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ルポルタージュ怪談ーー土地の記憶

1・『DJ響の怪談に酔いしれる夜』

ネットの怪談が大好きです。もともと話芸の世界に興味があったのですが、ネットの怪談の世界は、新しい才能が、次々と登場してきます。多士済々。百花繚乱。諸子百家の時代。ジャンルが勃興してくる季節は、活気があって楽しいものです。

最近、ディスク・ジョッキーでもある響洋平(ひびきようへい)さんの番組『DJ響の怪談に酔いしれる夜』第7回を拝聴しました。ゲストは、怪談作家の川奈まり子さん。いつもとは異なる味わいがありました。刺激的でした。

2・川奈まり子さんとルポルタージュ怪談

川奈まり子さんが、ルポルタージュに基づいて、怪談を書くという方法をとられている作家だからです。彼女も、まず若い方などが体験した怪異に耳を傾けて、電話による取材などを行います。しかし、そこでまとめて語りにして、はい、終わりですという形にはしません。過去に、何か原因が潜んでいるのではないだろうかという観点から、さらに探索をしていくのです。

当然のことに、過去の時代へ遡ることになります。怪談の現地に赴くだけではすみません。資料調べが、必須になります。国会図書館や大宅壮一文庫(雑誌の蔵書が豊富です)などで、調査をしているとのことです。

1970~1980年代のマスコミのリテラシーは、いまとは比較にならないルーズなものでした。個人を特定できる情報が、新聞や雑誌に、平然と掲載されています。探索の糸口となります。残された道すじを、たどっていきます。

ルポルタージュは、現実に見える世界を、できるかぎり明らかにしていきますが、怪談の場合は、見えない世界も、相手にせざるを得ません。この虚実の皮膜一枚の隙間に、好奇心と鋭い論理で切り込んでいく川奈さんの姿勢が、スリリングです。

3・黄色と赤のハイヒール

千葉のある大学を舞台とする黄色いハイヒールの幽霊には、背後に塚の存在と、ある殺人事件があることを、つきとめていきます。

八王子のある大学での赤いハイヒールの怪談にも、忌まわしい殺人事件が関与していることを、つきとめていきます。近くには神社もありました。

二つの話は、色彩の対比も美しく、怪談の醍醐味を、堪能することができます。(前者は、竹書房から紙の本としても出版されているようです。)

川奈さんは、ある人がたまたま体験することになった怪異が、けして偶然ではなく、過去の事件に起因するものではないかということを、つきつめていきます。怪談の語り手が、予想もしていなかった事実が、背後に隠されていたわけです。

もちろん五里霧中となり、ついにわからなかったという場合も、さぞかし多いことでしょう。仕方ありません。この方法は、やってみなければわかりません。しかし、川奈さんは諦めを知らないようです。実にエネルギッシュです。はげまされます。

ルポルタージュ怪談の取材が成功した場合には、謎を解きほぐしていく推理の楽しみと、真相の(あくまで一部でしょうが)発見にいたった喜びを、味わうことができるからでしょう。楽しくて仕方がないという気分が、話し方からも伝わってきます。聞き手までが、明るい気持ちになれます。

ルポルタージュ怪談は、別に川奈さんが初めてというものではないでしょう。他の方も以前から採用されています。稲川淳二さんのいくつかの名作、中村市郎さんの「千日前にまつわる怪談」、西浦和也さんの「六本木ヒルズの毛利池」等々にも、取材の成果が、明らかに反映されています。小説でいうと加門七海さんが、同じ路線の作家となるでしょうか。

川奈さんの場合は、過去からの声に謙虚に耳を傾けるという姿勢があります。そして、千葉県や東京都の青山や八王子などといういくつかの場所に、地域を限定することで、めざましい結果をもたらしたと言えると思います。土地への知識の量や、いわゆる土地勘のあるなしが、決め手になるからです。知っているほど有利となります。本業の小説でも、この方向で、さらに充実した仕事を、なされていくことでしょう。

4・土地の記憶

われわれは、現在を生きていますが、ただそれだけのことで、過去に対して根拠のない優越感を、おぼえてしまいがちです。

現在に安住することで、過去の死者たちの言葉を、無視しがちになっています。

石碑や石仏や神社等々に記録された過去からの警告を、意識的に、あるいは無意識的に忘れ去る道を、選択してしまいました。それによって、どんなに手ひどい打撃をうけたか。平成になってからの地震や津波などの天災や、原子炉などの人災による被害の大きさを反省するだけでも、身につまされる悲しさがあります。令和になっても、残念ながら枚挙に暇ありません。

現在は、過去と切り離されているのではなくて、過去とつながっていることを、川奈さんはルポルタージュ怪談という楽しい語りの方式によって、明白に示してくれました。

たとえ、つかのまの存在である人間が、忘却してしまった事件であっても、土地は記憶しています。地獄という死者の国を地下に想定した、昔の人の想像力は、実体を正確につかんでいたということになります。自縛霊という言葉ひとつにしても、事故物件の狭い一部屋だけではない、空間的にも広がりのある場所の可能性を、付与したことになります。時間的に遡っただけにとどまりません。

あの稲川淳二さんも、有名な「生き人形」の話には、実は一族にまつわる因縁が、まつわりついていたということを察知して、恐怖をおぼえていると、漏らしていたことがあります。

もちろん、過度に家族の因縁などを恐怖する必要が、21世紀の現代に、あるはずはありません。それこそ高い壺を売り付けられるなどの、インチキな新興宗教の詐欺に、つけこまれてしまいます。そうではなくて、個々の実情に応じて未来を考えるために、過去の事件を正確に知る必要が、あるというだけのことでしょう。

ルポルタージュ怪談は、われわれに過去を尊敬し、どのような距離をとって付き合えばよいかを、楽しく教えてくれる方法であるとも、いえるのではないでしょうか。

5・まとめ

昭和の文化では、周縁におかれていた怪談という表現が、令和の既成の文化の中心的な流れに、批判の鋭い矢を放っています。ルポルタージュ怪談は、トリックスターとしての効能を、発揮していくことでしょう。

閉塞感のある時節、久しぶりに勇気のでるイベントに、参加させていただいた気分です。ホストの響洋平さんは、ゲストの意見を「ああ、それはありますね」とソフトに受け止める、好感のもてる対応をされる方です。諸星大二郎の「妖怪ハンター」シリーズのファンの方などにも、きいていただきたい会でした。

イラスト/SoNo

#怪談 #川奈まり子 #響洋平 #自由意志 #DJ響の怪談に酔いしれる夜

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