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『毛』が足りない。

一人暮らしを始めた当初、一人で生活をして一番驚いたことがある。
それは自分一人しかいない部屋にたくさんの毛が落ちていること。

誰か私以外に住んでるの?って思うほどの床やカーペット、テレビ台、テーブル、どこを見ても毛が落ちている。
家族と住んでる頃は違和感はなかった。みんなで生活をしていたから、毛がたくさん落ちていても当たり前だと思っていた。
でも一人暮らしをして私一人でこんなに毛を落としてるのかと思うとゾッとした。

人生で円形脱毛症デビューをしたのが4歳のころ。
幼稚園に行く前に自宅で母親が私の髪を結わこうとした時
「さおり、何か幼稚園で嫌なことでもあるの??」と優しく聞いてきた。
どうしてそんなことを聞くんだろうと思いながらも、心当たりなことはいくつかあった。

食べ物の好き嫌いが多かった私は給食を残してばかりで、先生に全部食べるまで次の授業は受けなくていいと教室に取り残されていた。
幼稚園の送迎バスで送られる時、幼稚園から一番私の家が近いのに、何かの都合で自分の家の前を素通りされ最後の最後に送られていた。
たくさんの仲間たちが一人二人と家路に戻り、がらんとしたバス内で最後の一人になるのは寂しかった。

多分、そんなストレスが4歳にして円形脱毛症になったきっかけだったんだろう。
母親に聞かれるまで言うつもりはなかった。
あの頃から何事においても耐える癖があったんだと思う。

大人になってからは2年前にも久々に円形脱毛症になった。
多分、あの頃は人間関係にストレスを感じていたんだろう。

ハゲができるほどの我慢ってなんなんだろうか。
そう思うと、部屋で散らばって落ちている毛が愛おしく感じる。
いつもはコロコロなどでやっつけてしまうが、本当はかき集めたほうがいいのではないか?また毛が足りないと思うときがくるかもしれない。いつなるか分からない円形脱毛症の為にもストックの毛として。

あ、あとあれです。一番気になるのは「あそこの毛」みたいな毛って
どうしてあらゆるところに設置されてるんでしょうか。

カフェでも借りた本の中にも蛍光灯の中にもある「あそこの毛」みたいなの。

あの毛がどうしてその場所に行き着くのかのドキュメンタリーを知りたい。
誰の毛で、どこの毛で、どうやってその場所に運ばれて行くのか。
あそこの毛が旅立ち、また愛する毛と再会することもあるのだろうか?
それだけで愉快なドラマができそうな気がする。

だとしても、本当にあれは「あそこの毛」なのだろうか?

それは誰も一生知ることのない「あそこの毛の7不思議」だろう。


残りの6つの不思議はまた今度。


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