作です。分厚い「裏」を持っています。
裏から読んでみましょう。裏から読むと、このなにげないホームドラマが、充実した内容を持っているのがわかります。この裏の部分が世界から評価されているのです。
1、抽象性、神話性
こういう名作はかならず、抽象性、象徴性を持ちます。神話性と言ってもよいです。登場人物の演技に感情移入しすぎると、その抽象性はうすれてしまいます。だからこの映画では、人物の演技は紋切り型で、固く、生気のないものになっています。活き活きとしすぎると、抽象性が下がるので、あえて固い演技にしているのです。
逆に言えば、笑っているシーンでも、笑う以外の意味があります。泣くシーンでも泣く以外の意味があります。常に裏を読みながら鑑賞しなければいけません。
2、魔女仕立て
最初に出てくる近所のオバちゃんは魔女です。魔女は普通こんな格好をしています。
この映画ではこんな感じです。
映画冒頭では、緊張した顔で、目をむきながら話します。不気味できつい顔をして、反語(反対の言い方)で呪いをかけます。
息子さん達も立派になられて(息子たちは全然立派になっていない)、みなさんお待ちかねで歓迎してくれるだろう(お前は招かれていないのだ。むごい扱いを受けるだろう)そしてその通りになります。恐いです。
この魔女のおばさんは、老妻の葬式後、ふたたび顔を出します。その顔は最初の不気味な顔とちがって、ミッション完了の喜びに満ちた晴れやかな顔です。
ミッション完了後の魔女です。老妻が居なくなってとても幸せそうです。人が死んで喜ぶとは、まるで悪魔のようです。
3、天使の留守に
天使も居ます。末の娘です。学校の先生をしています。普段は老夫婦を守っています。でも彼女が学校に出勤したスキに、近所のオバちゃん(実は魔女)に呪いをかけられてしまうのです。彼女がスキを見せなければいったいどうなっていたことでしょう。本当になんにも起きない映画に成り下がっていたに違いありません(くどいようですが、スキをみせてもほとんどなにも起きない映画なのです)。天使の留守に感謝です。
真ん中が天使です。弁当やお茶を準備して学校に出勤します。「魔法瓶にお茶を入れておきましたから」もちろん老夫婦は魔法瓶を使いません。使うと話の展開なくなっちゃいますから。
4、実は被害者な子どもたち
一見単なる親不孝に見える子どもたちですが、よくよく見ると実はそうでもありません。長男は急患で東京見物をキャンセルします。命を救う使命感のあるお医者さんです。立派です。
長女は美容院の経営に苦しく、その中でなけなしのお金で両親に熱海旅行をプレゼントします。生活が苦しいからどうしても言い方は殺伐としてしまいますが、頑張っています。
長女の婿は、物干し場であやうく昇天しかかっている義理の父を下界に引き戻します。立派です。
声をかけるのがもう少し遅ければ、映画は別の展開になっていたに違いありません。
5、嘘くさい親孝行と死の呪い
戦争で死んだ次男の嫁が、義理の親にあたる老夫婦に物凄く親孝行しています。でもそれは、夫が生き続けているという幻想を守るための、嘘の親孝行です。嫁は義理の母を、死んだ夫の布団に寝かせます。死の伝染を受けた義理の母は、結局死んでしまいます。母の死の原因は作中で議論されますが、もっとも責任が重大なのは、次男の嫁だろうと思われます。
義理の母に決定的な死の呪いをかける次男の嫁です。悪い嫁のようですが、しかし姑も姑で貧乏な嫁から小遣いまでもらうのですから、あんまり良くはありませんね。
6、後は時間(時計)のみ
ここまでのポイントを押さえれば、あとは時間(時計)の意味さえ考えれば十分です。登場人物を派閥で分けてみましょう。
時間止めたい派
老夫婦のうち夫(子どもたちが昔のままだと信じきっている)
死んだ次男の嫁(死んだ亭主の記憶を抱えたまま時間を止めている)
末娘(老夫婦と同居して未婚だから無自覚)
中間派
老夫婦のうち妻(孫を見ては「私はいつまで生きれるか」と詠嘆する)
次男
時間動かしたい派
長男
長女
長男長女は今の生活が不満なので時間を動かしたいのです。お金持ちがデフレ派になっていたのと、状況は似ています。デフレとは時間が止まること、インフレとは時間が亢進することですから。
葬式の後、次男の嫁と天使が決闘します。
天使「ほんとうに時間動かしたい派の連中は悪いなあ、腹たったわ」
次男嫁「いや、実は私もあっちの派閥にゆこうかと思う」
天使「うーんそうですか、うーん」
にこやかな表情の裏で、シリアスな戦いが展開します。決着はつかず東京での再戦を暗示して二人は分かれます。
そしてまさに東京に帰ろうとする嫁に、父は妻の形見の時計を手渡します。
「あなたは時間が止まっていた。時間を再開させろ。あなたは経済的に苦しく境遇的には本来、時間動かしたい派に所属すべきだからである。」
嫁は我が意を得たりと思いながらとりあえず泣きます。
その次のシーンで、次男の嫁と対決をした天使は、対決相手が列車で東京に帰る時刻に自分の腕時計を見ます。
「敵の時間は動き出したのであろうか?」
実際敵は列車に乗って移動しています。そして、
彼女も時計を見ているのです。さっきもらったばかりの形見の時計です。
「時間動いている、動いている、確認、確認。天使がやっかいだったけど、時間停止派とは決別出来た。今後は時間亢進派としてやってゆこう」
最後に、完全に時間が止まった父が残されます。もともと止まっていたのですが、よりいっそう止まるのです。中間派の妻が死んだのだから当然ですね。そして映画も終わります。
おわかりでしょうか。この映画の隠れた主題は、止まった時間と動いている時間の戦いなのです。抽象的な内容を見事に描いているから、世界中で評価されているのです。抽象的な内容を表現するために、固定カメラで、抑えた演技で、平凡な日常を淡々と描いているのです。
「東京物語」というタイトルの意味
ここまで読み込むと、どうして「東京物語」という題名なのか、わかってきます。「東京物語」というのは、省略した題名です。
省略しなければ、
「東京という大都会と、尾道という地方都市の、時間の違いの物語」
と言うべきなのです。
追記
最近ではカラー補色バージョン見れます。自然ではありませんが十分鑑賞に耐えます。
その後の研究で東京物語の下敷き作品が判明しました。志賀直哉の「暗夜航路」です。
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