見出し画像

「私の個人主義」解説【夏目漱石】

「私の個人主義」は1914年(大正三年)、学習院での講演です。「こころ」を書いた後、「道草」を書く前です。翌々年に漱石は死去します。全体はおおまかに2部に分かれています。枕と本文です。

画像2

それぞれが2部に分かれており、さらに二つに分割できます。合計8部構成です。順序が少し前後しますが、前半4部と後半4部は絶妙に対応しています。対応関係元に説明します。

画像1

Aセット

A-1:講演の話があってから体調を崩していた。予定を延期してもらった。根気よく待ってもらった

A-2:就職するのに右往左往した。大学で文学を学んだが、よくわからなかった。

A-1は色々グダグダしながら時間を過ごす話です。
A-2の文学を学びながらよくわからず、学校を転々とする話に対応します。

Bセット

B-1:気分が優れなかったから講演の内容は考えずに、絵を書いて過ごした。自分で絵を書いて、自分で自分の絵をぼんやり数日見ているだけだ。

B-2:たまたま留学したが、やっぱるよくわからず、文学と関係ない本を読んで思索し、ようやく「自己本位」という言葉を考えついた。西洋人が良いと言っているから良いとするのではなく、あくまで自己本位によい悪いを分別してゆく。それで大変強くなれた。どんな犠牲を払っても、そういう自分なりのツボを掘り当てなくてはいけない。

B-1は自分で自分の絵をじっくり見る話です。
B-2の「自己本位」を確立する話に対応します。

次にこの考えを社会に応用してゆきます。

Cセット

C-1:私なんかの話は、先生方の話ほどよいものではない。たまたま変わったものに触れるから面白く思うだけだ。「目黒の秋刀魚」だ。
(「目黒のサンマ」は落語です。鯛ばっかり食べている殿様が目黒の民家でサンマを食べて、変わった食べ物なので非常に美味しく感じる話です)

C-2:それぞれの個人のツボを守る個人主義は国家主義と対立するものではない。危機の時には国家主義にならないわけにはゆかない。でも個人生活は国家とは別に運行してゆくものだ。
それに国家間の道徳は個人間の道徳に比べて下劣なものだ。だから普段は徳義心の強い個人主義で生活すべきだ。

C-1は目先の違った非日常がいかに面白く思えるか、という話です。
C-2は国家安危の際は個人より国家主義が優先されるという話です。
漱石の考えでは、国家主義は目黒のサンマです。非日常で目先が変わって面白く見えるが、その実は鯛に比べれば下魚であって品の落ちるものなのです。本当の鯛は個人主義なのです。

Dセット

D-1:こちらの大森教授は旧知の人だが、昔彼がボヤいて「学生が自分の講義を熱心に聞いてくれない」と言ったから、失礼にも「君などの講義をありがたがって聞く生徒がどこの国に居るものか」と言ってしまった。

D-2:皆さんは上流階級の学習院の学生だから、権力金力で人を押さえつけることが出来る。できるが、権力、金力には徳義が付着する。私が「自己本位」のツボの発見で強くなれたように、人それぞれ違うツボがある。そのツボを弾圧してしまうことは悪いことだからだ。だから力を振りかざして弾圧してはいけない。

D-1は先生本人には面白くとも生徒にとっては面白くないことが多い、立場が違えば見方が違うという話です。
D-2は権力、金力は人の個性を弾圧出来る、だから徳義を持って使わなければならない、という話です。立場が違うと感じ方、ツボが違うのです。ここでは学校の生徒さんにとっての先生の権力を想像させながら、権力あるものと無いものの差を認識させようとしています。

画像4

まとめ

Aセット:講演前の体調グズグズ→「自己本位」に到達前の認識のグズグズ
Bセット:自分の絵を自分で眺める行為→自分自身の内側に基準を設ける
Cセット:目先の変わったサンマ→非日常の時の国家主義はやむをえないが所詮はサンマ
Dセット:先生と生徒の関係→権力者と一般人の関係

落語家の枕のように見えて、最初の短い話がすべて本論に展開してゆきます。流石は文豪の講演です。構築力が違いますね。

追記

本論の内容読んで気づくのは、彼の中には一貫した世界観があって

1、人間の内面には探求すべき世界がある
2、社会には道義が存在している

ということです。おそらく内面世界は仏教、社会道義は儒教なのだろうと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?