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元気をもらう、という搾取あるいは依存
どうにも元気が出ないとき、ふっ、と浮かぶ歌がある。
「元気をもらいました!もっと元気をください!」と迫り来る少女たち
╱九螺ささら
『短歌ください 明日でイエスは2010才篇』
一度聞いたら(読んだら)覚えてしまうシンプルなフレーズ。
ものすごくホラーな一場面を想像してしまう。
もっと元気をください
もっと
もっと
もっともっともっともっともっともっと…
何かを得て、さらにその何かを欲しがる行為
この一首の場合は、「何か」が「元気」に該当する。
目に見えないパワー、気力。
少女たちは誰かを(主体を?)取り囲みながら「もっとください」「もっとください」と迫っているわけだ。
真実、こわい。
そもそも「元気をもらいました!」という感想はよく聞くもので、筆者自身も口にしたことがあったと思う。言われたほうとしてはどうだろう。
「元気になってほしい」と思っての行動や、なんの意図もない言動からそういった感想が返ってきたとして、まず素直にうれしいだろう。
ただ、意図していなかった場合は、なんとなく「別にそういうつもりはなかったのだけど、喜んでもらったならまあいいか」と、わずかな違和感があるのではないだろうか。
そこにまさかの「もっと」という発言を重ねられた日には。
「そんなこと言われても困る」
もっともっともっと、と迫り来る少女たちはオカルティックで、都市伝説に出てくる妖怪のようにも思える。
かたちのない、目に見えない「元気」の授受があるとき、それは気力の搾取なのかもしれない。あるいは、依存。
あなたから元気をもらったら元気が出たからもう一度元気が欲しいわ。もっと欲しい。ずっと欲しい。
あなたの気力がわたしの元気へと完璧に変換されるまで。
あなたという生命から根こそぎ気力を奪うまで。
さあ。
もっとください。
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