見出し画像

小林秀雄考

音楽の視覚把握

「様々なる意匠」を先日書いた。

小林の論理性や読解力を、私は認めない。つまり文芸評論家として認めない。実は文章力さえ認めていない。しかし天才的な部分は確かに有る。「モオツァルト」にある「モーツアルトは作品を見渡していた」という指摘は出色である。モーツァルトは作品全体の把握を、視覚的におこなっていたのである。決定的な気付きである。

バッハは写譜しすぎて晩年は失明。ベートーヴェンは途中で耳が聞こえなくなり作曲しても実際の音を確かめられていない。つまりこの三人とも「目」を酷使している。この時期ドイツでなぜか目を使う音楽家が集中発生した。その後の作曲家は耳を集中使用したと思うが、全盲でもないかぎり耳も目も両方使ったほうが効率良いはずである。しかしこの三人以上の作曲家は以降出現していない。目の使用率が下がったのだろう。この三人の活動は期間限定イベントだったのである。

宗教改革による「目から耳」への移行

一時期のドイツにおける目の作曲家の集中発生の遠因は宗教改革にある。宗教改革とはキリスト教のイスラム化である。僧侶階級を廃止する、原典を直接信者が読む。プロテスタントの特徴はいずれもキリスト教のイスラム化と言える。それに合わせてドイツ文化もいわばイスラム化した。すなわち視覚主体から聴覚主体に変貌した。イスラムはクルアーンの響きの美しさに支えられられた耳の文明なのである。

だからドイツでは、宗教改革以前の美術の伝統は衰退した。以下は宗教改革以前のドイツの画家、デューラーの描いたマクシミリアン。

画像1

素晴らしい作品である。イスラム化、耳化でこのような名画がドイツで生産不能になり、かわって音楽の名作が発生する。しかしベートーヴェンくらいまでは目の文化から耳の文化へ移行途中だから、作曲家たちは目も十分に駆動して作曲し、結果音楽が特異な発展をした。耳の文化になりきってから以降も技術は向上したが、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンのような度外れた革新能力は消滅した。言い換えればこれら三名は、優秀だったというより、文明移行期特有の奇抜な、奇特な、異端の音楽家だったのである。

必要とされた加虐性

当時のドイツ社会も又そのような存在を必要とした。なぜならば古い目の文化が一度滅びることになり、ドイツ人がアイデンティティーの危機に陥ったからである。もはやデューラーは出現しない。自分たちが何物なのか信じられなくなったドイツ人は、すがるべき巨大な文化を必要とした。それが受難曲であり、交響曲であり、のちのワーグナーの楽劇である。いずれも加虐的とも言える長大さ、重厚さを持つが、まさしく必要は発明の母であって、頼りがいのあるグレートな作品を当時のドイツ人は必要とした。彼らにとってはこれらの文化は危機から自分たちのメンタルを守るためのもの、スカンクの屁、ヤマアラシの針だったのである。文化全般にその機能はあるものだが、精神の危機的状況に陥った国民の中ではその機能は最大限に肥大化する。

宗教改革後のドイツと同じような精神的危機に陥った集団の例として、帝政ロシアが挙げられる。ロシアは元来モンゴル帝国の一部である。しかしモンゴルから独立した帝政ロシアはピョートル大帝の時に西洋技術を大量輸入して軍事的に拡大し、出自を振り捨ててあたかもヨーロッパの国として振る舞い始めた。かくてロシア人たちは自分たちが何物なのか迷い出した。野蛮人ではないが最先端文明人とも言い難く、キリスト教徒ではあるが先進国とは宗派が違う。いったい自分たちは何物なのか。
精神的混乱に陥ったロシア人が必要としたのが、巨大な文学である。ロシアには元来神話がない。民話はあるが、自分たちの発生を天地開闢から正当づける物語がない。だから物語の量でごまかした。ドストエフスキーとトルストイである。

画像2

彼らの小説を読んで日本人は等しくコンプレックスを抱いた。有島武郎などははっきり言っている。
「日本人に生まれてよかった。ロシア人に生まれて、先輩にドストエフスキーとかトルストイとか居たのでは、とてもじゃないがプレッシャーで小説なんか書けない」
連中の作品は、クオリティーも高いがまずもってなにより量が凄い。殺人的な文字数である。つまりドイツ音楽と同等の加虐性を持つ。こんな巨大な文学は日本には無い、と日本人は劣等感に苦しめられた。ドイツ音楽に圧倒されたのと同じように。

画像3

しかし逆に言えばそれは、幸福なことなのである。巨大な文化がないのは、日本がそこまでの精神の危機を経験していないからである。同時に小規模な文化も無いならば本当に敗北だが、手頃サイズの文化なら日本は他国より充実している。国家が正常な状態にある証拠である。漱石も芥川も太宰も三島も身を削る苦しみだったろうが、それらはあくまで個人の苦しみで、社会全体が悶絶し心のよすがを求める危機的状況にまでは至っていない。つまり、日本国はそれなりの激動と変化はあっても連続して存在しており、深刻な断絶がないと言える。現に加虐的巨大文化がない。ヤマアラシの針は安全かもしれないが、本人たちの活動も縛る。あんな重いものを常時着用していたのでは、身軽な活動は不可能である。実際、ドイツ人もロシア人も巨大な文化遺産を持て余している気がしなくもない。

画像4

文化的野人

といって日本人たちは惰眠を貪っていたわけではない。明治以降流入した巨大な文化の素晴らしさを認め、なんとか自分のものにしようと足掻いた。作家も足掻いたが小林も足掻いた。誰に頼まれたわけでもなく、個人の責任感から勝手に足掻き続け、その足掻き方は大局観とロジックの欠落したひたすら嗅覚と直感に頼るドロドロ日本原住民風のものであったが、闘志と粘り強さは驚異的なレベルであって、きょうび流行らない言い方だが、一個の男子として認めざるをえない。そして時々野人らしく、根拠もなく現象の本質を探り当てた。フランス文学を口にし、背広を上品に着こなしているので理知的に見えたかもしれないが、本質は野蛮の人であると思う。

彼は作品にたいして常に「まだ理解が足りない」と思っている感じがあって、そこは本当に素晴らしい。謙虚さ以上に、野犬の飢餓感を持ち続けれた人である。同時に、日本美術などの見識は師匠の青山からしてそもそもニセモノで本人も見識薄弱、テクノロジーへの理解も弱くコンピューターに将棋は指せないと力強く断言、などなど、アホな部分も大量にある。文芸批評も宗教への智識があればより効率よくできただろう。ドストエフスキーを読むのに聖書を知らないのは、土台無理である。小林より年上の宮沢賢治が把握できた文明の根本を、小林は把握できていない。

しかし嗅覚と直感だけで探求しつづけた人なので、小林読んでると正体不明の直感力は高まるのではないかと思う。日本人らしいカンのよさを最大限に活用した人物であるのは間違いない。

ながながと書いてみたら残念な結論に到達した。表面的にはおフランスでありながら内実はドロドロオカルトパワーの持ち主である小林こそ、正統的日本人である。おそらくそれが今日でも読まれる理由である。私は外国語が出来ない土着的人間のくせに、理屈ばかりで直感に乏しく、どうも日本人としても、いまひとつ落ちこぼれのようである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?