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「野分(のわき)」あらすじ解説【夏目漱石】

「坊っちゃん」の続編です。経済問題を扱っています。結論は経済至上主義の、否定の否定です。「坊っちゃん」の逆です。

あらすじ

道徳的判断の厳格すぎる文学者、白井道也。厳格すぎて周囲と上手くゆかず、学校教師として地方を転々としますが、結局退職して東京で執筆と出版社の雑用をして糊口を凌ぎます。
大学を文学で卒業した貧乏な高柳君は、白井の説を信奉します。高柳君は肺結核になります。同級生で金持ちの中野君が転地療法のためにお金を貸してくれます。しかし高柳君は借金の返済を迫られて困っている白井に、原稿と引き換えに金を渡してしまいます。高柳君は良い原稿を入手できたと、喜んで持って帰ります。白井は呆然としてなすすべありません。(あらすじ終)

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登場人物

文学者白井
貧乏人高柳
金持ち中野
の3人が主役です。

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他脇役で白井妻、白井兄、ほかはチョイ役です。えらく少ない登場人物です。

善意への無理解

高柳君は肺結核です。肺結核は第二次世界大戦後まで特効薬はありません。「野分」の明治40年にももちろんありません。死病です。かかって治る人も居ますが、高柳君の父親も肺結核で死んでいます。本人も遺伝だからと諦めています。このままでは、故郷に老母を残して孤独死です。

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ですから友人で金持ちの中野君がお金を貸してくれます。貸すと言うより100円押し付けてきます。この金で暖かいところに行って著作を書け、100円は執筆代金だと。凄く良い友人です。
その金を右から左に手放しておきながら、高柳君は「白井先生の良い著作が手に入ったから」中野君を裏切っていないと思っています。間違っています。中野君は著作が欲しくて100円出したのではなく、高柳君の命を惜しんで100円出したのです。その意味では友人にたいする裏切りです。
高柳君は中野君の善意をわかっていません。この調子では遅かれ早かれ結核で死ぬでしょう。

借金取り立て

尊敬する白井が借金取り立てに苦しんでいるのを見て、高柳君は100円を手放します。しかし白井への借金取り立ても、実は半分八百長でした。
白井が(安定収入になる)教師をしたがらないので、白井の妻と兄が共謀して策を講じました。兄の知人・鈍栗が白井に100円貸すのですが、その金は元は兄が出しています。ですがあえて第三者からの借金ということにして、激しく借金取り立てをします。進退窮まった白井は、やはり安定収入がないと無理だと観念して教師に戻るだろう、白井兄と白井妻はそのことを期待していました。
しかし策略は、高柳君の100円で駄目になりました。その100円も元は中野君の100円ですから、100円を中心に登場人物は対称の構造になっています。きれいに組み立てています。

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黄白万能主義への批判と現実

白井は元々金銭が嫌いです。以心伝心なのでしょうか、金銭からも嫌われています。金銭至上主義を当時は「黄白万能主義」と言ったらしいです。白井は中学の教師時代、新潟で、また九州で、黄白万能主義を批判して学校を追われています。今なら資本主義批判というあたりです。

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では封建主義かといったらそうでもない。その後中国地方で教師をしますが、旧藩主に挨拶しなかった件でやはり学校を追われます。封建主義者でもなければ資本主義者でもない。明治日本に居場所がありません。
それでほそぼそ地味にゆけばまだよいのですが、無駄に元気が良いものだから金持ち連中をメタメタに批判します。高柳のような貧乏人にとっては痛快です。それで信奉者になり100円を使い、ゆくゆく命を落とします。
白井の間違いは明らかです。道徳を説くのは良い。しかしそれで若い命をあたら無駄に浪費してはいけません。しかもその若者は白井説最大の理解者、支持者なのです。金持ちが高柳の病気を心配して渡したお金を、病人から取り上げる結果になった。白井が金持ちから金を巻き上げて、中間にいる高柳を消滅させたも同然です。

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趣味と契約

白井は金持ちの趣味を批判します。彼らは金について知っているだけだと。他にはなんにも知らないのだと。確かに白井は勉強しています。渡辺崋山の日記など読んでいます。教養人です。

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でも作中では白井および高柳より、金持ちの中野のほうがはるかに文化的な生活をしています。音楽会にゆく。写真を撮影する。日常生活でも花や衣装にたいする感受性は白井・高柳より中野のほうが上です。つまり、ここでも白井の批判は当たっていません。ただのヒガミ、ただの嫉妬です。白井は迫力のある文章を書き、迫力のある演説をして表面的には立派ですが、内実は伴っていません。

