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「二百十日」あらすじ解説【夏目漱石】

猫、坊っちゃん、こころと読んで、次に読む漱石でおすすめは「二百十日」です。短いですから。国民と、国民文学の誕生を宣言しています。

日露戦争と日本近代文学

1905年1月、「吾輩は猫である」、同年9月、日露戦争収束。
1906年1月、「坊っちゃん」、同年8月「草枕」、同年10月「二百十日」

日本近代文学は日露戦争勝利の産物なのです。西洋コンプレックスの克服のための装置です。いわば文化的独立宣言です。

あらすじVer.1

貧乏な圭さんと、小金持ちの碌さんが阿蘇登山をしようとして失敗します。(終わり)

会話体

読みやすい作品です。中編、長編の中では最も読みやすいと思います。大部分が二人の掛け合い漫才、つまり会話文だからです。地の文もあるにはありますが、1/5くらいです。
掛け合い漫才と言いましたが、より正確には落語です。言文一致体創造の最大貢献者は落語家の三遊亭円朝です。つまり「二百十日」はいわば円朝直系の作品です。読者は現代日本語誕生の姿を見ることができます。

あらすじVer.2

全体は5章にわかれます。目的は阿蘇登山ですが、実際に登山するのは第4章のみです。ほかはくっちゃべっているだけです。

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1:宿での貧乏圭さんと金持ち碌さんの無駄話。圭さんは華族や金持ちの悪口を言います。
2:浮世風呂。漱石お得意の(あるいは落語定番の)描写です
3:宿での晩飯。宿の下女との楽しい会話
4:阿蘇登山。うどんで力が入らない金持ち碌さん。溶岩流の跡におっこちる貧乏圭さん。穴の圭さんを蝙蝠傘と兵児帯を結びつけたもので引っ張り上げる碌さん。
5:翌朝。足裏の豆が痛む金持ち碌さんが熊本に帰りたがる。でも貧乏圭さんの扇動に乗せられて、阿蘇への再挑戦を誓う。

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三人称会話体

この作品は中長編では漱石初の三人称です。猫、坊っちゃん、草枕は主人公が直接語る一人称視点です。作品一覧並べてみると、どうも漱石は一人称のほうが得意だったようですね。

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三人称視点ですと文章が古臭くなりすぎるのです。二百十日の次の作品の「野分」見てみましょう。

「白井道也は文学者である。八年前大学を卒業してから田舎の中学を二三箇所流して歩いた末、去年の春飄然と東京へ戻って来た。流すとは門附に用いる言葉で飄然とは徂徠に拘ぬ意味とも取れる。道也の進退をかく形容するの適否は作者といえども受合わぬ。縺れたる糸の片端も眼を着すればただ一筋の末とあらわるるに過ぎぬ。ただ一筋の出処の裏には十重二十重の因縁が絡んでいるかも知れぬ。鴻雁の北に去りて乙鳥の南に来たるさえ、鳥の身になっては相当の弁解があるはずじゃ。」

ほとんど幸田露伴です。ちなみに露伴の「五重塔」の文章も置いておきます。「野分」の15年前の作品です。

「上りつめたる第五層の戸を押明けて今しもぬつと十兵衞半身あらはせば、礫を投ぐるが如き暴雨の眼も明けさせず面を打ち、一ツ残りし耳までもちぎらむばかりに猛風の呼吸さへ為せず吹きかくるに、思はず一足退きしが屈せず奮つて立出でつ、欄を握むで屹と睥めば天は五月の闇より黒く、ただごうごうたる風の音のみ宇宙に充て物騒がしく、さしも堅固の塔なれど虚空に高く聳えたれば、どうどうどつと風の来る度ゆらめき動きて、荒浪の上に揉まるる棚無し小舟のあはや傾覆らむ風情、流石覚悟を極めたりしも又今更におもはれて、一期の大事死生の岐路と八万四千の身の毛竪よだたせ牙咬定めて眼をみはり、いざ其時はと手にして来し六分鑿の柄忘るるばかり引握むでぞ、天命を静かに待つとも知るや知らずや、風雨いとはず塔の周囲めぐりを幾度となく徘徊する、怪しの男一人ありけり」

これでワンセンテンスです。長いです。流石に漱石のほうが現代文に近くなっています。でもどちらも今日の日本語からは遠いですね。漢語を大量に使用します。地の文があると漢語を使わないと不安だったのでしょう。会話体は円朝の影響で漢語ナシでも平気です。
「二百十日」は三人称視点ですが、会話がほとんどですので、今日の私たちでも楽しく読めます。

二人の属性

実は貧乏な圭さんも、小金持ちの碌さんも、あまり属性が明らかにされません。貧乏と金持ちというだけです。どうして一緒に旅行しているのかも定かではありません。「二百十日」というタイトルからして、二百三高地攻略戦を念頭に置いていますね。社会階級違うのに徴兵されて、同じ部隊で協力します。そんなシーンは徴兵制以前にはなかったのです。

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圭さんは豆腐屋出身の貧乏人なので、華族と金持ちを追い落とそうとしています。色々不愉快なことがあったようですが、体験の詳細はあきらかにされません。ディケンズの「二都物語(作中では「両都物語」と言われる)」を読むくらいの教養はあります。でも荒木又右衛門を知りません。そのくせ仁王のような屈強な肉体の持ち主です。

