物語構成読み解き物語・8
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「闇の奥」の読み解きは2016年6月である。たまたま手にとった。まるで意味不明だった。絶望的に面白くない。でも世間では重要作品とされている。されているのだがなぜこれが重要作品なのかという説明はどこにもない。わけがわからない。闇の奥で鼻をつままれている気分である。だからタイトルが「闇の奥」なのか。いや違う気がする。
本作が映画「地獄の黙示録」の下敷きという知識だけはあった。立花隆が「地獄の黙示録」解説本を出しているので図書館で借りて読んだが、立花も「闇の奥」の内容にはほぼノータッチである。早い話が読めていない。
一番読みやすい文章だった光文社の「闇の奥」を何度か読んでみた。キャラ配置戦略がまず目につく。登場人物を書き出すと、この作品の場合ほぼ章立て表になるのだが、かなり奇っ怪なキャラ戦略を採用しているのがわかる。キャラ戦略がそのままストーリーになっているのである。
それでだいたい「闇の奥」の読み解きは終了である。作業的にはえらくあっさりした読み解きだった。「登場人物一覧表」ないし「章立て表」を作成したのならば(この作品の場合両者はほぼ同一のものになる)、この結論に到達しないほうが難しい。
逆に言えば、私が読み解いているのではなく「表」が読み解いている。表の結論を文章化しているだけである。全然頭を使わない。仮に「ニーベルングの指環」を知らなくても、冒頭の3人+女性と、末尾の3人+女性は、の対応をピックアップして解読すれば「指環」を知ろうと知るまいと結論はほぼ似たようなものになる。
この時点で私が読んだことのあるコンラッド作品は、本作のみであった。「カラマーゾフ」や「指環」にくらべて、千分の一も手間がかからない。どうも話がうますぎる。うますぎる話には闇があるものだ。だから「闇の奥」なのか。いやそれも違う気がする。
気になって情報収集した。「闇の奥」の翻訳経験ある方のブログを拝見した。物凄い碩学だった。「闇の奥」にこだわって、ありとあらゆることを調べている。知識量的に私の数百倍ある感じである。その方がブログでポツリともらしているのを読んだ。「どうも私は、闇の奥を読めていない部分があるのかもしれない」。その疑念は正しい。そして疑念を持てる感受性は素晴らしい。
実際には初めてコンラッドを読んだエセ文学ファンが、完璧ではないにしてもだいたい内容を読み解けた。そのエセ文学ファンがやったことは表を作ったことだけである。「カラマーゾフ」時代には私も自分の発見の素晴らしさにうっとりと酔いしれていたが、もはやそういう状況ではなくなった。核軍拡競争を繰り広げる優秀なエンジニアたちが、素人ハッカーのコンピューターへの侵入をあっさり許してしまうようなものだ。そういう場合、素人ハッカーはおそらく大変焦る。私も焦った。闇の奥に迷い込んだような恐怖感である。だから「闇の奥」なのか。これまた違う気がする。というかさっきその作品を読み解いたばかりである。
当時はわからなかったが、「豊饒の海」および「千と千尋の神隠し」も「闇の奥」を参照してかつ理解できているであろうことに、後で気づいた。三島由紀夫も宮崎駿もたいしたもんだ。千と千尋の場合はカオナシ=クルツなのだが、カエルとかを飲み込んでいってクルツ化させるという着想はコンラッドのはるか上をゆく。天才的である。宮崎作品が鑑賞後大きな充実感を与えるのは、おそらく彼の重層的な作品読解能力によるものだろう。
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