内実が伴っているのは中野です。第七章の婚約者との会話の中で、契約違反のかどでヴィーナス像に殺される男の話題を出します。金持ちだけあって、契約の絶対性を理解しています。ここが作品中もっとも理解の難しいポイントです。婚約者同士の他愛もない話に見せかけているので見過ごしがちですが、ここが契約物語と読めないとラストシーン、高柳の重大な契約違反の意味が取れずに、経済小説ではなく安手の道徳小説と誤解します。

比べてみれば金持ち中野は契約死守の話をしていますが、貧乏白井は金を借りても返済期日までに用意できていません。貧乏高柳も中野との約束を破って金を白井に渡します。ダメダメ師弟です。
実は高柳の父は公金横領のかどで牢屋に入れられ、結核が悪化して死んでいます。息子を見れば父がなにをやったかだいたい見当つきます。どうしても助けたい可愛そうな人にお金を流用したのでしょう。良い人です。でも契約の意味がわかっていません。

産業と生活

白井ははじめ新潟の学校に赴任しました。そこの生徒が高柳でした。石油で成り立っている町で、白井は黄白万能主義を批判しました。町中の非難を浴びて石もて追い出されました。追い出した人間の中には、高柳も含まれています。最後の瞬間に高柳は過去を告白します。だから白井も運命の不思議さに呆然としてなすがまままになりました。
次に白井は九州の工業地帯に赴任しました。同じ展開が繰り返されました。いずれも白井に一分の理はあります。道義は大事です。しかし衣食足りなければ礼節も道義もありません。当時とにかく日本は産業育成が急務だったのです。

高柳は中野の結婚披露宴で似たような体験をします。披露宴に出席しているのは金持ちばかり、投資で儲かるだのなんだの、むかつく話ばかりしています。高柳は石を投げられたわけではありませんが、雰囲気になじめず寂しく立ち去ります。がしかし、その投資先は人造肥料の会社なのです。もしもその会社が成功すれば、新潟の実家もおおいに役に立ちます。彼らは個人の欲で動いているように見えながら、実際には社会全体の役にたつことをしているのです。対して白井も高柳も産業がまるでわかっていません。だから金銭がわからない。

この人造肥料を導き出すために、第二章では中野は高柳に食事をおごり、第五章では食欲旺盛にして敏捷な人物を登場させ、第六章では「うまい」の語源についての話題を出します。やはり先立つ物は食ということを示すために、漱石は伏線を張っています。戦略的です(ただあまり印象的でない、つまり成功していないのですが)。

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社会思想家

もっとも金持ちが全て良いとは書いていません。当時の金持ちはたいてい政商でして、代表の岩崎家の憎悪されたこと、今日の竹中平蔵の比ではありません。それらは(作中徳川侯が出てきますが)封建主義の生き残りとの関係もありました。そこらへんはそれ相応にネガティブに描いています。
漱石は「坊っちゃん」の時点では佐幕の人物として、新政府と金持ちに単純な反感を持っているだけでした。

「草枕」で旧士族と平民の悪感情に気づき、

「二百十日」では小金持ちと貧乏人を一体化する物語を作りました。

明治社会の分断を考え続けたようです。

本作ではそれらを抽象化、概念化した上で、現代の問題として具体的に扱っています。漱石が書きながら進歩したのです。進歩した分単純な勧善懲悪物語ではなくなり、そのせいで本作は「坊っちゃん」のような人気はありません。しかし、社会思想家と言ってもよい思考力を1年で身につけたのですから流石に頭脳明晰です。

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多くの作家が経済問題で間違えます。単純に経済に反発するだけです。最初は漱石もそうでした。しかし「野分」の時点では「一般人も、金持ちが理解している社会、産業、契約などを理解できなければ事態の改善は無理」と主張しています。貧乏人への非難ではありません。地方を転々とする文学者とは、漱石自身の履歴だからです。「坊っちゃん」の続編、作者自身の反省録なのです。

構成

12章構成です。青の部分の4章と9章は明快に対になっています。「坊っちゃん」での2回のワルプルギスシーンの残滓です。2章と11章、6章と7章もまず対でしょうが、他の章の対句性は薄いです。

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「坊っちゃん」「草枕」「夢十夜」のような鏡像構造が、わずかに残っていますね。

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もっとも前作「二百十日」よりは構成的です。

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詩人漱石は鏡像構成を求めますが、社会思想家漱石はより自由な構成を求めたようです。



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