碌さんは小金持ちなので、社会に対する強い憤りは特に持っていません。でもだんだん 貧乏圭さんにアジられてその気になります。小金持ちのボンなので足腰が弱く、ご馳走を食べたがります。荒木又右衛門は知っています。子供の頃から娯楽が近くにあったのでしょう。でもディケンズは読んでいません。社会に対する不満がないので、読む必然性がないのです。


落語には「枕」があります。前フリです。本題の前に世間話っぽい小話から入ります。「二百十日」は対句的表現がふんだんにありますが、「対句」あるいは「伏線と回収」というよりも、「枕と本題」というほうが適切に思います。落語的です。対応は非常に充実しています。

第一章概略

金持ち碌さんが宿に戻ってきます。細長い石畳の道がある寺と、馬の沓替え(蹄鉄交換)を見てきました。沓替えの音は宿まで聞こえてきます。隣の部屋では小手やら竹刀やら剣術の話を延々としています。爺さんがあごひげを延々と抜いています。全部抜くまで時間がかかりそうです。
沓替えの音を聞くと、貧乏圭さんは子供のころ聞いた寺の鉦の音を思い出すようです。貧乏圭さんは豆腐屋のせがれでした。馬車に乗っている連中、すなわち華族や金持ちに反感を持っています。

ここにさりげなく話題として出てくる
「寺の細道」
「馬」
「竹刀」
「ひげ抜き」

が作中展開してゆきます。

本題での展開

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寺の細道が展開したのが、阿蘇山中の溶岩流の跡です。登山中、圭さんはそれに落っこちます。幸い無事です。ですがなかなか這い上がれません。危ないところでした。枕で「寺というものは大概の村にはあるね」「そうさ、人間の死ぬところには必ずあるはずじゃないか」というやりとりがあります。まさに死への道です。

馬は最も頻度高く展開します。「馬車に乗った」華族や金持ちを貧乏圭さんは目の敵にしています。登山中は馬の足跡をたよりに道を決めてゆきます。間違った道なんですが。溶岩流の跡に落っこちた貧乏圭さんは生爪剥がします。金持ち碌さんにハンカチもらって縛って応急措置します。これは冒頭の馬の沓替えに相当します。金持ち碌さんは足裏の豆を潰してダウン、貧乏圭さんに背負ってもらって撤退します。つまり貧乏圭さんを馬のかわりにします。
根性なしの金持ち碌さんは、翌朝馬車に乗って熊本に帰りたがります。馬が羽目板を蹴った音で夜も眠れなかったようです。でも貧乏圭さんに扇動されてやっぱり阿蘇に再挑戦すると言い出します。馬車に乗る金持ち路線を諦めたようです。貧乏圭さんといっしょに活動しづけることに決めたようです。

宿でお隣さんが竹刀の話に熱中していたのは、荒木又右衛門の仇討ちの本を読んでいたからです。荒木は剣客です。死への道、すなわち溶岩流の跡に落っこちた圭さんを引っ張り上げるのに使われるのが、刀が変化した蝙蝠傘です。でも長さが足りないので、兵児帯結びつけて使います。西洋と日本の結合です。

落っこちた貧乏圭さんを引っ張り上げる力仕事の原型が、爺さんのひげ抜きです。

第一章でなにげなく描写されたモチーフが、全編を通じて大きく展開します。構成能力は一流です。神格化されすぎて実際には何が優れているのかよくわからない漱石ですが、この点が彼の最大の美質だと思われます。

国民の誕生

前述のように1年前に日露戦争が収束しています。勝ちました。勝つと国民意識が芽生えます。国民としてのまとまりが出来てきます。貧乏圭さんと金持ち碌さんは本来友人になれません。貧乏圭さんは下層階級、金持ち碌さんは上流です。階層が違います。そんなふたりがどんな縁か、一緒に阿蘇を登山しようとします。阿蘇は煙を吹いています。岩石飛んできます。加えて二百十日です。天候も荒れています。つまり激動の国際情勢の中の二百三高地攻略戦です。
苦難に直面して日本人は階級を超えて結束します。国民の誕生です。漱石の警鐘は、「だから、上のものが下のものを踏んづける真似だけはするな。」です。タイミングの良い警鐘ですが、社会科学的知識も歴史的知見も、なんにもありません。単に文学的に高度なだけです。そもそも普通に読んでる分には国民誕生物語と気づきません。失敗した山登り物語です。果たしてこれは成功作品なのでしょうか?スムーズで読みやすいので、失敗作とも言えませんが。

国民文学の誕生

結束が強まってゆく話ですから、会話文体が適しているのは当然です。八っつぁん、熊さんの世界です。それを長屋の二人ではなく、階級が違う二人で組み立てていることがこの作品の工夫です。庶民の世界が拡張して、小金持ちまで一緒の仲間になれたようです。国民文学の誕生です。
もっとも華族と大金持ちは国民から仲間はずれです。国民共通の敵です。これで結束しすぎはよくありません。怨嗟が溜まりすぎます。昭和初期のドタバタ見るに、漱石のこの路線、少々まずかったと思います。財閥への憎悪から二・二六事件などが発生、秩序が崩壊します。漱石は悪い意味での煽り屋になったのかもしれません。でも貧富の差が深刻な問題だったのも事実です。今日のアメリカや日本にも似ています。

そしてその後、三人称視点は順調には発展していません。芥川「河童」太宰「斜陽」「人間失格」いずれも一人称です。三島も初期の「仮面」「金閣寺」は一人称ですね。


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