「無常という事」解説【小林秀雄】
小林秀雄の文章は大嫌いでしたが、私小説として読めばそれほど不快ではないと気づきました。評論ではなかったのです。奇抜な小説だったのです。
本文
1)「ある人いわく、比叡の御社に、偽りてかんなぎの真似したる生女房の、十禅師の御前にて、夜うち更け、人静まりて後、ていとうていとうと、鼓を打ちて、心澄ましたる声にて、とてもかくても候、なうなう(どうでもこうでもよいですよ、ねえねえ)とうたひけり。其心を人にしひ問はれて云、生死無常の有様を思ふに、此世のことはとてもかくても候、なう後世を助け給へ(生死の無常を考えれば、現世はもうどうでもこうでもよいですよ、来世を助けてくださいという気持ちでした)と申すなり。云々」
2)これは、「一言芳談抄」の中にある文で、読んだ時、いい文章だと心に残ったのであるが、先日、比叡山に行き、山王権現の辺りの青葉やら石垣やらを眺めて、ぼんやりとうろついていると、突然、この短文が、当時の絵巻物の残欠でも見る様な風に心に浮び、文の節々が、まるで古びた絵の細勁な描線をだどる様に心に染み渡った。そんな経験は、初めてなので、ひどく心が動き、坂本で蕎麦を喰っている間も、あやしい思いがし続けた。あの時、自分は何を感じ、何を考えていたのだろうか、今になってそれがしきりに気に懸かる。無論、取るに足らぬ或る幻覚が起ったに過ぎまい。そう考えて済ますのは便利ではあるが、どうもそういう便利な考えを信用する気になれないのは、どうしたものだろうか。実は、何を書くのか判然しないままに書き始めているのである。
3)「一言芳談抄」は、恐らく兼好の愛読書の1つだったのであるが、この文を「徒然草」の内に置いても少しも遜色はない。今はもう同じ文を目の前にして、そんな詰まらぬ事しか考えられないのである。依然として一種の名文とは思われるが、あれほど自分を動かした美しさは何処に消えてしまったのか。消えたのではなく現に眼の前にあるのかも知れぬ。それを掴むに適したこちらの心身の或る状態だけが消え去って、取り戻す術を自分は知らないのかも知れない。こんな子供らしい疑問が、既に僕を途方もない迷路に押しやる。僕は押されるままに、別段反抗はしない。そういう美学の萌芽とも呼ぶべき状態に、少しも疑わしい性質を見付け出す事が出来ないからである。だが、僕は決して美学には行き着かない。
4) 確かに空想なぞしてはいなかった。青葉が太陽に光るのやら、石垣の苔のつき具合やらを一心に見ていたのだし、鮮やかに浮び上った文章をはっきりたどった。余計な事は何一つ考えなかったのである。どの様な自然の諸条件に、僕の精神のどの様な性質が順応したのだろうか。そんな事は分からない。分からないばかりでなく、そういう具合な考え方が既に一片の洒落に過ぎないかも知れない。僕は、ただ或る充ち足りた時間があった事を思い出しているだけだ。自分が生きている証拠だけが充満し、その1つ1つがはっきりとわかっている様な時間が。無論、今はうまく思い出しているわけではないのだが、あの時は、実に巧みに思い出していたのではなかったか。何を。鎌倉時代をか。そうかも知れぬ。そんな気もする。
5) 歴史の新しい見方とか新しい解釈とかいう思想からはっきり逃れるのが、以前には大変難しく思えたものだ。そういう思想は、一見魅力ある様々な手管めいたものを備えて、僕を襲ったから。一方歴史というものは、見れば見るほど動かし難い形と映って来るばかりであった。新しい解釈なぞでびくともするものではない、そんなものにしてやられる様な脆弱なものではない、そういう事をいよいよ合点して、歴史はいよいよ美しく感じられた。晩年の鴎外が考証家に堕したという様な説は取るに足らぬ。あの膨大な考証を始めるに至って、彼は恐らくやっと歴史の塊に推参したのである。「古事記伝」を読んだ時も、同じ様なものを感じた。解釈を拒絶して動じないものだけが美しい、これが宣長の抱いた一番強い思想だ。解釈だらけの現代には一番秘められた思想だ。そんな事を或る日考えた。又、或る考えが突然浮び、たまたま傍にいた川端康成さんにこんなふうに喋ったのを思い出す。彼笑って答えなかったが。「生きている人間などというものは、どうも仕方のない代物だな。何を考えているのやら、何を言い出すのやら、仕出かすのやら、自分の事にせよ、わかった例しがあったのか。鑑賞にも観察にも堪えない。そこに行くと死んでしまった人間というのは大したものだ。何故、ああはっきりとしっかりとして来るんだろう。まさに人間の形をしているよ。してみると、生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物かな」
6) この一種の動物という考えは、かなり僕の気に入ったが、考えの糸は切れたままでいた。歴史には死人だけしか現れて来ない。従ってのっぴきならぬ人間の相しか現れぬし、動じない美しい形しか現れぬ。思い出となれば、みんな美しく見えるとよく言うが、その意味をみんなが間違えている。僕等が過去を飾り勝ちなのではない。過去の方で僕等に余計な思いをさせないだけなのである。思い出が、僕等を一種の動物であることから救うのだ。記憶するだけではいけないのだろう。思い出さなくてはいけないのだろう。多くの歴史家が、一種の動物に留まるのは、頭を一杯にしているので、心を虚しくして思い出す事が出来ないからではあるまいか。
