書けないときに書けた人 ― 牧野信一(一)
書けないときに書けた人
― 牧野信一
書けないときこそ?
御無沙汰しております( ..)"
ライターズ・ブロックは相変わらずですが、なんやかやと動き回っております。
さて、夏目漱石「満韓ところどころ」のように、激しい胃痛を我慢したまま、レトリック頼りで書き連ねた作品もあったりしますが……
(某『漱石に学べ!』という文章読本にも書いてありましたね。)
逆境のなかで一番粘ったのは、牧野信一ではなかろうかな、と私などは勝手に思っております。
(もちろん、環境に殺されて、回復ままならずガス自殺に至るわけですけれども……)
彼はかなりの数の作品を、苦しいなかでも書けた人かと思います。
しかも、スランプのままつくった習作が充分通用した人物であったかと思います。
余談ですが、この牧野信一は、私が好きな作家の“藤村”島崎春樹に見出され、はじめ自然主義作家として登場、そののち幻想的な要素を採り入れた作風がウケて人気を博した方です。
私生活のほうは、なかなか気難しい点があったということで、子孫の方に「あれはどうしようもない」とまで言わしめたそうな……
しかし、作品を見るにつけても、病状から脱け出そう、真っ当に人間らしく生きよう、という努力を続けられた点では藤村と変わらないのではないでしょうか。
「村のストア派」のように自虐的に、かつ風刺的に、透徹したリアリズムでもって自己分析と修養を続けていたに相違ありません。
「天狗堂食客記」などは実際にアルコール中毒に悩みながら、ぜえぜえと書いてらしたものでしょうね。
「鬼涙村」の頃にどうであったかは判然としませんが、自殺の2年前には「るい」という自然主義的な作品も書いてらしたようです。
(私も「るいは快活、われは言えず――」のように引用させていただいたことがあります。)
書けない → 書くに至るプロセス
さて、このスランプとの戦いがいかなものであったかを思うわけです。
書けない、しかし書く。
これができるのが羨ましいかぎりです。
なにか“スランプでも書ける方法”を知っていたのか。
話が飛びますが、"The Artist's Way"において“影のアーティスト”とされる、芽を出さないだけでギフト(才能でもあり毒でもあるもの)を賜った人は、大勢いらっしゃるようで。
やはりというか、創作者の周辺的な職業に就いて、自身の創作欲求を埋めるような生活に没頭することが多いとか。
自身にクリエイティブな側面を知っているのに、サンプルさえ出すのが難しい人は、山ほどあるわけですね。
どちらかというと、他者のサポートでもやもやしたまま徘徊している、一種“共依存”的な状態に留まってしまっているものです。
ぶっちゃけ私は今これ←
他者のつくった作品にタイトルづけで協力させていただいたり、良作を紹介してみたり、X(旧Twitter)でもリツイートもといリポストして拡散するようにしてみたり、と活動の幅は狭いものです。
昨年は2作掌編を物しましたが、1作はまったく自信も無い、作品未満の自分で思う不満足の出来でした。協力してくれる方の居る作品だったので、恐縮至極であったことはまだ記憶に新しいです。
もう1編については、それなりに内容はあったものの、ブラッシュアップが……
などと思いつつも、一応これは完成作品と思って出しました。
朗読もしていただき、やさしいお話、のような評価をいただくとほっこりします。
牧野信一が書けないなりに書いたように、自分も書けないなりに、もっと書けないものかなぁ、と。
そのとき(作品として出せたとき)、どうして書けたのかも分析する必要がありそうです。
この辺は、牧野信一と絡めつつ、もうすこし考察してみたいと思っております。
ここまでご覧くださった方々、ほんまにありがとう御座いますᐠ( ᑒ )ᐟ
よければ(二)に続けようと思うので、そちらもご覧いただけるものにならば、と願っております。
それでは失礼いたします( ..)"
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