7) 上手に思い出す事は非常に難しい。だが、それが、過去から未来に向かって飴の様に延びた時間という青ざめた思想(僕にはそれが現代における最大の妄想と思われるが)から逃れる唯一の本当に有効なやり方の様に思える。成功の期はあるのだ。この世は無常とは決して仏説という様なものではあるまい。それは幾時如何なる時代でも、人間の置かれる一種の動物的状態である。現代人には、鎌倉時代の何処かの生女房ほどにも、無常ということが分かっていない。常なるものを見失ったからである。(本文終)
直線時間と円環時間
背景にあるのは時間問題です。小林が否定する「過去から未来に向かって飴の様に延びた時間という青ざめた思想」とは、修飾抜きで言えば直線時間の事です。対して冒頭の「生死無常の有様を思ふに、此世のことはとてもかくても候、なう後世をたすけ給へ」というのは、来世のことを願って歌を歌ったのですから、円環時間を採用しています。それを突然思い出し、また思い出したことを思い出す。ループする時間ですね。
直線時間はキリスト教文化圏の産物です。天地創造から終末まで一直線にプログラミングされています。対して60年周期の干支も、輪廻転生も、東洋思想は円環時間です。元来時間の計測方法は、60分が0分、24時間が0時間、一定数経過するともとに戻る数え方をします。直線時間のほうが変わった見方です。小林は直線時間を否定しています。それでは人間は動物になると。
人間はまごうことなく動物の一種なのですが、小林は生物学上の分類問題ではなく、来世への向上心がなくなることが問題と考えたのでしょう。
ただの仏教
つまり、この文章で小林が開陳しているのは、ただの仏教です。歌う女は小林の過去生と見てほぼ意味が通じます。過去生を思い出す、そして思い出したことを思い出す。そのたびに小さな輪廻転生が発生しており、小林は向上している、あるいは堕落しているのです。
小林は直線時間上の事件の羅列のまとめ方を歴史解釈と呼んでいます。しかし実は直線時間そのものを認めない。だから歴史解釈も認めない。
ただの知識不足
しかし、本人が宗教議論をしている自覚もなければ、時間議論をしている自覚もありません。文章がわかりにくいのは、カンでなにかを掴んでいるのだが、知識がなくて明示できないからです。どうもこの議論の持ってゆき方だと、宗教知識も時間論の知識もなさそうです。知識人とはすなわち伝統的知識の欠落した存在と定義づけられる勢いです。
本文に「この世は無常とは決して仏説という様なものではあるまい」とあります。間違っています。諸行無常は仏説です。そして仏教は輪廻転生を前提にして、そこからの解脱を目指すものです。諸行無常だからこそ一切皆苦で、ゆえに全て我にあらずと観じて解脱をするのです。どうもそこらへんの整理が全くできていません。
「現代人には、鎌倉時代の何処かの生女房ほどにも、無常ということが分かっていない。常なるものを見失ったからである」で作品は終わります。では「常なるもの」とはなにか。作者としては「過去を思い出した時に見える死者たちの美しい姿」という意味だろうと思います。それなりに美的ではあります。しかし仏教で無常というとき、諸行が無常なのであって、一部特定行が無常なのではありません。つまり常なるものはありません。常なるものを見失ったから無常がわからなくなった、という理屈は存在しません。無茶苦茶なのです。混乱しきっています。
師匠の影響?
小林は志賀直哉に私淑していました。志賀の代表作「暗夜行路」でも時間問題は取り上げられています。小林は同作を批評していますが、あまり理解できなかったようです。でもわざわざ「無常という事」を書く以上、なにかを感じられたのは間違いありません。
そして比叡山で鎌倉時代の文章を思い出した時、なにやら不思議な気持ちがしたのでこの文章を描いたのですが、普通に読む分には内容は混乱してしまって収拾不能の悪文です。高校の教材としてははっきり不適切です。
読み替え
しかし、意味が通る読み替えも可能なようです。冒頭の鎌倉時代の女房を、たとえば特攻隊の兵士と読み替え、「此世のことはとてもかくても候、なう後世をたすけ給へ」を、出撃前に彼らが残した言葉と読み替えるのです。「私達のことはとにかく、のちの世がよくなってほしい」。光る青葉や、苔のついた石垣を見て、心を虚しくして、居ますがごとくに彼らを思い出そうと。
仏教やら無常やらの説明文としては本作は明確に落第です。しかし敗戦の翌年1946年の発表、当時日本はGHQの占領下ですから、これしか表現方法が無かっただけなのかもしれません。この読み替えですと、「常なるもの」に、国家、民族、尊厳、希望、あるいは生命そのものなどの言葉を当てはめて、矛盾がありません。一言芳談抄やら比叡山やら鴎外川端などはおそらく全て偽装工作です。わかりにくい理屈をこねたくて書いたわけではないのです。ただただ後の世を願って、ひたすらに心を澄まして死んでいった人たちの美しい姿を、作者が思い出している作品です。
占領下文学
「無常という事」「斜陽」「人間失格」などをまとめて、「占領下文学」と呼称すべきだと思います。スタイルは違えども、人々は同じように感じ、考えていたようです。
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